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世界選手権を2回制した柔道男子66㎏級の丸山城志郎(31、ミキハウス)が25日、大阪で引退会見を開き、28年間の長い競技人生にピリオドを打った。会見には10年以上にわたり丸山を指導した天理大学柔道部監督の穴井隆将氏も出席し、五輪3連覇の偉業を果たした野村忠弘氏から花束が贈られた。
引退を意識した経緯について「決意したのはここ最近。一番最初に考えたのは東京五輪の代表選考会。そこからもうひと踏ん張り頑張ったが、24年のグランドスラムパリの試合最中に(引退が)頭をよぎりながら試合をしていた。どうしても気持ちが燃えなかった」と話し、決定打は「絶対にこいつには負けたくないという強い気持ちがなくなった」と明かした。
3歳から柔道を始めた丸山は2度の世界チャンピオンにも輝く実力者であり、オリンピック連覇を果たした阿部一二三(27、パーク24)とはライバル関係にあった。東京五輪代表決定戦では24分間にわたる激闘を演じるも敗れオリンピック出場を逃した。22年と23年の世界選手権では、丸山と阿部は決勝で対戦するなど数々の名勝負を繰り広げてきた。
一番印象に残っていることを問われると阿部一二三との代表決定戦を挙げ、「目標とするオリンピックまであと一歩の代表決定戦が一番印象強い。心技体を完璧にそろえていた試合だったので、あれ以上のパフォーマンスはできないと思うくらいだった」と振り返った。
「もう引退するので、正直に話すと本当に強い選手でした。僕をここまで強くさせてくれた選手。阿部選手がいなかったらここまで努力することはなかった。彼にはありがとうと正直に言いたい」とライバル阿部一二三への思いを打ち明けた。
28年間の競技人生を振り返り「結果はとても悔いが残る。それに向けてやってきたことに関しては一切後悔がないので達成感が大きい」と胸を張った。
今後については「ミキハウススポーツクラブに在籍しながら、幅広く柔道を技術的に指導していきたい」と話した。
■丸山城志郎(まるやま・じょうしろう)
1993年3月11日生まれ、宮崎県出身。身長186㎝ 66㎏級 ミキハウス所属。
3歳から柔道を始め、天理大学に進学。2年時には講道館杯優勝を果たした。社会人では19年世界選手権で初の世界一に輝き、21年の世界選手権でも頂点に立った。得意技は内股。
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