アイドルグループ「SMAP」を脱退し、オートレーサーとして生きることを選んだ人がいる。森且行、50歳。選手生命、そして命の危機があっても諦めなかった道を進む姿を、映画の密着取材で3年間見つめてきた監督が、率直な思いとともに、その人柄をつづった。(穂坂友紀)
【写真を見る】バイクと接触した瞬間 24本ものボルトが埋め込まれたレントゲン画像も
いつだって険しく過酷な選択 それでも楽しんでいるよう
埼玉・川口オートレース場。森且行のロッカーには、こう書かれたタオルが掲げられている。
「俺の生きる道」
1996年、アイドルグループ「SMAP」を脱退してまで望んだ道。
2021年1月、レース中の落車で、選手生命はおろか命の危機に直面しても諦めなかった道。
一生歩くことさえできないかもしれない、一生車椅子生活になるかもしれないと宣告されても、あらがい続けた道。
足に麻痺の後遺症が残ってもなお、400人のレーサーの頂点を目指すと決めた道。
彼が選択する道は、いつだって険しく過酷だ。だが彼は、いつだって、その挑戦を楽しんでいるかのように笑う。
「もう50歳だからって自分に(限界)線を引いた時点で、もうそれは諦めているってことだから」
「生きてさえいれば、人間死ぬまでチャンスがある」
「あの時生かされた命だから。だからもう一度日本一の舞台を目指したい」
密着の始まりは2021年 送られてきた画像に言葉を失った
2021年8月、TBSの情報番組「あさチャン!」の企画で直筆の手紙を出したことが全ての始まりだった。
「インタビュー取材を受けて頂けませんか」
取材を快諾してくれた彼と電話で少し会話した後、LINEに送られてきた画像に言葉を失った。それは背骨から骨盤にかけ、24本ものボルトが埋め込まれたレントゲン画像だった。
2020年11月、レーサー24年目にして、“最高峰”グレードレース日本選手権を初めて制覇。悲願の日本一に輝いた直後の2021年1月、落車による骨折で長期欠場が見込まれることになったのは、報道で知っていた。だが、それ以上の容態は知る由もなかったからだ。
「僕の体。東京タワーみたいでしょ(笑) これ、僕のスマホの待ち受け画面」
「骨折で砕けた骨の一部が静脈に接していて、5ミリずれていたら1時間以内に死んでいたよって先生に言われたんです。だから僕はなんて運がいいんだろうと思って!」
絵文字を交えて送られてくる文面と、その重症度がかけ離れてすぎていて、返す言葉が見当たらなかったのを今でもよく覚えている。
「このまま意識がなくなって、人間どうやって死ぬのかなって」
バイクと接触した瞬間、骨盤が折れる音がしたという。
オートレースのバイクにブレーキは搭載されていない。
時速100キロ以上でフェンスに激突。体の中で何かがぶつかり合っているような燃えるような熱さと痛みに、体を動かすことさえできなかったという。
「オペ室に運ばれて、麻酔入れられて、時計をみていると、意識がなくなってくるじゃないですか。このまま意識がなくなって、人間どうやって死ぬのかなって。これで目をつぶったら生きて戻って来られないかもしれない。でも目覚めた時にどこにいるのか、ちょっと楽しみでもあったかな」
──死を覚悟して、何か思い残したことが頭をよぎったんですか。
「全く悔いはなかった。日本選手権獲れていなければね、オートレース人生失敗だったのかなって考えたかもしれないけど、日本一になれたので。日本選手権獲れて良かった、もうそれだけだよね」
一度死を覚悟した人間は、ここまで強くなれるのだろうか。
死を覚悟したからこそ、彼はここまで強くなれたのだろうか。
靴紐さえ結べない体で約束した「オートレーサー復帰」
「命を助けるために、命を優先して完璧(な体)には戻せなかったと先生に言われました。でも必ずここ(オーバル)に戻ってきます」
麻痺が残った足。まだ杖でしか歩けず、24本のボルトで固定され、かがむことも、靴紐を結ぶことさえできない体で約束した「オートレーサー復帰」。
カメラの前で宣言してしまえば、後には引けなくなる。だからこそ、自分を追い詰めるために口にした「復帰宣言」だった。
彼の生き様に惚れ、復帰まで見届けたいと長期密着取材を申し出た。11月29日に公開された映画「オートレーサー森且行 約束のオーバル 劇場版」は、そんな森且行の“生きる道”を3年以上にわたる密着取材でみつめた作品だ。
「今」を撮りたいと自腹で買った70万円のカメラ
監督である筆者は、現在のテレビ制作会社に入って以来、情報番組が中心でドキュメンタリーは初めての経験。まずぶちあたった壁は、予算の問題だった。
テレビ業界にも当然ながら予算がある。
どの番組で、どんな取材をし、いつ放送するか企画が通らなければ、取材に必要な経費は出ない。でも、OA番組が決まるのを待っていては、森且行の「今」を撮り逃してしまう。同じ会社に所属しディレクターでもある夫に、半ば決定事項のように自腹でカメラを買うことを相談した。
「惚れた男ができて。追いかけたくて。だからカメラ買う」
「えっ、いくら?」
「映画用の高性能カメラ…70万円くらい、かな」
だまってうなずく夫を、撮影スタッフにも組み込んだ。
取材対象者と信頼関係を築き、絶妙な距離間を保てなければ、素の表情や本音を引き出すことはできない。
夫同伴で、打ち合わせと称した飲み会、カラオケ、彼の親戚宅への1泊2日旅行に行ったこともあった。
私がレース場で彼を追っている間、夫は自宅でレース観戦する彼の兄の元へ。
夫が双子のお笑いコンビ「ザ・たっち」に似ているからと、酒を飲んでは、夫と彼の50代コンビが謎の「幽体離脱~」「アジのひらき~」「ちょっと!!ちょっと、ちょっと!!」といったコントを繰り広げる。
夫と共に撮影することで気づかされたこともあった。
カメラを回すのを止めようと思った時、夫に言われたこと
復帰戦前の走行練習。
周回途中、突然足に力が入らなくなる新たな後遺症に彼は直面していた。
当初2023年2月に予定していた復帰戦は延期。時間が解決してくれる後遺症とはいえ、帯状疱疹で練習にも参加できなくなるほど一時精神的に追い詰められていた。
そんな彼の心情を分かっていたからこそ、カメラを回すのを止めようと思った。でもその時、夫に言われた。
「ありのままの森且行を伝えるんじゃなかったの?」
応援してくれるファンのため、命を繋いでくれた医師のため、そして2021年に共に落車した後輩レーサーのため。「彼に大けがをさせた」とのいわれない誹謗中傷にさらされた後輩の心の傷を取り除くためにも復帰すると誓った森且行。その歩み全てをさらけ出すと腹をくくってくれた。
ありのままの3年間を追った中で一番印象に残った言葉がある。
「いくつになっても挑戦はできる!ハードルは高くても、挑戦を楽しめば苦にならない!」
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