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軍事機密で消えた天気予報 亡くなった元職員の「天気が秘密にならない時代」への願い【戦後80年】

国内
2025-11-23 18:59

戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。いま、私たちが当たり前に知ることができる天気予報が、戦時中は軍事機密とされました。その記録と証言です。


熊本県の新聞社に保管されている、1941年12月7日の夕刊です。きょうの天気とあすの天気、どちらも「北の風、晴れたり曇ったり」という予報が掲載されていました。この日の新聞には、緊迫する日米交渉の記事も載っています。


翌日の8日。「交渉は遂に決裂」「8日未明米英両軍と戦闘開始」。紙面のいつもの場所に天気予報はありませんでした。


開戦とともに軍から命じられた「気象報道管制」。敵国に日本の気象情報を知られないように、天気予報は軍事機密とされ、突然、新聞から消えてしまったのです。


予報を発表していたのは気象台の前身、熊本測候所です。そこで働いていた山田貢さん(当時92)が、10年前に当時のことを話してくれました。


熊本地方気象台 元職員 山田貢さん
「天気予報は絶対、外にもらしたらだめ。戦時中は。家族にも言っていなかった」


天気図には「極秘」という文字が記されていました。一般には秘密とされた天気予報。ただ、観測や予報は日本軍のために休むことなく続けられていました。


1945年8月10日。


「空襲に依り焼夷弾落下す。午前10時5分所長官舎離れより発火。各要素に影響ありと思はる」


各要素とは気温や湿度、風などの観測のこと。空襲の中でも続いた観測。そのときの状況は過酷でした。


熊本地方気象台 元職員 山田貢さん
「防空壕に入った途端、バラバラになる焼夷弾の一つが、私のところに入ってきた。足は全部やけどして、顔と手も」


8月15日正午。熊本では、どんな空のもとで終戦を知らされたのか、読み解いてもらいました。


熊本地方気象台 佐藤孝久 調査官
「空を10割として7割の雲量がある。15日朝から雨が上がっていて、その後、日中にかけて晴れてきた状況だったと見受けられます」


気温は31.3℃、湿度は60%。やや蒸し暑い空気が想像できます。


6日後の8月21日。3年8か月続いた気象報道管制は解除されました。


93歳で亡くなった山田さん。願っていたのは天気予報が秘密にならない時代が続くことです。


熊本地方気象台 元職員 山田貢さん
「平和であってもらいたいです。もう戦争は嫌です」


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