E START

E START トップページ > ニュース > スポーツ > “最強のナンバー2”丸山城志郎「僕をここまで強くさせてくれた」阿部一二三と伝説の「令和の巌流島」決戦、“柔道界ライバル”の歴史に名を刻む

“最強のナンバー2”丸山城志郎「僕をここまで強くさせてくれた」阿部一二三と伝説の「令和の巌流島」決戦、“柔道界ライバル”の歴史に名を刻む

スポーツ
2025-03-03 11:55

男子柔道66㎏級の2019、21年世界王者で、同じ階級の阿部一二三(パーク24)の最大のライバルとして知られた丸山城志郎(31、ミキハウス)が現役引退を発表した。1992年バルセロナ代表の父・顕志氏に続く親子2代での五輪出場は、東京、パリと五輪連覇した阿部の前にかなわなかった。だが、「日本刀」と言われた切れ味鋭い技とともに存在感は抜群。「最強のナンバー2」として、多くの柔道ファンの記憶に刻み込まれた選手だった。


2月25日の会見。丸山は「結果はとても悔いがあるが、やってきたことに一切後悔は無く、達成感が大きい」とすっきりした表情で話した。事前の引退発表時には「3歳から柔道を始め、五輪優勝を目標として、日々稽古に励んできました。結果、その夢はかないませんでしたが、どんな苦しい時も戦い抜くことができたのは、いつも応援してくださった皆様のお陰です。非常に濃い柔道人生でした。ありがとうございました」とのコメントを出していた。


丸山の名を柔道ファン以外にも知らしめたのは、2020年12月に行われた阿部との東京五輪代表決定戦、24分に及ぶ死闘だろう。本戦だけなら4分なので6試合分。通常の試合で行う選考会とは違い、2人だけが1試合で決着を付けるプロボクシングの世界タイトル戦のようなワンマッチ方式。しかもコロナ禍で会場となった柔道の総本山である講道館の大道場は無観客で関係者のみ。息をのむほどの緊張感の中で、試合は始まった。


丸山左、阿部は右のけんか四つ。丸山は試合の中盤までは相手に攻勢を許した。互いに完全に組み合えないまま、阿部に片手での背負い投げを度々仕掛けられ、本戦の4分間で指導1をもらった。技の決着か、反則負けで試合が決まる時間無制限の延長(ゴールデンスコア)に入った5分50秒で二つ目の指導を受ける。指導3で反則負けになるため、追い詰められた。


だが、それでも丸山は冷静だった。阿部の動きを見極め、得意の内股と巴投げなどを駆使して劣勢を盛り返す。その後、16分手前で阿部の指導も2となり、追いついた。互いに譲らぬ厳しい組み手とわずかな隙を狙う攻防が続き、2人の息遣い、畳をする足の運びの音が張り詰めた空気を一層際立たせていた。


決着がついたのは電光掲示が延長だけで20分を示した時だった。場外際で阿部が仕掛けた大内刈りを返そうとして、両者がもつれた。下になって落ちたところを「技あり」と判定され、本戦と合わせて24分の熱戦に終止符が打たれた。「令和の巌流島」とも称された一騎打ちに敗れた丸山は、「あっという間だった。結果は負けたが、自分のやってきたことはすべて出し切れた」と涙ながらに話していた。


引退会見でも、この一戦は思い出深い試合として挙げられた。「あれ以上のパフォーマンスは出来ないくらい完璧な状態で臨んだ。本当に悔しかったし、言葉では言い表せない。負けたことで人生を左右されたし、勝っていれば、違う人生を歩んでいたと思うが、負けたことで僕にしかできないこともあると思う」と言った。


印象深いのが、阿部への感謝の言葉だ。「彼は本当に強い選手だった。僕をここまで強くさせてくれた選手でもある。阿部選手がいなければ、ここまで努力もしなかった。彼のおかげで、僕の柔道人生は華やかになった。『ありがとう』と正直に言いたい」


日本の柔道界には、強いライバルがいて、互いに高め合うことで双方が五輪で輝いてきた歴史がある。代表的なのが、当時の95㎏超級(現100㎏超級)で対外国人選手無敗、無敵の203連勝した山下泰裕氏と、日本人初の五輪連覇を成し遂げた故斉藤仁氏の争いだろう。山下氏の現役中に一度も勝てなかった斉藤氏は、「エベレストには登ったが、まだ富士山に登れない」との名言を残している。


上から2番目に重い100kg級では、ともに五輪金メダリストの井上康生氏と鈴木桂治・現日本代表男子監督の競り合いが素晴らしかった。だが、4人はいずれも重量級。「山下―斉藤時代」には無差別級の五輪、世界選手権があり、「井上―鈴木時代」では鈴木監督が1階級上の100㎏超級で五輪金メダルを獲得し、世界選手権では自らの階級以外に無差別級でも勝った。


逆に国内でライバルが見当たらずに孤軍奮闘しながら、五輪の金メダルに届かなかった例ではバルセロナで銀、1996年アトランタでは5位に終わった小川直也(当時95㎏超級)が浮かぶ。無差別で争う全日本選手権で山下氏の9連覇に次ぐ7度の優勝。世界選手権でも無差別との2冠を獲得したこともあったが、涙を呑んだ。


下から2番目の軽量級になる66㎏級の丸山にすれば、無差別は想定外だが、階級を変えることは出来たはずだ。だが、それは肉体的にみれば減量しても、増量しても自らの柔道スタイルのバランスを崩すことになる。そして、それ以上に大きいのは心の面だ。4歳年下の阿部が強いからこそ、避ける形ではなく、挑み続けることで限界まで気持ちを高めていけたのだろう。階級変更は全く頭になかったはずだ。柔道人生の終盤は、「阿部に勝つため」で費やされた時間と言って良い。もし、五輪へ出場できていたなら、金メダルに輝いてもおかしくなかった実力だったと思う。


20年の激闘の一戦で勝った阿部は当時、「1シーンも忘れられないような戦いだった」と言い、その後も「あの戦いが僕の財産」と公言してきた。28年ロサンゼルスでは野村忠宏氏に続く、2人目の五輪3連覇を目指すことになるのだろうが、その強さを作り上げた根幹に、丸山というライバルの存在があったことは語り継ぎたい。


(竹園隆浩/スポーツライター)


スマホのバッテリーを長持ちさせるコツは?意外と知らない“スマホ充電の落とし穴”を専門家が解説【ひるおび】
「パクされて自撮りを…」少年が初めて明かした「子どもキャンプの性被害」 審議進む日本版DBS “性暴力は許さない”姿勢や対策“見える化”し共有を【news23】
【検証】「布団の上に毛布」が暖かい説 毛布は布団の「上」か「下」か 毛布の正しい使い方【Nスタ解説】


情報提供元:TBS NEWS DIG Powered by JNN

人気記事

ページの先頭へ