戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。太平洋戦争末期、旧陸軍は“ある兵器”の製造を秘密裏に行っていました。従事していたのは、学徒動員の女学生たち。戦争によって青春を奪われた女性の証言です。
新妻篤子さん
「今度こそ死ぬのかなと考えていた。大事な少女時代は戦争、戦争で終わったから青春も何もなかった」
福島県大熊町の新妻篤子さん(97)。戦時中、“ある兵器″の製造を行っていました。それは風船爆弾。太平洋戦争末期に旧陸軍が秘密裏に進めた兵器です。使用するのは、和紙でできた直径10メートルの気球。そこに爆薬をつり下げ、アメリカへ放たれました。
福島県いわき市には、当時の貴重な資料が保管されています。
いわき市勿来関文学歴史館 渡邊千香 学芸員
「こちらは風船爆弾の球皮の一部。和紙にコンニャクで作ったのりを貼り合わせて気球を作った。風船爆弾は秘密作戦だったので、終戦と同時に資料が廃棄されたり燃やされたり、ほとんど当時の資料が残っていないと言われている」
風船爆弾は、福島など太平洋沿岸から9000発ほどが打ち上げられ、アメリカでは6人が犠牲となりました。
兵器を作っていたのは、学徒動員で集められた女学生たちでした。
いわき市勿来関文学歴史館 渡邊千香 学芸員
「陸軍の考えで紙を使った兵器ですので、紙を破かないように繊細な指先を持っている若い女性が製作したほうがいいという考えがあった。全国各地の高等女学校の生徒たちが風船爆弾を作っていました」
新妻さんも兵器の製造を強いられ、青春は戦争一色でした。
新妻篤子さん
「とにかく戦争が負けていたから、玉砕して兵隊はみんな死んでいるから、やっぱり生きることだけ考えていた。世の中のことは考えなかった」
世界中で相次ぐ紛争。戦争を経験したからこそ、伝えたいことがあります。
新妻篤子さん
「戦争はあってはならない、犠牲者が出るから。子どもでもなんでも亡くなってしまう爆撃されて。話し合って、ちゃんと納得いくまで話をして、ことを決めればいいと思う」
終戦から80年経ったいま、求めれているのは対話です。
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