エンタメ
2026-09-12 08:10
2019年、既存のメディアとは異なり、企業の活動を社内外に伝える“オウンドメディア”として設立された『トヨタイムズ』。一般的な“企業広報”とも異なる形で、企業スポーツの応援から、新規事業の最前線の現場、はたまた社長・会長の本音を聞く直撃インタビューまで、タブーなしでさまざまなコンテンツを創出。同メディアサイトのみならず、公式YouTubeのチャンネル登録者数は2チャンネルで約150万人(トヨタイムズ→93.2万人/トヨタイムズスポーツ→46.7万人※9月12日現在)を誇る人気媒体に成長を遂げてきた。立ち上げから8年、このメディアをけん引してきたのが、富川悠太&森田京之介という元キー局アナウンサーの2人。大手テレビ局から“オウンドメディア”へ転身し、それぞれ異なる立場・アプローチで『トヨタイムズ』を引っ張る2人に、それぞれの転職からこれまでの軌跡から、さらに“オウンドメディア”の現在地まで、話を聞いた。【インタビュー全3本/1本目】
【撮り下ろし写真】『トヨタイムズ』を引っ張る元アナウンサーの富川悠太と森田京之介の近影
■テレ東勤続10年→転職エージェント通じて転職へ
現在『トヨタイムズ』のなかでも、主にスポーツ(モータースポーツやトヨタアスリート)を取り扱う『トヨタイムズスポーツ』を担当している森田は、もともとテレビ東京のアナウンサー。10年間勤務するなかで『ウイニング競馬』『ネオスポーツ the documentary!』から、『ニュースモーニングサテライト』『ワールドビジネスサテライト』まで、さまざまなジャンルの番組を担当し、アナウンサーのキャリアとして順風満帆に歩むなか、自身のなかにある思いが高まっていったという。
「経済ニュースを扱うなかで、企業を取材することが多くて。特に取材対象は“輝いてる人”が多い。なので、メディアの仕事をやりながらも、自分の事業を持ってなんかやってる人たちに対しての憧れみたいなものが、取材のたび発生するんです。“そっち側”に対する憧れみたいなのが、あったんですね」
もう一つ、“転職”へ気持ちが傾いたのが、2017年から20年まで3年間駐在したニューヨークでの経験だったという。
「3年間のニューヨーク駐在中に、『日本の企業がどんどん力を失ってます』みたいな報道が相次いだ時期だったんですよ。『タイムズスクエアのカウントダウンの東芝の看板が最後です』『中国、韓国のメーカーの看板は出てるけど、日本の企業の存在感というものがどんどん薄くなっていくんです』みたいなリポートをしたんですね。そんななかでも、ニューヨークで日本を感じられるものが2つあって、1つは『すし』。もう1つが『日本車』だったんです。ニューヨークを走っている車、ほとんど日本車なんですよ。日本が世界で戦っていくためには、車の世界なんだなっていうのをすごく思っていたんですね。経済ニュースの世界で取材をしてると、トヨタ自動車という企業の存在感も分かっていて。一般的にはやっぱりお堅い大企業って言われてるけど、『トヨタイムズ始めます』とか、『モビリティカンパニーになります』とか、『ウーブン・シティ始めます』(トヨタ・ウーブン・シティ=未来の当たり前となるようなプロダクトやサービスを生み出し、実証するモビリティのテストコース)とか、なんかチャレンジングな会社なんじゃないか。そこに、“伝える側”の自分が果たせる役割もありそうだと思って、転職を考え始めました」。
なんの“コネ”もないなか、自ら転職エージェントに登録して、「トヨタに入りたいんだけどどうしたらいいか?」と問い合わせ。エージェントに「こういう志望者がいるけどどうか?」とトヨタに聞いてもらったところ、面接を受けられることに。これまでの実績が評価されて2021年に入社することになったのだが、その時は『トヨタイムズ』を意識してはいなかったという。
「『トヨタイムズ』があることは知っていましたし、“伝えること”に対してこだわっている部分はあるなと思ったんですけど、でも、会社の広報って、やることは同じなんじゃないかと思ってたんですよ。例えば車を作ってる人たちに話聞いて、それをメディアの人たちに渡すという意味では、(アナウンサーとしての伝えてきた今までの)ポジションが1個ずれるだけで、やることは一緒なんじゃないかなと。
どれだけ聞き出せるかなどでは(これまでの経験を生かして)役立てるだろうし、ただ、自分が画面に出てマイク持って伝えるということはないかなと思っていました。なので、広報という部分をしっかりいちから勉強しようかなと思って入ったら、突然本社の社長室に呼ばれて、面接みたいな(笑)。いきなり、雑誌を読んで30秒での宣伝や、『GRヤリス』に乗った(豊田)章男会長が土煙上げながら激しく運転している映像を観ながら実況を求められて、しゃべり続けていたら、(『トヨタイムズ』の)取材に行きなさいということになりました(笑)」
■『トヨタイムズスポーツ』の前身『トヨタイムズ放送部』誕生秘話
転職早々、森田に大きな仕事が舞い降りる。それはコロナ禍の影響で1年延期になった「東京オリンピック・パラリンピック」だった。
「コロナ禍だったので、海外からアスリートも来るけど、無観客になってアスリートは応援されなくなってしまうと、すごく孤独に戦わなきゃいけない。そんな中でも特に海外から来るトヨタ(所属)のアスリートもいっぱいいたので、そこにどうにかして応援を届けてほしいと当時の社長から言われまして。トータル30日間くらい開催期間があるので、30日間毎日、30分生放送。テレビやってた側からすると、『そんな企画を1ヶ月前に立ち上げるの大丈夫か?』って思ったんですけど、手探りで手作りながらやるってことになったんで、『トヨタイムズ放送部』って名前つけて始めたんですね」
立ち上がったはいいものの、一般的なメディアと異なり、競技の映像も使えない、選手は選手村に入ってしまい取材もできない。そんな中で、何をどう伝えるか、工夫をして30日間続けた。
「選手の周囲の人たちを取材したり、イラストで表現したりという手探りのなかで30日間やりました。これが、会長の『トヨタがみんなのお父さんとして応援を届けたい』っていうその思いの出発点。ちょっとでもトヨタの仲間に、一緒に戦ってる仲間がいることを伝えて、その彼らが現地には行けないけど応援してることを何か伝えられるかなみたいな、そんなことをやった30日間でした」
この経験は、森田が『トヨタイムズスポーツ』を担当する原点になった。
「オリンピック、パラリンピックだけじゃなくて、マイナースポーツにももっと光を当ててほしいし、パラスポーツもこういう見方で見てほしいということを言われたんです。(一般的な)メディアでやると、どうしてもメジャーなスポーツに行きがちになる。でもマイナースポーツでも、こういう掘り下げ方すると面白いんだとか、だったら絶対これ伝えた方がいいなとか。そういった思いにどんどんなりながら30日間やって駆け抜けて。そこからこう、毎週スポーツに関してのことを配信するようになっていきました」
『トヨタイムズ』の特徴的な視点のひとつである、“応援”という取材姿勢はこうして醸成されていった。
■企業広報と、オウンドメディアがうまく密接に絡み合っていくっていう形が大事なんじゃないか
森田は現在「広報部」に籍を置きながら、スポーツを中心に『トヨタイムズ』のコンテンツを企画。そんな“応援”という取材姿勢と、広報としてメディアと対峙(たいじ)する新たな企業広報のかたちが実践されたのが、2024年に行われたフィギュアスケート・宇野昌磨選手の引退会見だった。
「宇野選手の記者会見を生配信でやりました。記者会見をただ垂れ流すのではなくて、『トヨタイムズ』の番組として、宇野選手の思い、言いたいことをある程度引き出した上で、メディアの人たちの質疑とくっつけて、ハイブリッドな形をとる。記者会見で記者の質疑応答だけでは伝わらないことがあるなと」
「挑戦だった」と森田は話すが、“オウンドメディア”という距離の近さを生かした取材とともに、一般メディアの俯瞰(ふかん)的な視点からの質疑を組み合わせたこれまでにない会見の形が大きな反響を呼んだ。
「章男さんから、『トヨタイムズをニュースが出る場所にしていきたい』と言われていて。今、『トヨタイムズ』で出たことが、それがニュースとなって出てくるみたいなことに徐々になりつつあって。人に伝わるっていうのは、やっぱファクトだけじゃなくて、そこにストーリーがあってこそ。ストーリーは、作るっていうよりも自然に、勝手にできていくようになっていくんです」
会見中、章男会長が宇野選手へ送った「今までは個人競技だったけど、(今後は)誰かのための仕事になるから、そんな目線で頑張ってみたら」というメッセージ。会見から2年後の2026年5月、宇野は本田真凜とアイスダンスチームを結成することを発表。ひとりではなく、誰かとともに動き始めた宇野の姿に、森田は章男会長の言葉が重なってみえた。
「競技選手として現役復帰をするって話になった時に、(この2年間で)『誰かのために』を知った宇野選手が、今度は1人じゃなくてアイスダンス、『誰かがいる』競技として戻ってくるっていうストーリーにつながったりするっていうのは、すごく言葉の重みとか、言葉によって導かれていく様子は見ていて面白いし、やっぱそこを伝えることっていうのはすごく意味あることなんじゃないかと思いました」
インタビュー2本目では、富川の転職&これまでの軌跡を、3本目では森田と富川が“オウンドメディア”の現在地について語る。
【動画】話題になった舞台裏…森田京之介が追い続けた、宇野昌磨の引退&アイスダンスペア結成に至る思い
【動画】トヨタ豊田章男会長、“ノリノリ全開”で「夜の踊り子」 サカナクションとのコラボ映像に驚きの声
【写真】「嬉しすぎます」豊田会長からの“誕生日祝い”を公開した富川悠太氏
【写真】「なんて素敵な家族」「次男君パパに雰囲気似てる」富川ファミリーの親子3ショット
【写真】「絶対モテモテじゃん」「おめでとう」スーツ姿で決めた富川立夢の“入学式ショット”
【撮り下ろし写真】『トヨタイムズ』を引っ張る元アナウンサーの富川悠太と森田京之介の近影
■テレ東勤続10年→転職エージェント通じて転職へ
現在『トヨタイムズ』のなかでも、主にスポーツ(モータースポーツやトヨタアスリート)を取り扱う『トヨタイムズスポーツ』を担当している森田は、もともとテレビ東京のアナウンサー。10年間勤務するなかで『ウイニング競馬』『ネオスポーツ the documentary!』から、『ニュースモーニングサテライト』『ワールドビジネスサテライト』まで、さまざまなジャンルの番組を担当し、アナウンサーのキャリアとして順風満帆に歩むなか、自身のなかにある思いが高まっていったという。
「経済ニュースを扱うなかで、企業を取材することが多くて。特に取材対象は“輝いてる人”が多い。なので、メディアの仕事をやりながらも、自分の事業を持ってなんかやってる人たちに対しての憧れみたいなものが、取材のたび発生するんです。“そっち側”に対する憧れみたいなのが、あったんですね」
もう一つ、“転職”へ気持ちが傾いたのが、2017年から20年まで3年間駐在したニューヨークでの経験だったという。
「3年間のニューヨーク駐在中に、『日本の企業がどんどん力を失ってます』みたいな報道が相次いだ時期だったんですよ。『タイムズスクエアのカウントダウンの東芝の看板が最後です』『中国、韓国のメーカーの看板は出てるけど、日本の企業の存在感というものがどんどん薄くなっていくんです』みたいなリポートをしたんですね。そんななかでも、ニューヨークで日本を感じられるものが2つあって、1つは『すし』。もう1つが『日本車』だったんです。ニューヨークを走っている車、ほとんど日本車なんですよ。日本が世界で戦っていくためには、車の世界なんだなっていうのをすごく思っていたんですね。経済ニュースの世界で取材をしてると、トヨタ自動車という企業の存在感も分かっていて。一般的にはやっぱりお堅い大企業って言われてるけど、『トヨタイムズ始めます』とか、『モビリティカンパニーになります』とか、『ウーブン・シティ始めます』(トヨタ・ウーブン・シティ=未来の当たり前となるようなプロダクトやサービスを生み出し、実証するモビリティのテストコース)とか、なんかチャレンジングな会社なんじゃないか。そこに、“伝える側”の自分が果たせる役割もありそうだと思って、転職を考え始めました」。
なんの“コネ”もないなか、自ら転職エージェントに登録して、「トヨタに入りたいんだけどどうしたらいいか?」と問い合わせ。エージェントに「こういう志望者がいるけどどうか?」とトヨタに聞いてもらったところ、面接を受けられることに。これまでの実績が評価されて2021年に入社することになったのだが、その時は『トヨタイムズ』を意識してはいなかったという。
「『トヨタイムズ』があることは知っていましたし、“伝えること”に対してこだわっている部分はあるなと思ったんですけど、でも、会社の広報って、やることは同じなんじゃないかと思ってたんですよ。例えば車を作ってる人たちに話聞いて、それをメディアの人たちに渡すという意味では、(アナウンサーとしての伝えてきた今までの)ポジションが1個ずれるだけで、やることは一緒なんじゃないかなと。
どれだけ聞き出せるかなどでは(これまでの経験を生かして)役立てるだろうし、ただ、自分が画面に出てマイク持って伝えるということはないかなと思っていました。なので、広報という部分をしっかりいちから勉強しようかなと思って入ったら、突然本社の社長室に呼ばれて、面接みたいな(笑)。いきなり、雑誌を読んで30秒での宣伝や、『GRヤリス』に乗った(豊田)章男会長が土煙上げながら激しく運転している映像を観ながら実況を求められて、しゃべり続けていたら、(『トヨタイムズ』の)取材に行きなさいということになりました(笑)」
■『トヨタイムズスポーツ』の前身『トヨタイムズ放送部』誕生秘話
転職早々、森田に大きな仕事が舞い降りる。それはコロナ禍の影響で1年延期になった「東京オリンピック・パラリンピック」だった。
「コロナ禍だったので、海外からアスリートも来るけど、無観客になってアスリートは応援されなくなってしまうと、すごく孤独に戦わなきゃいけない。そんな中でも特に海外から来るトヨタ(所属)のアスリートもいっぱいいたので、そこにどうにかして応援を届けてほしいと当時の社長から言われまして。トータル30日間くらい開催期間があるので、30日間毎日、30分生放送。テレビやってた側からすると、『そんな企画を1ヶ月前に立ち上げるの大丈夫か?』って思ったんですけど、手探りで手作りながらやるってことになったんで、『トヨタイムズ放送部』って名前つけて始めたんですね」
立ち上がったはいいものの、一般的なメディアと異なり、競技の映像も使えない、選手は選手村に入ってしまい取材もできない。そんな中で、何をどう伝えるか、工夫をして30日間続けた。
「選手の周囲の人たちを取材したり、イラストで表現したりという手探りのなかで30日間やりました。これが、会長の『トヨタがみんなのお父さんとして応援を届けたい』っていうその思いの出発点。ちょっとでもトヨタの仲間に、一緒に戦ってる仲間がいることを伝えて、その彼らが現地には行けないけど応援してることを何か伝えられるかなみたいな、そんなことをやった30日間でした」
この経験は、森田が『トヨタイムズスポーツ』を担当する原点になった。
「オリンピック、パラリンピックだけじゃなくて、マイナースポーツにももっと光を当ててほしいし、パラスポーツもこういう見方で見てほしいということを言われたんです。(一般的な)メディアでやると、どうしてもメジャーなスポーツに行きがちになる。でもマイナースポーツでも、こういう掘り下げ方すると面白いんだとか、だったら絶対これ伝えた方がいいなとか。そういった思いにどんどんなりながら30日間やって駆け抜けて。そこからこう、毎週スポーツに関してのことを配信するようになっていきました」
『トヨタイムズ』の特徴的な視点のひとつである、“応援”という取材姿勢はこうして醸成されていった。
■企業広報と、オウンドメディアがうまく密接に絡み合っていくっていう形が大事なんじゃないか
森田は現在「広報部」に籍を置きながら、スポーツを中心に『トヨタイムズ』のコンテンツを企画。そんな“応援”という取材姿勢と、広報としてメディアと対峙(たいじ)する新たな企業広報のかたちが実践されたのが、2024年に行われたフィギュアスケート・宇野昌磨選手の引退会見だった。
「宇野選手の記者会見を生配信でやりました。記者会見をただ垂れ流すのではなくて、『トヨタイムズ』の番組として、宇野選手の思い、言いたいことをある程度引き出した上で、メディアの人たちの質疑とくっつけて、ハイブリッドな形をとる。記者会見で記者の質疑応答だけでは伝わらないことがあるなと」
「挑戦だった」と森田は話すが、“オウンドメディア”という距離の近さを生かした取材とともに、一般メディアの俯瞰(ふかん)的な視点からの質疑を組み合わせたこれまでにない会見の形が大きな反響を呼んだ。
「章男さんから、『トヨタイムズをニュースが出る場所にしていきたい』と言われていて。今、『トヨタイムズ』で出たことが、それがニュースとなって出てくるみたいなことに徐々になりつつあって。人に伝わるっていうのは、やっぱファクトだけじゃなくて、そこにストーリーがあってこそ。ストーリーは、作るっていうよりも自然に、勝手にできていくようになっていくんです」
会見中、章男会長が宇野選手へ送った「今までは個人競技だったけど、(今後は)誰かのための仕事になるから、そんな目線で頑張ってみたら」というメッセージ。会見から2年後の2026年5月、宇野は本田真凜とアイスダンスチームを結成することを発表。ひとりではなく、誰かとともに動き始めた宇野の姿に、森田は章男会長の言葉が重なってみえた。
「競技選手として現役復帰をするって話になった時に、(この2年間で)『誰かのために』を知った宇野選手が、今度は1人じゃなくてアイスダンス、『誰かがいる』競技として戻ってくるっていうストーリーにつながったりするっていうのは、すごく言葉の重みとか、言葉によって導かれていく様子は見ていて面白いし、やっぱそこを伝えることっていうのはすごく意味あることなんじゃないかと思いました」
インタビュー2本目では、富川の転職&これまでの軌跡を、3本目では森田と富川が“オウンドメディア”の現在地について語る。
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