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『オードリーのNFL倶楽部』菅谷大介さん追悼「また一緒にスーパーボウルを見ましょう」 悲しみの中にも笑い

エンタメ
2025-11-14 17:00
『オードリーのNFL倶楽部』菅谷大介さん追悼「また一緒にスーパーボウルを見ましょう」 悲しみの中にも笑い
日本テレビ系『オードリーのNFL倶楽部』
 お笑いコンビ・オードリー(若林正恭、春日俊彰)がMCを務める、日本テレビ系『オードリーのNFL倶楽部』が、14日に放送。長年番組に関わり、愛される存在だった菅谷大介アナウンサーが8日、53歳で亡くなったが、YouTube版オフトークではオードリー、五十嵐にいかアナ、伊藤大海アナが、それぞれの胸に刻まれた思い出を語り合った。悲しみの中にも笑いがあり、温かい空気に包まれた“菅谷さんらしい時間”が流れた。

【番組カット】菅谷大介さん追悼 悲しみの中にも笑いがある時間に

 スタジオには、菅谷さんが愛したニューイングランド・ペイトリオッツのキャップと、トム・ブレイディのペイトリオッツ時代のジャージが飾られた。生前、そのキャップを事あるごとに被っていたことから、若林と春日から菅谷“キャップ”大介と愛あるあだ名で呼ばれていた。

 春日は「普通なら怒るところだけど、あの人は笑って受け止めてくれるんだよね」とほほえみ。若林も「(スーパーボウルからの帰りで)羽田空港に着いたときもキャップをかぶって降りてきて、バスの予約までそのままでしたからね」となつかしそうに笑った。

 史上最高QBの呼び声が高いブレイディが来日した際には、手を震わせながらも「スーパーボウルのリングをください」とボケを放った菅谷さん。若林は「あのトム・ブレイディの隣でボケるアナウンサーなんて他にいない」と振り返り、春日も「相当緊張していたらしいよ」と明かした。

 それでもオファーを受けた時には、真剣そのものだった。菅谷さんは「やらせていただきます」と静かに言い、打ち合わせを何度も重ねた。その姿は、憧れの人に会える喜びと、放送人としての誇りが同居していたのだろう。若林が「ときめいていたんだね、目がハートになっていた」と笑うと、春日が「乙女だからね」と即座に返す。スタジオには、いつものNFL倶楽部らしい温かい笑いが広がった。

 伊藤アナは学生時代、箱根駅伝の現場で偶然菅谷さんに出会ったという。「どうしたら日テレのアナウンサーになれますか?」と尋ねると、「熱意だよ」と答えてくれた。その言葉は、学生だった伊藤アナの胸に深く刻まれていが、それでも伊藤アナが「入社してからその話を伝えたけれど、覚えてなさそうでしたね」と苦笑すると、若林が「返しが弱いな!大ファンブルだよ!」とツッコミ。

 いまも菅谷さんのデスクには、スーパーボウルの記念マグネットや手帳がそのまま残っている。伊藤アナは「本当にNFLが好きだったんだなと思いました」と語る。若林は「スーパーボウルの実況はいつも感動的だった」と称え、春日も「我々が初めて現地取材した第43回スーパーボウルでも実況を務めていた」と思い返す。「試合前の謳い上げが見事で、あれは忘れられない」と若林。「いつ考えているんですか?」と尋ねても、やっぱり返しは“弱かった”という。

 五十嵐アナは、アナウンス室でNFLの話題をきっかけに話しかけてくれたことを思い出す。「私は新人で入ったばかりだったので、どんなことを話せばいいのか分からない中で、NFLをきっかけにお話ができたのは私の中で本当にうれしいことでした」と語ると、若林は「若い人とNFLの話ができるのがうれしかったんだろうね」としみじみ言った。

 最後に、若林がそっと語りかける。「菅谷さん、ありがとうございました。また一緒にスーパーボウルを見ましょう」。春日も「ありがとうございました」。菅谷さんがペイトリオッツのキャップをかぶったまま、笑顔でスタジオを歩くその姿は、きっとこれからもみんなの記憶の中にある。

 番組の模様は「TVer」で見逃し配信中。1週間視聴可能で、毎週金曜の午後5時に最新話に更新される。YouTubeの公式チャンネルでも、本編収録後のオードリーの本音や、過去の秘蔵映像などを随時公開していく。

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