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『笑点』60周年 100年続けるために必要なことは? 春風亭一之輔「ギャラのアップ」

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2026-05-01 04:30
『笑点』60周年 100年続けるために必要なことは? 春風亭一之輔「ギャラのアップ」
『笑点』60周年の会見に出席した春風亭一之輔 (C)ORICON NewS inc.
 1966年5月にスタートした日本テレビ系演芸番組『笑点』(毎週日曜 後5:30)。今年2026年に60周年を迎えた。「大喜利」のコーナーに出演する落語家の三遊亭好楽、三遊亭小遊三、春風亭昇太、林家たい平、立川晴の輔、春風亭一之助、桂宮治、座布団運びの山田隆夫が、このほど都内で会見を開き、思いを語った。

【写真】歴史と伝統を感じさせる『笑点』看板

 会見では「『笑点』が60年続いた理由は」という質問が。ただ、自由気ままな回答をする好楽に昇太はツッコミ。好楽は「自分が山田隆夫だと思っていました」と照れ笑いを浮かべた。次順の小遊三は「答えにくい(笑)」と苦笑いで、60年続いた理由は「制作責任者の日本テレビさんとしか言いようがない。産みの苦しみはあったでしょうけど、箱根駅伝と同じでタスキをつないできた。ブレーキをした人もいれば、区間新記録を出した人もいる。なんとか、みんなでいい成績でタスキを次に渡したいと思っています」と話した。改めて好楽は「小遊三さんの言った通りです。プロデューサーも、あんなに変わっている。今のプロデューサーは、うちの娘と同い年。セコいんですよ、みんな(笑)。バトンタッチがうまくいったから60年も続いたんじゃないか。スタッフの勝利です」と力強く語った。昇太は「進化しなかった。普通の番組は視聴率が下がると、テコ入れをする。(『笑点』は)何のテコ入れもしない。そのままダラダラやってきた。ほかの番組が進化しても、『笑点』は進化しなかったからガラパゴス諸島みたいになった。ほかの地域では見られない不思議な生き物が生き残った。それがよかったんじゃないかなと本当に思います」と話していた。

 たい平は「日曜日の夕方に必ず現れるお茶の間だった。お茶の間というのがこの国からなくなっていく中で、日曜日の夕方だけは、おじいちゃん、おばあちゃん、それからお孫さんまでが一緒になって、テレビの前に集まる。たぶん日本人のDNAの中に『これが幸せだ』というようなものを感じる。それを感じ取ってくれて、ずっと『笑点』が提供し続けることができたので、愛していただけてるのかなと思っております」としみじみ。“模範解答”に昇太は「こういうことを言わないと」と好楽をイジり、好楽は「今言おうと思った」と当意即妙に返して笑いが広がった。

 晴の輔は「僕は一番新人でございまして…」と恐縮しながらも「感じるのが、個性が本当に皆さんバラバラなんです。バラバラのチームワーク。60年前から実は多様性があったのかなって思うぐらいにバラバラのチームワークが続いている秘訣(ひけつ)かなと思いました。家族という感覚です」と話した。一之輔は「お子さんに人気がある。色がカラフル。僕の知り合いのお子さんがセサミストリートと間違えて見ている。山田さんがエルモみたい。目に面白い。そういうのもいいんじゃないですかね」とボケていた。宮治は「全ての皆様のおかげです。ありがとうございます!」と話し、全員があきれると宮治は「最後は大変なんですよ!」とボヤく。実は“大トリ”として山田が残っており、カミナリが。宮治は「本気で怒られました」と苦笑いだった。改めて山田は「『笑点』60年、私も芸能生活60年。『笑点』は42年やらせていただいています。最初の(立川)談志師匠から前田武彦さん、三波伸介さん、五代目(三遊亭)円楽師匠、(桂)歌丸師匠と一緒にやってきました。みんなの師匠から『山田くん』とかわいがっていただきました。ぬるま湯に入ってるような状態で。とにかく熱くも冷たくもないぬるま湯でずっと来て、60年経ったと思います」と居心地の良さを語っていた。

 「今後、『笑点』が続いていくために必要なことは」という質問が。一之輔は「ギャラのアップですね。モチベーションが大事なので。書いておいてください。『笑点』だけでは生きていけない。僕、生きていけると思ったんですけどね…。案外、そうでもなかった」とこぼす。たい平は「もう20年ちょっとになります。5代目の(三遊亭)円楽師匠の司会から始まり、歌丸師匠の司会そして、今の昇太師匠の司会、それからの回答者でも僕が子どものころからテレビで見ていた師匠方とずっと共演させていただいた。いろんな師匠方から『笑点』という番組が、どういう番組なのかを常日頃、移動中であったり、食事をしながらであったりで聞いていますので、それを今度は後輩に押し付けるのではなくて、先輩たちの思いを引き継ぎながら、それを後輩たちに語れるような中継地点のような存在で。若い人に『こうしろよ』『ああしろよ』ではなく『笑点』の僕が受け取った思いを、これから来る後輩たちに伝えていければな、と。それが僕のこれから100年続くための役割かなと思います」と熱く語った。

 晴の輔は「たい平師匠にいろいろ教わった。やっぱり先輩方は日本のおみそ汁のような香りがする。僕自身、この色じゃないですけど、なんかコーンスープだみたいな…。そういう匂いが出るように、先輩方からお話を聞いて、1回1回を。60年続いていることに関われるだけでもすごい幸せなこと。このバトンは本当に重要だなと思ってます。それも含めて1回1回を大切に出演させてもらいたいなと思っています」とする。宮治は「一之輔兄さんと晴の輔兄さんよりも先に入ったんですけど、香盤の序列が1番下で…。早く先輩になりたいんですよ。なので、100年続くためには早くいろんなことがあり…。先輩だぞ、と…」とし、好楽&小遊三がギロリと視線を向ける。宮治は「別に何かがあるってわけじゃないですよ!ただ今のままだとずっと後輩なので。誰かはわからないですよ!」と大慌てになっていた。

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