
天皇皇后両陛下と愛子さまは、3月25日~26日に岩手県・宮城県を、4月6日~7日にかけて福島県を訪問される。ご一家そろって被災地入りするのはこれが初。さらに、愛子さまが東日本大震災の被災地を訪問されるのも初めてだ。2回に分けて太平洋沿岸地域を巡り、津波や原発事故の爪痕と向き合われる。先日の記者会見やこれまでの訪問を振り返ると、両陛下や愛子さまの強い思いが読み取れる。
【写真を見る】「年月だけでは測れない」天皇ご一家が東北3県へ 初訪問の愛子さま 原点に中高時代の親友【東日本大震災から15年】
心寄せ続けた15年「年月だけでは測れない」
「今年は東日本大震災から15年、熊本地震から10年の節目の年にあたります」
今年2月、陛下の誕生日記者会見はこの言葉から始まった。続けて、「災害による影響は人それぞれに異なり、10年、15年という年月の経過だけでは測れない重みを伴うものだと思います」と述べられた。今年は節目ではあるが、"何年経ったから"と一概にまとめることはできない。この場にいた筆者は、被災した方それぞれがこの15年のあいだ全く異なる心理的・物理的変化を辿っていることに思いを馳せたものと、受け止めた。
結びに「歴代の天皇が歩んでこられた道に思いを致しながら、近年の自然災害が激甚化・頻発化する時代にあって、災害が起こらないことを常に願い、国民と苦楽を共にしながら、被災地の方々の声に耳を傾けつつ、国民に寄り添っていきたいと思っています」とし、象徴天皇としての立場を明確にして締めくくられた。
復興の進み方や現地での課題は、地域や時期によってもさまざま。今回出発前には、ご一家で復興庁事務次官から最新状況のレクチャーを受けられる予定。訪問に向け、熱心に準備を進められている。
「被災者のために」自主停電に努め・・・
2011年3月11日、東日本を襲った巨大地震と津波、それに伴う原発事故などにより、戦後最悪となる2万人超の死者・行方不明者が出た。最大で12市町村が帰還困難区域に指定され、復興庁によると現在も約2万6000人が避難生活を余儀なくされるなど、多くの人々が故郷を追われることに。
直後から、皇室も国民の悲しみと向き合った。皇居は計画停電の対象外エリアだったが、期間中タイミングをあわせて自主停電を徹底したほか、当時の天皇皇后両陛下(現・上皇ご夫妻)は発災5日後、国民に向けたビデオメッセージを公表。側近経由ではなく自身の肉声で伝えたいという思いがあったという。自衛隊や警察など現場で日夜活動にあたる人たちへの感謝を伝えたほか、国民が手をとりあって心を寄せることの大切さを述べられた。1か月後には、美智子さまとともに、7週連続で被災地を訪問。おふたりはすでに80歳近かったが、「被災者のために」という思いで怒濤のスケジュールを敢行された。
当時の皇太子ご夫妻=現在の両陛下も思いを同じくしていた。赤坂の東宮御所では、当時小学生だった愛子さまとともに積極的に自主停電に努められていたという。また、即位後も含め、この15年に何度も現地を訪問された。初訪問となった2011年6月には、宮城県の避難所などを訪ねられた。おふたりは、涙を流す被災者の肩に手を添えたり、手を握ったりしながら「つらかったでしょう。今まで我慢されていたのでしょう」「力を合わせてお大事になさって下さい」など、励ましの言葉を掛け続けられた。その後も、計10回にわたって東北3県の被災地を訪問された。
天皇が“膝をつく” はじまりは雲仙の噴火災害
今でこそ馴染みある、被災地で天皇が「膝をつく」という行為。1991年、43人が犠牲となった長崎・雲仙普賢岳での噴火災害がはじまりだという。当時の天皇皇后両陛下(現・上皇ご夫妻)は、未だ噴煙があがる中で現地を訪問。上皇さまはシャツの腕をまくり、ノーネクタイでのぞまれた。おふたりは、体育館の床に膝をついて、被災者と同じ目線で声をかけ続けた。ズボンの膝の部分に跡がつくことも多かったという。昭和から代替わりしてまだ数年だった当時、「天皇が一般国民の前でそんなことを」と、批判の声も多くあった中でだった。
その後、皇太子ご夫妻(現・天皇皇后両陛下)も、避難所などを訪れるたびに同じように膝をついて懇談された。去年、公務で初めて被災地を訪問された愛子さまも同じように懇談。多くの関係者が口にするように、その行動は「祖父母や両親をまねて」ということではなく、自然の発露のように見受けられた。その意味でももはや膝をつくスタイルは「平成流」というより、現代の皇室にとって当たり前となった行動様式と言えるかもしれない。
愛子さまが初の東北被災地入り にじむ陛下の思い
今回注目なのは、愛子さまも同行されることだ。愛子さまが東北の被災地に入られるのは初めてで、ご一家そろっての被災地入り自体が過去にない。
愛子さまは、去年5月、初めての被災地訪問(石川県)を経験。泊まりがけで復興状況を視察したほか、地元住民らと交流された。秋には、新潟県を訪ね「防災推進大会」に出席されるなど、防災・減災の方面に公務の幅を広げられている。
前述の陛下の記者会見(2月)では「愛子にも、これからも被災地の人々に心を寄せていってもらいたい」と明確に述べられている。そして、今回ご一家そろっての訪問だ。天皇が象徴としてのぞむ被災地訪問の場に、子を伴われるのは異例とも言え、陛下の思いがにじむ形だ。
石川の被災地訪問(去年5月)には、筆者も同行していた。到着時のJR金沢駅から、車移動の道中に至るまで、多くの地元住民が集まり、歓声が鳴り止まなかった。ただ何より印象的だったのは「訪問に地元が沸いた」という事実にとどまらず、愛子さまが、これまで勤務先などで学んできた知識をもとに具体的に質問を重ねられる姿が、多くの人の心を打ったことだ。
地元大学のボランティア団体と交流した際には、「私も仕事でボランティアに携わっていますが、どういう仕組みがあれば(ボランティアが)しやすくなると感じますか」など質問。現場で説明を受けた個別の事例に返すだけでなく、一歩進んでシステム作りのことを気にかけられるなど、防災活動への関心の高さがうかがえた。仮設住宅の前では、予定外に自ら声をかけに歩み寄り、子どもをはじめとした地元住民と交流された。活動のことに触れるだけでなく、相手に優しく寄り添う姿勢も一貫していた。JNNが取材した住民はこう話す。
地元住民
「復興途中のこの町の姿を見てほしいと思っていた。こういう機会があって良かった」
「ただただ嬉しかった。愛子さまから『仮設住宅に入られて、集会所の体操とか行かれていますか』『お体を大切にしてください』とお声がけいただきました。地震から1年半、辛いことや大変なことも多かったけど、生きていく元気をもらいました」
社会人生活の“原点” 親友の東北被災地支援
皇室としての公の活動だけでなく、私的な面でも同様だ。愛子さまは、勤務先の日本赤十字社では「青少年・ボランティア課」に所属し、今年度は情報誌の作成などに携わられてきたという。ボランティア活動に関心を持ったきっかけについて、こう述べられている。
愛子さま(2024年)
「災害の被災地に赴き、厳しい環境の中でも懸命に活動を続けるボランティアの方々の姿をニュースなどで目にして胸を打たれたことや、中学・高校時代からの親しい友人が、東日本大震災の復興支援にボランティアとして携わってきており、その友人から活動の様子を聞いたことなどが大きなきっかけとなったように思います」
社会人生活を形作る”原点”の一つが、親友が東北被災地で支援活動をしていたことだというのだ。そして、学習院大学に進学後、福祉に関する授業を履修し「公務以外でも、様々な困難を抱えている方の力になれる仕事ができればと考えるように」なったという。そして、こう続く。
愛子さま(2024年)
「そのような時期に、両陛下と御一緒に、日本赤十字社からの御進講を受ける機会を頂き(中略)、国内外の災害救護活動や人道危機に対する救援活動、社会福祉事業を始め、多種多様な日赤の活動について理解を深めると同時に、同社の社会における役割の大きさを実感いたしました。そのことから、社会に直接的に貢献できる日赤の活動に魅力を感じ、両親に相談いたしましたところ、社会のお役に立てるとても良いお仕事なのではないかと背中を押していただき、日赤でお勤めすることを希望いたしました」
現在、10代のころ抱いた思いそのままに、熱心に勤務されている。関係者によると、泊まりがけの研修や遅くまでの残業なども珍しくないということで、まさに”ライフワーク”ともいえる仕事に打ち込まれていることが分かる。今回の東北被災地初訪問も、非常に強い思いでのぞまれることは間違いないだろう。
「15年」といっても、悲しい記憶がなくなることは決してない。また復興の途は数字の節目とは無関係で切れ目なく続いていく。一方で、国全体であらためて震災の記憶を継承する契機となるのも事実。実際この節目をきっかけに、ご一家の被災地訪問が実現している。時が流れ、いまや多くの子どもたちが東日本大震災を知らない世代となった。今回の訪問が報じられることで、当時のことや復興に思いを寄せる気持ちが全国的に高まり、記憶の継承が促されるのであれば、とても意義深いこと。天皇皇后両陛下、そして次代の皇室を担う愛子さま、そろっての初訪問を通して被災地や日本全体に何がもたらされるのか。当日もその先も、注目したい。
(TBSテレビ社会部・宮内庁担当 岩永優樹)
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