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【 橋幸夫さん・葬儀 】 石田社長 「橋さんはギブアップしません。どこまで行っても、言葉を失う寸前まで、歌を歌いました」

エンタメ
2025-09-10 14:14

9月4日に亡くなった、歌手・橋幸夫さんの葬儀告別式が、本日、都内で執り行われました。
昭和の大スターから平成、そして令和の時代まで活躍した橋さんを偲び、夢グループの石田重廣社長がその想いを述べました。
 


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石田社長は「昭和の大スター、そして平成の大スター、そんな橋さんが夢グループに令和の時代、所属になりました」と橋さんとの縁を振り返りました。「僕は令和の時代にそれを引き継いで大スターになる仕事をさせてもらったことがすごい光栄です」と感謝の気持ちを表しました。


橋さんは一度引退しながらも「歌をやめて初めて自分が歌の素晴らしさに気づいて、『社長、俺もう1回歌を歌いたいんだ』と、『ファンもそれを望んでるんだろう』と『歌わせてくれ』」と再び歌の世界に戻ったことを明かしました。


しかし、病気により思うように歌えない状況になったにもかかわらず、「橋さんはギブアップしません。どこまで行っても、言葉を失う寸前まで、歌を歌いました」と石田社長は橋さんの歌への情熱を伝えました。

 



最も印象的だったのは、橋さんが最後に残した言葉でした。「命ある限りパワーを持って、百戦錬磨で頑張ろう。応援してるよ」という、まさに「スターだから言える発言」だったと石田社長は感動を隠しませんでした。


「橋さんに感謝、感謝、感謝。橋さんはすごい優しい人でした。いつでも思いやりがあって、そして本当に優しい、僕にとってのお兄さん、芸能界の大先輩」と石田社長は橋さんの人柄を偲びました。
 




最後に「これからも僕は橋さんの感謝という気持ちと、優しい人間になろうという気持ちを守ってきます」と、故人の遺志を継いでいく決意を語り、弔辞を締めくくりました。
 




橋幸夫さんは、高校在学中にビクターのオーディションに合格し、1960年(昭和35年)「潮来笠」(いたこがさ)でデビュー。同年、同曲の爆発的なヒットに伴い日本レコード大賞に新人賞が新設され、初の受賞者となりました。さらに同年、NHK「紅白歌合戦」に初出場を果たし、以降17回連続出場。1962年(昭和37年)吉永小百合さんとのデュエット曲「いつでも夢を」、1966年(昭和41年)「霧氷」で日本レコード大賞を2度受賞。舟木一夫、西郷輝彦とともに“御三家”と呼ばれ、人気を博しました。

2023年5月3日には歌手活動からの引退を宣言。しかしファンや講演会からの声もあり、翌2024年4月に引退を撤回して活動を再開しました。また、橋さんの歌を歌い継ぐ歌手の募集が行われ「二代目 橋幸夫 yH2」というユニットがデビューするなど、歌への情熱を絶やすことはありませんでした。
 





橋さんのアルツハイマー認知症については、今年5月に夢グループの会見で公表されました。会見で配布された診断書によると、橋さんは、2022年に軽度のアルツハイマー型認知症と診断され、2023年には右頭頂葉脳梗塞を併発。去年の年末に、中程度のアルツハイマー型認知症と診断されていました。

【担当:芸能情報ステーション】


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