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「喜び半分…こんな形でという寂しさも半分」行方不明の6歳女児 両親の元へ、東日本大震災から14年7か月

国内
2025-10-16 20:56

東日本大震災の発生から14年7か月。当時6歳の女の子が行方不明になりましたが、遺骨の一部が見つかり、きょう両親に渡されました。


【写真で見る】「もっと子育てしたかったな」遺骨を見つめて抱きしめる母親の千弓さん


東日本大震災から14年7か月 行方不明の6歳女児が両親の元へ

捺星さんの母親 山根千弓さん(49)
「手が掛かる子ではありましたけど、それでももっと子育てしたかったなっていう思いが今改めて。たった6年間っていう、娘の育てる短さを改めて感じています」


わが子を見つめ、何度も抱きしめました。


東日本大震災で津波に襲われ行方不明となっていた、当時6歳の山根捺星さん。

10mを超える津波。その後の火災で壊滅的な被害となった岩手県山田町。捺星さんは自宅で津波に襲われ、行方不明になりました。


事態が動いたのは、2023年のこと。警察によると、自宅があった山田町から約100キロの宮城県南三陸町で、下あごの骨の一部が見つかりました。

そして、DNA型鑑定などにより先週、骨は捺星さんのものと判明したと発表。


16日午後…


「長い間お待たせいたしました」


あの日から14年7か月。


捺星さんの母親 山根千弓さん
「14年経って、やっと手元に戻ってきたっていう喜びも半分ですけど、なんかね、こんな形でという寂しさも半分です」


“節目”と言われることもある「3月11日」、母の千弓さんにとって、この日は…


捺星さんの母親 山根千弓さん
「自分の中で『もう捺星はいない』と気持ちを受け入れて14年過ごしてきましたけど、やっぱり3月になると、気持ちがだんだん沈んでいく、3月11日に向けて。11日過ぎると、またモチベーションを上げて、また1年を過ごすのを14年間毎年これの繰り返しで、表面上は明るく過ごしてますけど、心の奥底には深い悲しみがずっと取れないまま、一生この気持ちは抱えていくんだろうと覚悟の思いでずっといました」


そんな中、警察から「見つかった骨が捺星さんと判明した」という連絡がやってきました。


捺星さんの父親 山根朋紀さん(52)
「半分もう諦めていたので、電話が来たときは本当に震えが止まらなくて」


捺星さんの母親 山根千弓さん
「やっぱり私たち4人家族だったよねって新たな気持ちをかみしめてる。また4人で生活できるという思いです」


「時間が薬」では割り切れない 遺族に寄り添う大切さ

井上貴博キャスター:
辛く悲しい中で会見や取材対応をしてくださったわけですが、遺族の中には、遺骨が見つかったことで、辛さがより増してしまうという方も多くいらっしゃる。

精神的なケアというのは時間が解決するものではないので、周りの方々がそっと寄り添ってあげるということは大事なんだろうなと思います。


TBSスペシャルコメンテーター 星浩さん:
「時間が薬」と言う人もいますが、なかなかそう割り切れないということもあります。そういう意味では、非常に切ない話ですが、これを乗り越えていっていただくということですね。


出水麻衣キャスター:
東日本大震災をめぐっては、約1万9000人以上が亡くなって、行方不明者の方もまだ約2500人います。

数字だけではなく、数字の向こう側には、こういったご家族の思いが1家族1家族あるんだということを改めて痛感させられます。


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<プロフィール>
星浩さん
TBSスペシャルコメンテーター
1955年生まれ
福島県出身
政治記者歴30年


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