
広島に原爆が投下されて80年。「子どもを戦争から守りたい」と自らの体験を語り続ける95歳の被爆者がいます。
被爆者の切明千枝子さん(95)。この日は、若者たちと平和イベントの打ち合わせです。
被爆者 切明千枝子さん
「いまの若い人たちを同じ目に遭わせてはならないぞ」
子どものころ、日本は「戦争の時代」でした。
被爆者 切明千枝子さん
「日の丸の旗を振りながら『万歳、万歳』。神様の国、神風が吹いて日本は勝つと」
戦火が激しくなると子どもたちも軍需工場にかりだされました。空襲の火災が延焼するのを防ぐために家などを取り壊す、「建物疎開」にも動員されました。
被爆したのは、女学校の生徒だった15歳のとき。動員先の工場を出て、建物の軒先に入ったときでした。
被爆者 切明千枝子さん
「汗をふこうと入った瞬間、ピカっと光った。太陽が落ちたかというくらいの光線」
原爆の強烈な熱線と爆風、そして、放射線。街は遺体で溢れました。
女学校に戻った切明さんが見たのは、爆心地のすぐ近くで「建物疎開」をしていた下級生の姿でした。
被爆者 切明千枝子さん
「何人かは帰ってきたが、体中、水ぶくれ、やけどで。むけた皮膚が爪があるから抜けず、止まってぶら下がる。『お母ちゃん、お父ちゃん、痛いよ、熱いよ』」
遺体は自分たちで火葬しました。
被爆者 切明千枝子さん
「夏の暑いとき、放っておいたら腐敗を始める。この手で何人も何人も下級生を焼いた」
「私たちのクラスメート、下級生、そんなことのないよう、しっかり平和を守って」
切明さんは、世界情勢や「防衛力の強化」を求める声に危機感を募らせています。
被爆者 切明千枝子さん
「昭和の初めに作られた俳句『戦争が 廊下の奥に 立ってゐた』。私はいまも戦争は廊下の奥に立っていると思う」
10年以上前から、自分の体験を証言するときに必ず身に着けているというアクセサリー。証言を聞いた子どもたちが丸めた紙粘土のネックレスです。
被爆者 切明千枝子さん
「子どもたちを戦争、核兵器なんかで死なせてなるものか」
二度と子どもたちを犠牲にしない。95歳の被爆者の願いです。
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