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「治安維持法」制定から100年 取り締まりは一般市民にも…絵を描いただけで投獄された103歳 最後の生き証人が今に伝えたいこと【報道特集】

国内
2025-08-16 21:28

暴走した法律で自由を奪われた103歳の男性に話を聞きました。最後の生き証人が伝えるメッセージです。


【写真で見る】特高警察の活動の一端が紹介されている映画(「警察のひととき」1942年頃製作)


言われなき罪 投獄された103歳

日常の何気ない風景を絵にしただけで投獄された人がいる。菱谷良一さん(103)。


日下部正樹キャスター
「ここは?」


菱谷良一さん
「車庫だったけど物置代わりに、昔の絵見て懐かしいなと思ってね。これはアメリカのコロラド。これはジョンウェインだ。懐かしいな」


子供の頃から絵が得意だった菱谷さんは、15歳の時、美術教師になることを夢見て北海道の旭川師範学校に入学。美術部に入り、絵を学んだ。


当時、北海道では現実の生活をより良くするため、身の回りを観察し、ありのままを絵にする「生活図画教育」が盛んだった。


それを実践していたのが美術部の教師・熊田満佐吾さんだ。東京美術学校を出て、旭川に赴任した熊田さんは、工場で働く人や兵士の絵などを学生に描かせていた。


しかし、戦争を推し進める国は、こうした教育すら許さなかった。


太平洋戦争が始まる1941年の1月、熊田さんが特高警察によって逮捕され、そして、9月には菱谷さんも捕まった。その決め手とされたのが、この絵だ。


菱谷良一さん
「取り調べは『共産主義の本だ』と言う」


学生が語り合う姿を描いた作品「話し合う人々」。これを、特高警察は“共産主義の本を読んでいるに違いない”と決めつけ、菱谷さんを治安維持法違反で逮捕した。


日下部キャスター
「これは学生の生活をそのままリアリズムとして書いただけだと?」


菱谷良一さん
「理想の学生の姿を気負い立って描いた」


日下部キャスター
「ところが、特高警察はそう見なかった?」


菱谷良一さん
「特高警察は『共産党宣言だ』という」


日下部キャスター
「それまでに菱谷さんは、『共産党宣言』とか『資本論』とか読んだことありますか?」


菱谷良一さん
「何もない。知識として『アカ(共産主義)って何だ?』と聞いたことはある」


警察署での取り調べで菱谷さんは、いきなり「お前は共産主義運動をした」と決め付けられた。「違う」と言うと、途端に殴られたという。


日下部キャスター
「ビンタ?」


菱谷良一さん
「うん。抵抗した奴はうんとやられる。俺なんか意気地なしだから」


これは、菱谷さんが描いた取り調べの様子のスケッチだ。特高警察は共産主義に関する本を何冊も用意し、菱谷さんを無理やり共産主義者に仕立て上げようとしたという。


菱谷良一さん
「『共産主義、経済原論、マルクスは何か』と言われても分からない。『ここにある本、見ればいい』と。一生懸命見て、まとめて出した。みんな作文だよ。そして、自白調書に判を押させる」


当時まだ19歳。抵抗することもできなかった菱谷さんは、自白調書に押印することになってしまった。


菱谷さんは旭川刑務所に移送され、独房で軍隊の背嚢や、かばんの補修作業などをさせられた。


日下部キャスター
「この表情は何を訴えているんですか?」


菱谷良一さん
「煩悶、自由でないから、苦しい内心」


日下部キャスター
「死のうと思ったこともあるんでしょ?」


菱谷良一さん
「ある。だから錐とか針をこうやって、痛いんだわ」


零下30度にもなる刑務所での生活。投獄は1年3か月に及んだ。


検挙で賞金「天皇の警察官」の自負

治安維持法犠牲者たちの国家賠償を求める団体が作った映画がある。「種まく人びと」。その中で、特高警察官の父親を持つ男性が「国体を護ることが使命だった」と語っている。


特高警察官の子息 谷岡健治さん
「普段から天皇陛下を大事にしていた。天皇の警官だということで。天皇のためにと務めた。ご奉公したんじゃないでしょうか」


父の谷岡茂満さんは、1929年から13年にわたり特高警察官として働いていた。全国で共産党員ら300人が検挙された「三・一五事件」を始め、数々の治安維持法事件に携わってきた。


茂満さんが残した特高警察時代の資料が、今も家族のもとに大切に保管されていた。


谷岡茂満さんの孫
「自序、茶封筒の中にまとまって置いてあった。書いてる内容も分かりづらいというか」


茂満さんは、自伝で当時の社会情勢について、こう語っている。


「この時代の思想は、欧州大戦後の外来に侵され、自由主義、個人主義観念横流し、綱紀頽廃(=国の秩序が廃れる)し、三綱五常(=人として重んずべき道)の道に悖る者、甚だ多し」


天皇の警察として職務に忠実だった茂満さんは、共産党員や労働組合員などを治安維持法違反で次々に検挙した。そのたびに高額な賞金が与えられた。


仕事ぶりも高く評価され、最後は警察署長にまで上り詰めた。


小樽商科大学 荻野富士夫 名誉教授
「捜査検挙につき特別賞金六十円。今で言えば(月給)三十万ぐらいだったら(賞金)三十五万円というような臨時の手当を受ける。特高畑というのは花形、主流的な警察の中での存在であったということですね。『自分たちが国家のために、天皇のためにやってるんだから報われるべきであり、実際に報われてきている』ということですね」


警察が製作した秘蔵映画

戦時中の貴重な映画(「警察のひととき」1942年頃製作)がある。奈良県の警察署が製作したもので、特高警察の活動の一端が紹介されている。


字幕
「特高主任は、思想、経済、政治、各般の社会事象、防諜、検閲などの時事諸問題を」


署長に報告する特高警察官。制服ではなく背広姿だ。


「防諜当番」と掲げられた家から出てきた女性。後半は市民による防諜活動、いわゆる“スパイ防止”の意義を訴えるストーリーになる。


字幕
「おや怪しい男だ。警察の方から、防諜の話を聞いているが、もしかしたら?」


スパイではないかと疑う女性。帽子の男が残していったビラをすぐに確認する。


字幕
「アッ!!大変な不穏ビラだ。きっとスパイの仕事に違いない。早く警察へお知らせしよう」


知らせを受けた警察は手配中の上海のスパイとみて、一斉に出動。そして、逮捕に至る。映画の最後、通報した女性は、署長から表彰を受ける。


署長(映画に出演した)の息子
「これが母親と僕や。これ親父。親父を送り出しているところ」


撮影の指揮は出演する署長本人がとっていた。フィルムは家族の家で見つかったが、上映されたかどうかはわからないという。


署長(映画に出演した)の息子
「当時の官民が仲良く協力しながら。結局はそういう意識で、みんな頑張っていたということでしょう」


小樽商科大学 荻野富士夫 名誉教授
「駐在所や派出所が網の目のように張り巡らされてる。情報が市民から警察に届いて、特高警察へ繋いでいく。倫理的、道徳的な責任が、当局からも追及されますけれども、社会の人からも同じように追及される」


最後の生き証人のメッセージ

学生の日常風景を絵にしただけで、投獄された菱谷良一さん(103)。1942年12月、1年3か月の勾留を終え、釈放された。


翌年に行われた裁判で、懲役1年6か月、執行猶予3年の判決を受けた。逮捕されたことで学校は退学処分に。美術教師になる夢も絶たれてしまった。


自宅に戻って2か月が過ぎた頃、菱谷さんは箪笥の中から妹の赤い帽子を見つけた。それをおもむろに被ると、急に創作意欲が湧いたという。


菱谷良一さん
「メラメラと制作の意欲が燃えた。だから思いっきり描いた」


これがその時に描いた「赤い帽子の自画像」だ。抑え込んできた怒りと精一杯の皮肉が込められていた。


菱谷良一さん
「俺にこんな扱いをどうしてしたんだという怒りを、爆発させた絵。アカ(共産主義者)だと言ったから、妹の赤い帽子を被って、本当はアカ(共産主義)じゃないけれど、これでどうだって。皮肉。お前らがそう言うならどうだって」


その後(1944年)、陸軍の補充兵として召集された菱谷さんは、帯広の飛行師団司令部に1年半勤務したのち、終戦を迎えた。


1925年から終戦まで、20年にわたり運用された「治安維持法」。検挙された人は10万人前後にのぼるといわれている。のちに、“稀代の悪法”と言われたこの法律は、終戦後、GHQの命令によって廃止された。


菱谷さんは現在、旭川市内の老人ホームで暮らしている。


看護師
「いつも部屋の窓からここを見ていたわけですね?」


菱谷良一さん
「そうだね、これ(この景色)を描いているんだ」


看護師
「ここの景色もいいですよね」


菱谷良一さん
「ひとりで来れるといいな。できればこういうところに小さい椅子を持ってきて、スケッチでもしたいなと思う」


これまで国は、治安維持法による弾圧を受けた人たちに対し、謝罪や賠償は一切していない。それどころか、8年前のいわゆる共謀罪法を巡る審議の中で、当時の法務大臣はこう答弁していた。


金田勝年 法務大臣(2017年6月2日 衆院法務委員会 当時)
「治安維持法は、当時、適法に制定されたものでありますので、同法違反の罪にかかります、勾留拘禁は適法でありまして、刑の執行により生じた損害を賠償すべき理由はなく、謝罪及び実態調査の必要もないものと思料いたしております」


菱谷さんは謝罪と賠償を求めてきたが、何度ただしても、真剣に向き合わない国の姿勢にうんざりし、今年(2025年)は請願に行かないことを決めたという。


菱谷良一さん
「何も先生方は反応ない。弁償金は出せないけど、みんなで頭下げますくらいでもいい。100年前にどれだけ、罪もないのにな」


治安維持法制定から今年でちょうど100年。最後の生き証人となった菱谷さんは、再び、あの時代に戻らないことを強く願っている。


菱谷良一さん
「戦うの嫌、平和にいたい。声出すよ、死ぬまで。『平和を』と言って死ぬかもしれない」


日下部キャスター
「菱谷さんが一番大切にしてきたのは平和と自由?」


菱谷良一さん
「そうなの、それしかない」


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