
東日本大震災からまもなく14年です。
当時、被災した経験から、今、能登半島で奮闘する人たちがいます。東日本の教訓を生かすために…。2つの被災地から「震災と復興」について考えます。
【写真を見る】東日本の教訓を能登に…東北の復興から見えること
地震に加え豪雨による土砂災害も…未だ残る大量の土砂
石川県珠洲市・大谷地区は地震に加え、24年9月には豪雨による土砂災害に見舞われた。
3月1日、県外から集まったボランティアたちが手作業で泥のかき出しを行っていた。大量の土砂が今も家の中に残っている。
大谷地区で暮らす重政辰也さん(36)は、NPOの仲間たちと毎週ボランティアを募り、近所の復旧作業を手伝っている。
珠洲市・大谷地区 重政辰也さん
「人手は必要です。安全第一ではありますけど、助けてくれる人がいたらありがたい」
地震で重政さんの自宅は倒壊を免れたが、半年前の豪雨で土砂が家を襲った。
重政さん
「今、だいぶどけてもらってますけど、その辺まで土砂がたまっていた。地震で大丈夫だった家が土砂災害で被害を受けて、生きていく場所がどこにあるんだろうと途方に暮れてました」
幸い家には誰もおらず、家族は無事だった。
現在、家族で金沢に避難しているため、重政さんは車で片道3時間以上かかる金沢と大谷を週に1~2度行き来している。
重政さん
「道が悪いのと、住む家がないという2つが結構厳しい。支援に来てくれる人の(寝泊まりする)場所もないし、これから帰って住みたいという人たちも、家が住める状態かというと、そうじゃない人もたくさんいる」
これから地区の復興をどうしていくべきなのか。その手がかりを求め2月、重政さんは東日本大震災の被災地・岩手県を訪ねた。
津波対策の堤防が台風の被害を拡大したケースも
重政さんを迎えたのは、能登を支援してきた岩手の人たち。その中の一人、花巻市出身の高橋博之さんは東日本大震災を経験し、全国の被災地に足を運び、能登にも何度も支援に入っている。
重政さんは能登への支援を通じて高橋さんと知り合い、交流を重ねてきた。
重政さん
「私、何も東北に対してしてこなかった。募金箱にちょっと入れるぐらいしかしてこなかったのに、すごくたくさん支援ばっかりいただいて、こんなもらい続けていいのかなと思うぐらい。これから僕らは次のステップに向かっていくにあたって、またいろいろと教えていただければ嬉しいです」
翌日、重政さんは高橋さんらと共に、津波の被害を受けた沿岸部へ。その後、各地に高い防潮堤が建設された。
山田町・田の浜地区は海から距離はあるが、震災時にはこの地区の住宅地まで津波が到達したという。
そこで、津波対策として海側の防潮堤に加え、さらに住宅側にも堤防が整備された。
山田町で建設会社経営 佐々克考さん
「次の備えとして造ったんですよ。津波にはもう万全だと言っていたんですが、後ろから台風でやられちゃった」
2019年の台風19号では、その堤防が山からの雨水や土砂をせき止め、被害が拡大した。
地震と豪雨の被害に遭った重政さんも、自然のリスクを実感していた。
重政さん
「いろいろ総合的に考えないと。でも、どこかで自然と付き合うしかない」
高橋さん
「二面性と付き合うしかない。リスクゼロにはできない」
防潮堤に頼らない 「住民主導」で復興を遂げた町
次に重政さんが向かったのは、釜石市・根浜。高い防潮堤を造らない選択をした地区だ。
14年前、最大18mの津波がこの地区を襲い、10人以上が犠牲となった。しかし、砂浜のある観光地として栄えてきたため、町内会で話し合った結果、防潮堤に頼らない町づくりをすると決めた。
重政さんの関心は、住民たちの意見をどのように復興のまちづくりに反映させたのか、ということだ。
根浜町内会事務局長 佐々木雄治さん
「高い防潮堤を造らないと危ないのではという声もいっぱいあります。だけど高い防潮堤を造ったって、それで守れるわけないんだから、やっぱり逃げることが大事。それと海が見えるというのが大事。震災の翌年に、文書で根浜の復興についてはこうやって欲しいと(行政に)要望している。本計画が決まる前に自分たちの考えを出している。だから能登は、まさに今その時期」
重政さん
「珠洲市の場合は比較的、今は皆さんの各地域の意見を集めるところからスタートしてて…」
根浜町内会事務局長 佐々木さん
「一番大事なのはスピード感。行政だって計画を検討しているわけだから。それからもう一つのポイントは、個人の意見はだめ。町内会としてまとめなきゃだめ」
生活再建の足がかりとなる災害公営住宅についても、住民たちの意見をまとめ、行政側に戸数や配置などを要望したという。
重政さんがこの地区で出会ったのが、旅館「宝来館」を切り盛りしていた元女将・岩崎昭子さん。
あの日、津波にさらわれたが九死に一生を得た。当時、多くの人たちに助けられたが、特に印象に残っているのが阪神・淡路大震災の被災者からの支援だった。
「宝来館」元女将 岩崎昭子さん
「私たちは阪神の皆さんに伴走してもらったという意識があって、今、自分たちがその立場になって、ようやく皆さんがどんな気持ちで自分たちを訪ねてきたかわかるんです。役に立ってほしいんです。自分たちが『じゃあ恩返しに珠洲に行って何かできますか』と言ったら、何もできなくて。そうだねってお話を聞くことしかできない。でもやっぱり誰かが見ててくれることが、自分たちが頑張っていく力になった。こういう繋がりはあっていいと思います。私たちのところに来てくれて本当に嬉しいです」
行政ではなく、住民主導で復興を遂げた町がいくつもあることを知った重政さん。
重政さん
「できるだけ早くいろんな人の話を聞いて、声をまとめていくことは大事だなと。今やらなきゃいけないことが明確に見つかったかなと思う」
しかし、住民の力だけでは限界もある。東北沿岸と能登、2つの被災地は今、「人口流出」という同じ課題に直面している。
「時間がかかりすぎると…」被災地で進む人口流出
岩手県・大槌町は津波が町を襲い、当時の人口の1割にあたる1286人が犠牲となった。
記者(2011年3月13日)
「大槌町の中心部ですが、ほとんど建物が跡形もなく崩れ落ちている様子が見えます」
14年が経ち、町は今…
山本恵里伽キャスター
「大槌町の中心部ですけれども、比較的新しい家が立ち並んでいます。ただ一方で、空き地も結構目立つなという感じもします」
駅前も人通りはまばらだ。元々過疎化が進んでいたが、2011年以降は人口流出が加速。震災前に比べ約3割、5000人以上減った。
海の方へ向かうと…
山本キャスター
「防潮堤が見えてきました。実際に近づいてみると、高さ・大きさに圧倒されます。すぐ近くに海が広がっているという状況は、ここでは全く想像がつかないです」
町の中心部には高さ14.5メートル、約360億円をかけ巨大な防潮堤が造られた。
震災後、国が投じた復興資金は40兆円を超える。しかし、インフラの再建が進んだ10年を区切りに予算は大幅に縮小され、その後は原発事故のあった福島の復興が優先されている。
大槌町民
「こんな巨費を投じてもらって町は出来上がったんですけれども、住民が思っていたようにはならなかったのかもしれない」
「この辺って仕事が少なかったり、交通の便が悪かったり、若い人たちが外に出てくというのが結構多い」
被災直後、この町に支援に入っていた高橋さんは、当時の防潮堤をめぐる議論について、こう話す。
岩手・花巻市出身 高橋博之さん
「震災直後は皆さんあれだけのことがあって、恐怖心でいっぱいだったと思う。(防潮堤は)高ければ高いほどいいってアンケートに答えた人が多かったと思います。だけど10年経ってできてしまったら、こんな高いの必要だったんだっけと被災者の心も生き物で変わっていくので、そこは難しいところですね」
山本キャスター
「これだけ大規模なものが造られるとなると、相当な時間もかかりましたよね」
高橋さん
「そこも大きな問題で、とにかく時間がかかりすぎると人も会社も含めて、流出を止められなくなるという教訓です」
地域づくりの担い手として期待「関係人口」とは
そうした被災地の課題を解決するため、高橋さんが目をつけたのは「地域の外の力」だ。震災後、都市と地方を繋ぐ事業を立ち上げた。
高橋さん
「活力を維持し続けるためにはどうすればいいかなと考えたときに、人口の共有だと思った。関係人口を入れて復興が終わった後も、地域の力になり続けることが大事だと思う」
「関係人口」とは、観光に来た「交流人口」と移住した「定住人口」の間で、離れた場所で暮らしながらその地域との関わりを持ち続ける人々のこと。例えば、その地域の出身者や元居住者、その地に魅力を感じ頻繁に行き来する人などをさし、地域づくりの担い手となることが期待されている。
人口流出が課題となっている大槌町では、その関係人口を増やす取り組みが始まっている。
4年前から町が行っている「はま留学」は、大槌高校の新入生を全国から募集する取り組みだ。
埼玉県から留学 高校3年
「テレビで被災地の状況を見て、自分も何かしたいなと。大槌高校に復興研究会という団体があって、そこに入りたくて」
子どもたちの滞在先は町内の民宿や家庭で、今は県外から9人が留学している。
NPOのスタッフとして「はま留学」を手伝っている東谷いずみさん(31)は、大学進学でいったん大槌町を離れたが、地元を思い、戻ってきた。
東谷さんは親元を離れた子どもたちの生活や、地域との繋がりをサポートしている。
NPO「カタリバ」 東谷いずみさん
「留学生たちの成長や変化を作り上げたいというのと同時に、留学生が来たことで、地域にとってどういうプラスな面があったかというところも、この事業を考える上で大事にしたい。中と外の力を合わせていいものを作れるような、そんな町にしていけたらいいなと思っています」
町の魅力を知った子どもたちが卒業後も関係人口として、大槌町に関わり続けることが期待されている。
神奈川県から留学 高校1年
「大槌まつりという一大イベントが年に1回ある。そのとき毎年戻ってきて(郷土)芸能団体の活動に参加できればなと思っています」
千葉県から留学 高校1年
「地域の企業と協力して、水族館を作っていく活動をやっています。卒業後も定期的に様子を見たりしていきたい」
能登でも「関係人口」拡大の兆しが…
地震と豪雨の爪痕が残る石川県珠洲市・大谷地区。
人口流出が進む中、復興の担い手をどう確保していけばいいのか。重政辰也さんは、被災地支援を続けている高橋博之さんに相談していた。
高橋さん
「決定的にこれから人をどうするんだというのが一番大きな問題。定期的にボランティアに来てくれる人とか、頻度が違うけどいろんな人が大谷に関わっているじゃないですか。この人たちをシステムに落とし込む、地域づくりにも巻き込んでしまう」
2月、能登空港内の施設で復興について考える集会が開かれた。輪島や珠洲の住民、能登出身者など40人以上が集まり、中には重政さんの姿もあった。
輪島市で飲食店経営
「今、支援されて炊き出しとか物資をもらう、ものすごく言葉が悪いですけど『もらって当たり前』。ただし、これから能登が目指さないといけないのは、この1年間支えてくれた方々に対して、僕たちはこう立ち上がりました、自立しましたということを見せることを今後考えていかないといけない」
輪島市で鮮魚店経営
「(支援)してもらった分、僕も美味しい魚をみんなに食べてもらう。『次も来たい』とリピーターになってくれた。僕は人との繋がりをこれからも増やす」
東日本大震災を経験した高橋さんは、被災者にしか分からない言葉を能登の人たちに伝えた。
高橋さん
「復旧復興も大変だったけどそれ以上に大変だったのは、復興予算が途切れて事業が終わった瞬間にみんな引いてって、いきなり寂しくなったことが耐えられないぐらい辛かったと話をしていた。支援する人・される人という壁を取り払うべきです。関係人口が担い手として、復興後の地域の活性化に繋げられる」
能登でも「関係人口」拡大の兆しが見え始めている。
能登町出身 石川・小松市在住
「毎週毎週、今日も小松から来て、二拠点の関係人口のうちの1人ですし、そういう人を増やしながら人と経済を回していく、自立を促していくことがこれから必要なんだろうなと」
東京から参加した大学生
「東京生まれ・東京育ちなんですけど、能登が好きだなと感じる瞬間が多くて今も通い詰めています」
重政さんは今後「地域の外の人の力」も借りながら地元の復興に繋げていきたいと考えている。
重政さん
「珠洲だけでも、やっぱり自分たちだけでもできない。もっと地域に落とし込んで、僕ら1人1人がポロッと出た一言とか、そういうのを吸い取って、その人たちの思いを形にしたりとか、その地域で過ごしたいと思えるようにしていくことが大事なのかなと」
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