
戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。旧日本海軍最後の戦闘機として知られる「紫電改」が国内で唯一、愛媛県に保存され、戦争の記憶を伝える貴重な資料となっています。その引き揚げの経緯が分かる公文書が見つかりました。
紫電改を発見した久保巧さん
「その沖に、いかだがある。真ん中辺り(のいかだ)の下に飛行機が沈んでいた」
1978年、愛媛県愛南町沖の海底でダイバーが偶然、見つけた1機の飛行機。
紫電改を発見した久保巧さん
「操縦かんを握って、白骨遺体がこっちをにらんでいるのではと思い、急に怖くなって」
翌年、引き揚げられた機体は、当時、「幻の戦闘機」と呼ばれていた紫電改。
太平洋戦争末期、旧日本海軍が技術の粋を集めて開発した最後の戦闘機で、豊後水道上空でアメリカ軍と交戦し、帰還しなかった6機のうちの1機とみられることが分かりました。
パイロットの遺族
「これだけでも、見て帰ったら満足です」
紫電改が配備された航空隊は、本土防衛を担い、パイロットの6割以上が命を落としました。
紫電改の元パイロット 故・笠井智一さん(2016年取材)
「基地に帰って飯を食う時、たくさん余っているな、みんな帰って来ない。だいたい何人ぐらい戦死しているのかが分かる」
発見された海を臨む県の展示館で、静かに翼を休めている紫電改の機体。しかし、この引き揚げが一筋縄ではいかなかったことを示す公文書が今年、愛媛県庁で見つかりました。
それによりますと、発見の翌月から、愛媛県が当時の厚生省に機体の引き揚げと遺骨の調査を繰り返し要望。
「国民的感情からしても、引き揚げて確認する必要がある」
しかし、厚生省側は、中に遺骨が残されている可能性が低いとして拒否。県の元幹部は、こう振り返ります。
愛媛県の元幹部 藤原茂さん
「県で最初は、いろいろ意見が分かれた、見解も分かれた。引き揚げるべき、いや引き揚げない方がいい」
公文書には、引き揚げのリスクについても書き記されていました。
「引き揚げて崩壊してしまったでは、非難は免れないであろう」
結局、愛媛県は、遺骨の有無にかかわらず、機体を保存する必要があるとして、単独で引き揚げを実施しました。
愛媛県の元幹部 藤原茂さん
「戦争の厳しさ、ひどさというのは、あの機体を見たら分かると思う。戦争というのは嫌なものだとか、怖いものと分かってもらえる。それは分かってほしい」
「物言わぬ語り部」として、平和の尊さを発信し続けます。
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