E START

E START トップページ > 国内 > ニュース > 「集団自決」や「住民虐殺」アメリカ軍が上陸した沖縄・伊江島の悲劇 「遅かれ早かれ死ぬんだ」語り継ぐ男性の、当時7歳の記憶【戦後80年】

「集団自決」や「住民虐殺」アメリカ軍が上陸した沖縄・伊江島の悲劇 「遅かれ早かれ死ぬんだ」語り継ぐ男性の、当時7歳の記憶【戦後80年】

国内
2025-04-24 13:24

戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。80年前、「沖縄戦の縮図」といわれる凄惨な戦いがあった伊江島。7歳のときに父親と2人の姉を失った男性は、戦後、自らの体験を島の小学生に語ってきました。


内間亀吉さん
「内間亀三、内間ヨシ、内間ノリ、内間茂。捕虜になって、収容所まではみんな行って、収容所の中で死んでいる」


内間亀吉さん、87歳。80年前の沖縄戦で、父親と2人の姉たちを失いました。


沖縄本島からフェリーで30分ほどの伊江島。1945年4月16日、アメリカ軍が上陸すると、住民も戦場に駆り出され、いわゆる「集団自決」や住民虐殺が発生。「沖縄戦の縮図」と呼ばれる凄惨な戦いが繰り広げられました。


内間亀吉さん
「ここが私たち一族が避難した場所ですね」


当時7歳だった内間さんは、家族と親戚25人で墓に身を隠し、5日間を過ごしました。


内間亀吉さん
「この上から(米軍の)呼びかけがあったんですよ。『でてこい、でてこい、たまはない。くだものあげる。でてこい』。1個の物体が墓の入り口から投げ込まれて、ボンッという音とともに白い煙が出て、墓の中に充満して、のどが絞めつけられる、目は開けられない、息はできない。毒ガスですよ」


ガスを吸った父親と2人の姉、9人の親戚が収容所で命を落としました。


内間亀吉さん
「死というものの怖さは、あまり記憶にないですね。自分たちも死ぬ。遅かれ早かれ死ぬんだ。忘れようとしても忘れられない記憶ですね」


内間さんは自身の体験を、地元の小学生に伝えてきました。


内間亀吉さん
「(子どもたちは)ウクライナの状況はテレビでよく見ますから。ああいうふうになるよ。そこにいるのは住民でしょ?あなたたち子どもでしょ?だから戦争は絶対にやっちゃいかんよ」


7歳のときに刻まれた戦争の記憶。故郷の島が、その歴史を繰り返さないことを願っています。


スマホのバッテリーを長持ちさせるコツは?意外と知らない“スマホ充電の落とし穴”を専門家が解説【ひるおび】
「水道水がおいしい都道府県」全国1位は?“蛇口からミネラルウォーター”の地域も【ひるおび】
「パクされて自撮りを…」少年が初めて明かした「子どもキャンプの性被害」 審議進む日本版DBS “性暴力は許さない”姿勢や対策“見える化”し共有を【news23】


情報提供元:TBS NEWS DIG Powered by JNN

ページの先頭へ