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寺尾聰、GSバンドメンバーから俳優転身→名曲「ルビーの指輪」誕生秘話 サングラスの理由も 『関口宏の雑誌の記憶』見どころ

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2025-12-15 18:54
寺尾聰、GSバンドメンバーから俳優転身→名曲「ルビーの指輪」誕生秘話 サングラスの理由も 『関口宏の雑誌の記憶』見どころ
『関口宏の雑誌の記憶』(左から)関口宏、寺尾聰 (C)BS朝日
 俳優・歌手の寺尾聰が、BS朝日で20日・27日放送の『関口宏の雑誌の記憶』(後4:00~4:30)に出演し、名曲「ルビーの指環」誕生秘話を語り尽くす。

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 同番組は、昭和のジャーナリストとして名をはせた大宅壮一氏が遺した、日本で出版されたほとんどの雑誌を所蔵し、世界的にも稀有(けう)な「雑誌の図書館」となっている「大宅壮一文庫」が舞台。毎回番組で取り上げるトピックを雑誌が時代ごとにどう取り上げたのか、どう伝えたのかにスポットを当て、司会の関口宏が自らの体験や記憶を掘り起こしながら、当時を知るゲストと共に物事の「本質」に迫っていく。

 2025年最後のゲストは寺尾を迎える。今年は“昭和100年”ということもあり、昭和を回顧する特別な年となった。寺尾といえば、昭和を代表する名ナンバー「ルビーの指環」を生み出した人物。

 番組では昭和を戦前・戦中・戦後復興期・高度経済成長期・安定成長期・バブル経済期と6時代に分け、それぞれの時代にどんなヒット曲が生まれたのか、当時の世相を交えて見ていく。前編(20日)では戦後復興期までを、後編(27日)では高度経済成長期以降を取り上げて、関口と寺尾がトークを繰り広げる。

 寺尾のトーク番組出演はめずらしいが、芸能界で同じ時代を生きてきた関口とはリラックスした表情で、音楽談議を展開。20日の放送では、“GS”ことグループ・サウンズのバンド「ザ・サベージ」のベース&ボーカルでデビューした寺尾がなぜ俳優に転身し、さらにソロアーティストとして昭和56年(1981年)に「ルビーの指環」をはじめ、次々とヒットナンバーを世に放つことになったのか、楽曲制作の裏側を明かす。

 寺尾が「ルビーの指環」を制作する際、当時の先端を行っていたクリエイターたちと細部にまでとことんこだわり、唯一無二の楽曲を作り上げた軌跡には、興味深いエピソードが満載。さらに、この頃の寺尾といえば、歌うときのトレードマークだったのが黒いサングラス。実はある理由から外すに外せなくなったという。また、そもそも歌番組に出ることを渋っていた寺尾が出演するきっかけは、当時の所属事務所「石原プロモーション」を率いていた石原裕次郎にあった(?)などの話も披露される。

 27日の放送は、改めて「ルビーの指環」を聴き、「この曲があったからこそ、いまも俳優・寺尾聰を続けていられる」と語る寺尾自身の言葉で、40年以上前の楽曲が輝き続ける理由の一端が伺える貴重な内容となる。

 番組では今回も、大宅壮一文庫に所蔵された超レアな雑誌をフル活用。戦中、公には軍歌しか流れていなかった中、外国の音楽であるジャズを演奏するミュージシャンがどうやって厳しい時代を生き抜いたのか、日本が再び活気を取り戻した高度成長期に日本の音楽はどう変ぼうを遂げたのか、熱狂的なブームとなってGSがその後、どう枝分かれしていまに続く音楽界が形成されたのか。2週にわたり、入念に取材された雑誌の記事から、昭和100年の音楽史をひもとく。

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