
今、再審制度を見直す刑事訴訟法の改正案をめぐり、自民党内では怒号が飛び交う前例のない事態となっている。最大の焦点は「検察の抗告権」の扱い。全面禁止を求める有志の議員と、認めることはできないと主張する法務省側。その背景、それぞれの主張の根拠、そして落としどころはどこにあるのかを、最前線で取材を続ける記者2人が解説する。
「1ミリも私たちの言い分を聞かない」 なぜ法案は紛糾するのか
「何も1ミリもね、私たちの言い分聞かないじゃないですか」
「ほとんどの議員が抗告禁止って言っているにもかかわらず、それを全く無視している」
今月6日、自民党本部で刑事訴訟法の改正案を議論する会議が始まる前、稲田朋美議員の怒号が響き渡った。
いま自民党内で、三審制の裁判を経て刑が確定した後にえん罪が疑われる場合、裁判のやり直しを求める「再審」の制度を見直す法案をめぐり、政府案と、それに反対する自民党の有志議員との間で激しい議論が続いている。
注目すべきは、この議論が閣議決定前の事前審査であるということ。TBS政治部で与党担当の青木孝仁記者は「与野党が特に重要と位置付けた法案である『重要広範議案』が、閣議決定前の段階でこれだけ揉めるのは異例のこと」だと指摘する。
最大の焦点は、検察官の「抗告」の扱いだ。
抗告とは、裁判所が出した決定に不服を申し立てる手続きのことだ。現在の再審制度では、地裁が裁判のやり直しの開始を決定しても、検察が抗告すれば高裁で改めて審理され、高裁が支持しても検察が再び抗告すれば最高裁まで手続きが続く。
稲田氏をはじめ、有志の議員らは検察官の抗告を「全面禁止」するよう強く求めているが、政府案との考え方には隔たりがある。この溝が議論を紛糾させている。
裁判のやり直しを阻む「抗告」の壁 袴田さんの事件が投げかけた課題
この問題に社会的な注目が集まる大きなきっかけとなったのが、袴田巌さんの再審だ。
1966年に静岡県で起きた一家4人殺害事件で死刑判決を受けた袴田さんは、2014年に一度、地裁で再審開始決定が出された。しかし、検察が抗告。その後、実際に再審が始まるまでに9年もの歳月を要し、2024年に無罪判決が確定した。
「人生の貴重な時間が手続きによって奪われてしまう現実がある」
こうした経緯から、2024年には党派を超えた議員たちが、えん罪被害者の迅速な救済を訴え、国会で声を上げるようになった。この動きが今回の法改正検討の出発点となっている。
「全面禁止」か「原則禁止」か 対立する議員と法務省の主張
「えん罪被害者の迅速な救済を優先したい」というのが稲田氏ら法案に反対する議員たちの基本的な立場だ。そのため政府案では不十分であり、検察官の抗告は「全面禁止」すべきだと主張する。
これに対し、法務省側はなぜ「抗告」の権利を残そうとするのか。
法務省の主張の中心にあるのは、刑事裁判の根幹をなす「法的安定性」という考え方だ。刑事裁判は、地裁、高裁、最高裁のように三審制のもとで慎重な審理を重ねて判決が下される。検察官の抗告を全面的に禁止してしまうと、この重い手続きを経て確定した判決が、一審である地裁の判断だけで覆されることになる。
TBS社会部で法務・検察担当の重松大輝記者の取材によると、それでは「元の確定判決の重みが失われ、刑事裁判のあり方のバランスが崩れる」というのが法務省の懸念だという。また、再審を請求する側は抗告ができるのに、検察側だけが一切できなくなるのは、制度として「公平性を欠く」という主張もあると話す。
「抗告権の維持」→「原則禁止」が“法務省の精一杯”
法務省が当初提出した原案では、検察の抗告権は全面的に維持されていた。しかし自民党内の会議で異論が相次ぎ、法務省は修正を迫られることになった。
1回目の修正案の内容は、検察の抗告権を維持しつつも制限を設けるというものだった。具体的には「再審開始決定を取り消すべき十分な理由があると認める場合でなければ抗告してはならない」という制限を加えること、また抗告後の審理期間を1年以内に制限することなどが盛り込まれた。
しかしその後も自民党内の反発は収まらず、法務省は2度目の修正を迫られる形となった。
重松記者によれば、現時点で法務省側が検討している修正案は「抗告の原則禁止」だという。ただし「再審開始決定を取り消すべき十分な理由がある場合」に限り、例外的に抗告を認めることも盛り込む方向で検討が進んでいる。
原案から大きく方針を転換したこの最新の修正案について、重松記者は「法務省としてはできる精一杯の修正を加えたと思う」と評する。
議員側と法務省 それぞれの譲れない主張とは
それぞれの主張には、譲れない論拠がある。
法務省側は「慎重な手続きを欠くことで誤った再審開始決定が出てしまう」ことを危惧する。それは当然、法務省が無辜の人を罰したいと考えている、ということではない。慎重で厳正な手続きの上で、できる限り「真に罪を犯した人を取り逃す可能性」を減らしたいと考えているのだ。また、検察幹部からは「犯罪被害者や遺族の感情を考えても、安易な再審開始では、納得できないだろう」という声も聞かれると、重松記者は話す。
法務省にとって、検察官抗告の「全面禁止」は、日本の刑事司法の根幹を揺るがしかねない、認めがたい一線なのだ。
これに対し、有志議員側の反論もある。再審開始決定は「無罪が決まった」わけではない。その後に再審の公判が始まり、改めて有罪か無罪かが三審制のもとで慎重に判断される。そのため非公開での再審請求審を抗告で引き延ばすのではなく、公開の法廷で双方が主張を尽くすべきではないか——というのが有志議員側の論理だと、青木記者は指摘する。稲田氏は4月21日の会見でこうも述べている。
「再審開始を広くしようというわけではない。無罪を言い渡すべき明らかな証拠を新たに発見したとき、厳しいハードルを越えて再審を決定したのであれば、抗告をせず次の公判に行くべきだ」
この「再審請求審ではなく、再審公判で争うべきだ」という意見に対して、法務省側は、再審とは「裁判のやり直し」であることから、簡単に再審が開かれてしまうと、三審制のもとで確定した元の判決が意味を持たなくなり、再審が事実上の四審、五審…となってしまう。さらに、再審請求は何度でもできるため、判決がいつまでも確定しない状態となってしまう。そのため、再審を開くかどうかについても、慎重な審理が必要なのだと主張している。
ここに双方の論理の根本的な乖離がある。法務省が「厳正な審理を保障する制度の枠組みを守るべきだ」と主張するのに対し、議員側は「厳しいハードルを越えた決定を長引かせることが救済につながるのか」と問いかける。どちらもそれぞれの正義を持った主張であり、容易に折り合えるものではない。
重要法案が党内で漂流 高市政権の行方を占う綱引き
与野党双方が「重要法案」と位置付ける法案が、閣議決定前の党内審査でこれほど紛糾するのは極めて異例のことだ。
今回の議論の特徴は稲田氏ら反対派の声が大きく報道される一方で、政府案に賛成する議員の声があまり表に出てこないことだ。当然、党内の全員が抗告の禁止を主張しているわけではない。
「いわば国民にペナルティを与える刑法は民法とは違う。三審制、法的な安定性は大切だ」「高市内閣が提出する法案は粛々と進めるべき」といった意見も存在する。ただ、ある自民党関係者は「政府案に賛成する側の主張は国家論的な話で世論的にも得にならないから声が大きくならないのではないか」と指摘する。
仮に法案が提出されることになっても成立までの道のりは長い。党内で決着した後、与党の日本維新の会と協議し、了承の手続きを取る。この後ようやく閣議決定されて国会に提出される。
国会に提出されてからも成立までには大きな壁がある。衆議院では与党が圧倒的な議席を持つが、参議院は過半数を割る「少数与党」の状態であり、審議の舞台となる法務委員会の委員長は野党が務め、野党の多くは抗告禁止を求めるとみられる。青木記者によると、反対派議員からは「自民党内ですら納得させられない説明で、国会審議を乗り切れるとは思えない」との声も上がっているという。
高市総理は、総理就任後の所信表明演説で「再審制度のやり直しに対して検討を進める」と表明しており、この法改正は政権の公約の一つでもある。しかし、現状は「与党審査も踏まえて適切に判断する」と述べるにとどまり、静観の構えを見せている。
「重要法案が成立しなければ、政権へのダメージは必至」との声もあるだけに「生煮えのまま強行するか、法案を取り下げるか。今や大詰めの段階だ」と青木記者は話す。最終判断を下す総理の対応が注目される。
「熱を冷ましたい」?持ち越された議論 落としどころは?
両者の主張は平行線をたどり、4月23日に予定されていた党内の会議は急遽中止となった。議論は大型連休明けに持ち越される見通しだ。
青木記者によると、ゴールデンウィークを前に「一度、熱を冷ましたいのではないか」と指摘する声が上がっているという。一方で有志の議員たちからは「議論を重ねたい」との声も。国民的な関心が高いうちに議論を前に進めたい、という思いがあるからだ。
法務省内の空気について、重松記者は「極めてピリピリとした空気感がある」と伝える。その上で「全員が納得できない法案は通すべきではないというのは、議員も法務省も同じ思いのはず。どこまで歩み寄れるかだ」と語った。
袴田さんの再審無罪判決では、捜査機関による証拠の捏造が認められ、他のえん罪事件でも供述の誘導や自白の強要があったとされた。この点について、重松記者は、「法務・検察幹部の多くが『過ちは反省し、二度と起きないようにしなければならない』と話す一方で、検察官抗告については『検察のためではなく、日本の刑事司法のために残さないといけない』と訴えている」と伝える。
それぞれの「正義」がぶつかり合うこの議論に、落としどころは見つかるのか。今後の行方が注視される。
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