エンタメ
2026-10-27 13:00
漫画『あしたのジョー』などで知られる漫画家・ちばてつやさんが22日、都内の病院で死去したことが27日、わかった。87歳。これを受け、漫画家仲間たちや出版社、編集部がSNSなどを通じて追悼するとともに、漫画界に与えた功績を伝えた。
ボクシング漫画を連載している『はじめの一歩』作者の森川ジョージ氏はXで「ありがとうございました!」とこれまでの感謝を込めて追悼。また、少年ジャンプ+で格闘漫画『無敵のスバル』を連載中の成田成哲氏は「友達からちばてつや先生の訃報を聞き、とてもショックを受けました。ちばてつや先生は、文星芸術大学に在学中にとてもお世話になった先生です。ちばてつや先生以上の人間性を持った漫画家を、私は知りません。バスケサークルを立ち上げる時顧問の先生を探していた所、「僕で良ければ」と快く引き受けて下さり、以降球技大会で試合を観に来てくれました」と思い出を語り、「ショックがデカすぎる また1つ人生の目標が消えてしまった」と別れを惜しんだ。
【動画】泣ける…ちばてつやさん生前の顔出しメッセージ
『南国少年パプワくん』で知られる柴田亜美氏は「原作とアニメの『あしたのジョー』は強く心に刻まれています。少年漫画でバトルシーンに苦労している時は、自然と『あしたのジョー』の数々の場面が頭に浮かびました。勝利する者と同じく敗れる者の姿をしっかりと描く事を学びました。ありがとうございます、ちばてつや先生」」と伝えた。
『LIAR GAME』(ライアーゲーム)の甲斐谷忍氏も「はじめて読んだちば先生の作品は「ハリスの旋風」でした。もうこれが、衝撃的におもしろかった。その後、「あしたのジョー」に熱狂し、「餓鬼」で衝撃を受けました。その他の作品も、本当にどれもおもしろくて、ずっとずっとお手本にしてきました。作品も生き方も。ご冥福お祈りします」とつづった。
『キングダム』の原泰久氏は、「ちばてつや先生がご逝去されました。今年2月に対談させて頂いた時はお元気だったので信じられません。僕は「ちばてつや賞」出身で、ちば先生はデビューした僕をずっと見守って下さっていました。ちば先生の漫画界への貢献は絶大過ぎて頭が上がりません。先生、本当にありがとうございました」と、これまでの感謝をつづった。
ちばさんは、公益社団法人日本漫画家協会会長を務めており、健全な漫画の普及、そして漫画家たちを支援してきた。特に新人漫画賞『ちばてつや賞』は、日本で最も歴史と実績のある青年漫画の登竜門で知られている。
大賞や新人賞、佳作などを受賞したのが、「カイジ」福本伸行氏、「ドラゴン桜」三田紀房氏、「ゴールデンカムイ」野田サトル氏、「からかい上手の高木さん」山本崇一朗氏、「BE BOP HIGH SCHOOL」きうちかずひろ氏、「コウノドリ」鈴ノ木ユウ氏、「鬼灯の冷徹」江口夏実氏、「宇宙兄弟」小山宙哉氏などで、多くの漫画家たちが今、業界で活躍している。
訃報とあわせて講談社は書面で「70年の画業の中で数々の名作を残してくれたちばてつや先生は、漫画という創作物に対する限りない愛と信頼をお持ちでした。弊社の新人賞である『ちばてつや賞』は創設から実に46年。数多くの新人漫画家が、ちば先生の言葉を胸にプロへの道を踏み出し、今でも活躍しております。ちば先生の漫画界への多大なる貢献は、余人をもって代えがたいものでした」と功績を称えた。
小学館も「70年にわたり漫画の第一線を歩み続け、数々の名作を世に送り出してこられたちばてつや先生。先生は戦後日本漫画の発展を支えながら、人間への温かなまなざしと平和への願いを作品に込め、多くの読者に愛されました。先生の生前のご功績に対し、心からの敬意と感謝を捧げるとともに、謹んで哀悼の意を表します。お別れの会につきましては、現在開催に向けて検討しております。詳細が決まり次第、あらためてお知らせいたします。尚ご家族のお気持ちにご配慮いただき、ご遺族並びに近親者への取材やお問い合わせはお控えくださいますようお願い申し上げます」と追悼した。
少年サンデー編集部は「数多くの名作を生み出され、漫画界を牽引されてきた、ちばてつや先生が逝去されました。少年サンデーの作家さん、編集部にもたくさんの影響を頂きました。弊社では最後まで『ひねもすのたり日記』の連載に邁進され、同時に後進の育成や漫画界全体の発展にも大きく貢献されてきました。その偉大なご功績に改めて敬意を表すとともに、深く感謝申し上げます。先生のご冥福を心からお祈りいたします」と伝えた。
集英社は週刊少年ジャンプなど『ジャンプ』編集部として、「70年にわたり数々の名作を生み出された、ちばてつや先生が逝去されました。ちば先生は創作のみならず、漫画界の発展と後進の育成にも大きく貢献されました。その偉大なご功績に、深い敬意と感謝を申し上げます。心よりご冥福をお祈り申し上げます」と追悼した。
また、ちばさんが会長を務めていた公益社団法人日本漫画家協会は「2026年(令和8年)10月22日、公益社団法人日本漫画家協協会会長 ちばてつや氏が、都内病院にて87歳でご逝去されました。葬儀は故人のご遺志により近親者のみで執り行われました。なお、ご供花・ご供物・ご香典・弔電・弔問の儀はご辞退されるとのことです。ちばてつや氏は当協会の理事長、会長を歴任され、長きにわたり様々な事業で多大なるご協力をいただきました。また、漫画の普及、創作活動の振興ならびに漫画と漫画家の地位向上など漫画界全体に対して多大なる貢献をされました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます」と改めて功績を称えた。
ちばてつや(本名:千葉徹弥)さんは、1939年(昭和14年)1月11日、東京築地の聖路加病院で生まれる。同年11月に朝鮮半島を経て、1941年1月旧満州・奉天(現中国・遼寧省瀋陽)に渡る。1945年終戦の翌年中国より引揚げる。その後、1950年、友人の作る漫画同人誌「漫画クラブ」に参加。1956年、単行本作品でプロデビュー。1958年「ママのバイオリン」で雑誌連載を始め、1961年「ちかいの魔球」で週刊少年誌にデビュー。主な作品に「1・2・3と4・5・ロク」、「ユキの太陽」、「紫電改のタカ」、「ハリスの旋風」、「みそっかす」、「あしたのジョー」、「おれは鉄兵」、「あした天気になあれ」、「のたり松太郎」など。公益社団法人日本漫画家協会会長で、2002年に紫綬褒章、2012年に旭日小綬章、2014年に文化功労者、2024年に文化勲章の受章者に選ばれた。
【写真】ジャンプ新人漫画家にエール!ちばてつやさん生前のメッセージ
【写真】漫画家初の文化勲章に笑顔を見せていたちばてつやさん
【写真】当時85歳、笑顔のちばてつやさん(2024年)
【写真】ちばてつやさんも感激…晴れやかな笑顔で写真に応じた山下和美ら豪華漫画家一同
【写真あり】「いてて…あいてて」術後の写真を公開したちばてつやさん
ボクシング漫画を連載している『はじめの一歩』作者の森川ジョージ氏はXで「ありがとうございました!」とこれまでの感謝を込めて追悼。また、少年ジャンプ+で格闘漫画『無敵のスバル』を連載中の成田成哲氏は「友達からちばてつや先生の訃報を聞き、とてもショックを受けました。ちばてつや先生は、文星芸術大学に在学中にとてもお世話になった先生です。ちばてつや先生以上の人間性を持った漫画家を、私は知りません。バスケサークルを立ち上げる時顧問の先生を探していた所、「僕で良ければ」と快く引き受けて下さり、以降球技大会で試合を観に来てくれました」と思い出を語り、「ショックがデカすぎる また1つ人生の目標が消えてしまった」と別れを惜しんだ。
【動画】泣ける…ちばてつやさん生前の顔出しメッセージ
『南国少年パプワくん』で知られる柴田亜美氏は「原作とアニメの『あしたのジョー』は強く心に刻まれています。少年漫画でバトルシーンに苦労している時は、自然と『あしたのジョー』の数々の場面が頭に浮かびました。勝利する者と同じく敗れる者の姿をしっかりと描く事を学びました。ありがとうございます、ちばてつや先生」」と伝えた。
『LIAR GAME』(ライアーゲーム)の甲斐谷忍氏も「はじめて読んだちば先生の作品は「ハリスの旋風」でした。もうこれが、衝撃的におもしろかった。その後、「あしたのジョー」に熱狂し、「餓鬼」で衝撃を受けました。その他の作品も、本当にどれもおもしろくて、ずっとずっとお手本にしてきました。作品も生き方も。ご冥福お祈りします」とつづった。
『キングダム』の原泰久氏は、「ちばてつや先生がご逝去されました。今年2月に対談させて頂いた時はお元気だったので信じられません。僕は「ちばてつや賞」出身で、ちば先生はデビューした僕をずっと見守って下さっていました。ちば先生の漫画界への貢献は絶大過ぎて頭が上がりません。先生、本当にありがとうございました」と、これまでの感謝をつづった。
ちばさんは、公益社団法人日本漫画家協会会長を務めており、健全な漫画の普及、そして漫画家たちを支援してきた。特に新人漫画賞『ちばてつや賞』は、日本で最も歴史と実績のある青年漫画の登竜門で知られている。
大賞や新人賞、佳作などを受賞したのが、「カイジ」福本伸行氏、「ドラゴン桜」三田紀房氏、「ゴールデンカムイ」野田サトル氏、「からかい上手の高木さん」山本崇一朗氏、「BE BOP HIGH SCHOOL」きうちかずひろ氏、「コウノドリ」鈴ノ木ユウ氏、「鬼灯の冷徹」江口夏実氏、「宇宙兄弟」小山宙哉氏などで、多くの漫画家たちが今、業界で活躍している。
訃報とあわせて講談社は書面で「70年の画業の中で数々の名作を残してくれたちばてつや先生は、漫画という創作物に対する限りない愛と信頼をお持ちでした。弊社の新人賞である『ちばてつや賞』は創設から実に46年。数多くの新人漫画家が、ちば先生の言葉を胸にプロへの道を踏み出し、今でも活躍しております。ちば先生の漫画界への多大なる貢献は、余人をもって代えがたいものでした」と功績を称えた。
小学館も「70年にわたり漫画の第一線を歩み続け、数々の名作を世に送り出してこられたちばてつや先生。先生は戦後日本漫画の発展を支えながら、人間への温かなまなざしと平和への願いを作品に込め、多くの読者に愛されました。先生の生前のご功績に対し、心からの敬意と感謝を捧げるとともに、謹んで哀悼の意を表します。お別れの会につきましては、現在開催に向けて検討しております。詳細が決まり次第、あらためてお知らせいたします。尚ご家族のお気持ちにご配慮いただき、ご遺族並びに近親者への取材やお問い合わせはお控えくださいますようお願い申し上げます」と追悼した。
少年サンデー編集部は「数多くの名作を生み出され、漫画界を牽引されてきた、ちばてつや先生が逝去されました。少年サンデーの作家さん、編集部にもたくさんの影響を頂きました。弊社では最後まで『ひねもすのたり日記』の連載に邁進され、同時に後進の育成や漫画界全体の発展にも大きく貢献されてきました。その偉大なご功績に改めて敬意を表すとともに、深く感謝申し上げます。先生のご冥福を心からお祈りいたします」と伝えた。
集英社は週刊少年ジャンプなど『ジャンプ』編集部として、「70年にわたり数々の名作を生み出された、ちばてつや先生が逝去されました。ちば先生は創作のみならず、漫画界の発展と後進の育成にも大きく貢献されました。その偉大なご功績に、深い敬意と感謝を申し上げます。心よりご冥福をお祈り申し上げます」と追悼した。
また、ちばさんが会長を務めていた公益社団法人日本漫画家協会は「2026年(令和8年)10月22日、公益社団法人日本漫画家協協会会長 ちばてつや氏が、都内病院にて87歳でご逝去されました。葬儀は故人のご遺志により近親者のみで執り行われました。なお、ご供花・ご供物・ご香典・弔電・弔問の儀はご辞退されるとのことです。ちばてつや氏は当協会の理事長、会長を歴任され、長きにわたり様々な事業で多大なるご協力をいただきました。また、漫画の普及、創作活動の振興ならびに漫画と漫画家の地位向上など漫画界全体に対して多大なる貢献をされました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます」と改めて功績を称えた。
ちばてつや(本名:千葉徹弥)さんは、1939年(昭和14年)1月11日、東京築地の聖路加病院で生まれる。同年11月に朝鮮半島を経て、1941年1月旧満州・奉天(現中国・遼寧省瀋陽)に渡る。1945年終戦の翌年中国より引揚げる。その後、1950年、友人の作る漫画同人誌「漫画クラブ」に参加。1956年、単行本作品でプロデビュー。1958年「ママのバイオリン」で雑誌連載を始め、1961年「ちかいの魔球」で週刊少年誌にデビュー。主な作品に「1・2・3と4・5・ロク」、「ユキの太陽」、「紫電改のタカ」、「ハリスの旋風」、「みそっかす」、「あしたのジョー」、「おれは鉄兵」、「あした天気になあれ」、「のたり松太郎」など。公益社団法人日本漫画家協会会長で、2002年に紫綬褒章、2012年に旭日小綬章、2014年に文化功労者、2024年に文化勲章の受章者に選ばれた。
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