
戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。広島市で被爆し、朝鮮戦争をも経験する数奇な人生を歩んだ男性が母校の小学生たちに自身の体験を語りました。
友田典弘さん
「『ピカ』と光っていた、オレンジ色に。光った途端、真っ黒な爆風に飛ばされた」
大阪府に住む友田典弘さん(89)。
先月、自らの体験を後輩に伝えるため、広島市の母校を訪れました。当時、袋町国民学校4年生、学校の地下で被爆しました。友田さんは助かりましたが、校庭にいた弟は死亡。
友田典弘さん
「弟が亡くなったこと、初めは知らなかった。足を見たら、靴に『トモダ』と書いてあって、弟だとわかった。『ごめんね、ごめんね』と声をかけた」
母親も生死不明、父親はすでに他界していて、友田さんは孤児となりました。自宅に下宿していた朝鮮人の男性と韓国に渡るも、現地で生き別れに…。さらに朝鮮戦争の戦火に巻き込まれました。
友田典弘さん
「原爆受けて、韓国で戦争受けて、なぜこんな目に遭うのか、情けなくなった」
そんななか、生活を支え、帰国の手配をしてくれた梁鳳女さんに出会います。24歳で帰国した後、「もう一度、お礼が言いたい」と梁さんを探すため、韓国に渡りましたが、梁さんはすでに64歳で亡くなっていました。
友田典弘さん
「お母さん、本当にすみません。早く来たかったのですが…」
二度も戦争に巻き込まれた友田さん。当時を振り返ることは、いまもつらいと話します。それでも、子どもたちが同じ経験を絶対にしてほしくないと、力を振り絞ります。
友田典弘さん
「いじめたりせずに、がんばって仲良くしてくださいよ」
袋町小学校 今岡葵馨さん
「皆や後世の人たちに原爆の被害を風化させず、未来へとつないでいきたい」
被爆から80年、最近の不安定な世界情勢を憂います。
友田典弘さん
「どこの国も一緒、仲良くやっていかんとね。今ものすごく激しい、いろんな国がもめてね。なかなか難しいよ、ほんまに」
二度と同じ思いをする人たちを生まないために、89歳となった友田さんは証言活動を続けます。
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