
1971(昭和46)年の晩秋の頃、川崎市多摩区の生田緑地で行われていた「斜面崩壊実験」は、突如として大惨事へと変わりました。(アーカイブマネジメント部 疋田 智)
50年前の慰霊碑
向ヶ丘遊園駅を背にして住宅地を歩くと、ほどなく生田緑地と呼ばれる緑地に着きます。その中に、ひっそりと慰霊碑があります。慰霊碑には一文字「鎮」と刻まれています。裏から見ると、科学技術庁と川崎市の文字。
この広大な緑地では、かつて科学技術庁を中心に「豪雨の際に繰り返し起こる崖崩れ」のメカニズムを解明するための実験が行われました。
事故を防ぐためのその実験で、現実の事故が起き、15人の命が失われたのです。
研究者と、テレビ新聞等のカメラも集め
この実験は、関東地方に広がるローム台地で繰り返される崖崩れの仕組みを解明するため、人工的に散水し豪雨を再現、どの程度の降雨で崩壊が起きるのかを調べる計画でした。
試験地は、傾斜およそ30度、幅100メートルの斜面。実験はテレビや新聞の取材陣を集め、観測のための機器やカメラなども斜面下から50メートル離れた場所に設置されていました。
「起きないぞ」で、少しずつ水量を増やし…
現場の「崖」は、散水によって水分を含むことで、もっと「マイルドな崖崩れ」を起こすはずでした。しかし、丸1日散水しても、なかなか崖崩れは起きません。「何も起きないぞ」とじりじりした雰囲気の中で、実験は少しずつ水量を増やしていきました。
そして、散水開始から3日。
総雨量が470ミリに達したとき、轟音とともに斜面は一気に崩れ落ちたのです。
予想外の「大災害」に
崩れた土砂の量はおよそ270立方メートル。秒速17メートルという猛スピードで流れ下り、防護柵を押し倒して池にまで達しました。想定をはるかに上回る規模でした。
この崩壊により、研究者や報道関係者あわせて25人が巻き込まれ、15人が死亡、10人が重軽傷を負いました。事故の瞬間はカメラが記録しており、衝撃的な映像とともに全国に伝えられました。その連続写真がこれです。
甘かった予測、そして
後の調査で、安全対策の不備が次々と浮かび上がりました。報道関係者への避難指示は徹底されず、警察や消防への連絡も行われていませんでした。到達時間の予測は5〜6秒とされていたのに、実際にはわずか2〜3秒で押し寄せました。
崩壊の起点となったのは、丘の頂に残されていた固まりの弱い堆積物でした。狩野川台風で流れ込んだ土砂や工事残土が混在し、予期せぬ弱点となっていたと報告されています。
それでも実験は今に生きる
事故後、実験責任者ら2人が業務上過失致死傷の罪で起訴されました。しかし裁判所は「当時の学問水準では予測不可能だった」と判断。1987年、無罪判決が確定しました。
昭和30年代以降、集中豪雨による土砂災害が社会問題化していた中で、この実験は、科学的な根拠に基づいた安全基準を確立しようとした先駆的試みでした。
実験は悲劇的な事故に終わりましたが、その過程で得られたデータや教訓は、防災工学や地盤研究に大きな影響を与え、現在も災害予測や都市防災の基盤として生かされています。
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