国賓としてモンゴルを訪問中の天皇皇后両陛下。戦後、捕虜としてモンゴルに送られ、過酷な労働などで亡くなった日本人抑留者の慰霊碑に花を手向けられました。“モンゴルでの抑留”とはどのようなものだったのでしょうか。
首都ウランバートルの広場に響く礼砲。両陛下は国賓を迎える歓迎式典に出席されました。
陛下は儀仗隊の栄誉礼を受けたあと、モンゴル側の招待者として並んだ元横綱・朝青龍、白鵬、日馬富士と言葉を交わされました。
元横綱 朝青龍
「天皇としてのモンゴル訪問、こんなにめでたいことはないんじゃないでしょうか。本当にもう感無量です」
遊牧民の伝統的住居「ゲル」の中で行われた大統領夫妻との懇談では。
「今回、2人でそろって、モンゴルの歴史、社会、文化に触れることを大変楽しみにしております」
その後、両陛下が向かわれたのは、戦後モンゴルで命を落とした日本人抑留者の慰霊碑でした。
第二次世界大戦が終結すると、当時、旧ソ連は日本人の兵士らを捕虜にし、およそ1万4000人がモンゴルに送られました。待っていたのは過酷な労働、およそ1700人が亡くなりました。
モンゴルでの抑留はどのようなものだったのか?当時の様子を記憶しているモンゴル人の男性がいました。
チョグソムジャブさん、99歳。日本人抑留者の収容所で看守を務めていました。木の切り出しや農業に従事させられていたという抑留者たち。冬の生活は過酷なものでした。
チョグソムジャブさんは、抑留者が口にしていたある日本語を今でも覚えているといいます。
抑留者の収容所の元看守 チョグソムジャブさん
「彼らは言っていましたよ、『寒いですから』と」
抑留者が繰り返していたという「寒い」という言葉。
抑留者の収容所の元看守 チョグソムジャブさん
「とても寒かったです。マイナス35℃や45℃。あるときはマイナス50℃の寒さでした」
寒さで亡くなる人もいました。
さらに、抑留者からはいつ日本に帰国できるのかよく尋ねられたといいます。
抑留者の収容所の元看守 チョグソムジャブさん
「(抑留者は)よその国に留め置かれていたわけですから、苦しかったに違いありません」
1947年には抑留者を旧ソ連との国境まで送り届けましたが、その後どうなったかは分からないといいます。
このときの経験を通じて、二度と戦争を起こしてはいけないと語るチョグソムジャブさん。
抑留者の収容所の元看守 チョグソムジャブさん
「人の命ほど尊いものはありません。戦争はそれを奪ってしまうものです。もう戦争は起きないことを願っています」
出発前の会見では、「故郷から遠く離れた地で亡くなられた方々を慰霊し、そのご苦労に思いを致したい」と話されていた天皇陛下。
日本とモンゴル両国の言葉で平和への思いが刻まれたこの慰霊碑に、両陛下はきょう、花を手向け黙祷をされました。
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