東日本大震災の発生から15年が経ちました。震災直後、学校の校庭や建物の屋上に書かれた“SOS”の文字。あの時、“SOS”を出した被災者はどのような思いだったのか、そして15年後の現状は…。藤森キャスターが取材しました。
【写真で見る】孤立する中、石灰をまき…屋上に“SOS”を形づくる職員
「震災を知る最後の世代」20歳の語り部
それぞれの思いで迎えた15年という節目。
▼死者1万5901人
▼災害関連死3810人
▼行方不明者2519人
震災で妻と娘を亡くした男性
「なんで助けられなかったんだかなという思いがあって、私にとってはただ15年の通過地点のきょうの日です」
ーーこれから思い続けたいこと・ 語り継いでいきたいことは?
女性
「一番は忘れないことだと思う 。震災が分からない子どもも多くなっていくので、それは大人たちが伝えていくべきだと思う」
岩槻佳桜さん(20)。宮城県気仙沼市出身で、5歳の時に東日本大震災を経験しました。
ーー20歳になって迎えた3月11日、どんな感覚?
岩槻佳桜さん
「震災とともに成長してきたので長かったと思います」
岩槻さんは中学生の時に、震災の“語り部”活動を始めました。
今は大学進学のため地元を離れましたが、帰省した際には“語り部”を続けています。
岩槻佳桜さん
「震災を知る最後の世代と言われているので、私の命ある限りずっと続けていきたい」
小学校校庭に“SOS” 食料と毛布求める
宮城県南三陸町にある志津川小学校。11日朝、児童たちは校庭に集まりました。
そして、目の前に広がる海に向かって黙祷を捧げました。
15年前の東日本大震災では…
藤森祥平キャスター(2011年)
「ヘリポートを作ってSOS。毛布1000枚を待っている。そして食料、水1000と白いラインをひきました」
津波が押し寄せ、高台の小学校は“陸の孤島”に。職員らが上空のヘリコプターに助けを求めました。
校長の河原正樹さん。当時6年生の担任で、掃除の時間に地震に襲われ、海からは津波が押し寄せていました。
志津川小学校 河原正樹 校長
「子どもたちに津波が見えないように、安全な校庭の中央に避難した。その日は町は壊滅状態でした。家族の方が、両親が亡くなった子もいたので、(児童の)引き渡しも困難を極めた。1週間ぐらいかかったと思う。全員引き渡すまで」
300人孤立の病院の“SOS” ラジオで救助・支援物資呼びかける
太平洋沿岸を襲った巨大津波。市街地が濁流に飲まれ、高台や建物で孤立する人たちが相次ぎました。
藤森キャスター(2011年)
「屋上のSOSの文字の横で、人が手を振っています。旗を振って救助を待っています」
宮城県岩沼市の南浜中央病院も一帯が浸水し、一時約300人が孤立しました。あれから15年。
南浜中央病院 高階憲之 院長
「“SOS”と書いて…」
藤森キャスター
「私の記憶では2か所に文字が書かれていて」
高階憲之院長が当時、陣頭指揮にあたりました。
職員が患者らを2階以上に避難させた矢先、1階に津波が押し寄せました。
病院は土砂や瓦礫でまみれ、駐車場に止めていたバスも流れ着きました。
職員
「あ、あれ自衛隊(のヘリコプター)じゃないですか。助けて!」
周囲の道路が寸断され、孤立する中、職員は屋上に石灰をまいて“SOS”の形をつくり、高階院長はラジオを通じて助けを求めました。
そのラジオの音源が残されていました。
当時のラジオ音声(tbc提供)
「水・食料がなく、医薬品もありません。入院患者の救助をお願いします。院長の高階さんからいただいています」
南浜中央病院 高階憲之 院長
「(患者のために)なんとか発信しなくちゃという気持ちがあった。“患者が無事です”ということを伝えなくちゃという思いだった」
停電の中、3日間孤立しましたが、病院にある物資をかき集めるなどして生き延び、約200人の患者は全員無事でした。
震災のあと病院は、地震や津波を想定した訓練を繰り返すなど、着実に備えを進めています。
南浜中央病院 高階憲之 院長
「15年経つ中でうちの職員も、震災経験者が27%に下がってきている。地元だけだとどうしても風化していく。他との関連の中で、支援する側・受援される側がどうなのか、(訓練などを通じて)経験を積み重ねていくのがとても大事」
「感謝でいっぱい」南三陸は“第2の故郷” 県外留学生が卒業
震災を風化させないという思いは若い世代にも。
2月末の宮城県・南三陸高校。3年生の生徒たちは、この日配られた卒業アルバムを見て盛り上がっていました。
伊藤芽衣さん
「楽しい良い3年間だったなって。本当に南三陸の人に支えられて、本当に感謝でいっぱいというところ」
こう話すのは山形県出身の伊藤芽衣さん。学校側が3年前から受け入れている“県外留学生”の1期生です。
“留学”のきっかけは、中学校の修学旅行で南三陸を訪れたことでした。
伊藤芽衣さん
「“南三陸=被災地”というイメージを持って来た時に、本当にいいギャップにやられて」
「南三陸kizuna留学」と呼ぶ試み。2023年度は1期生・5人が入学しました。
震災の際は津波で孤立し、“SOS”を発した高校。
“被災地ならではの学びを得てほしい”と、県外の生徒を募ることにしたのです。
伊藤芽衣さん(当時1年生)
「南三陸を全国募集で志望してくれる人が増えるようになれば嬉しい」
伊藤さんは、農業や漁業を体験したり、祭りなどの伝統行事に参加したりして町の魅力を知りました。
震災の伝承にも取り組み、“語り部”の活動にも挑戦しました。
充実した南三陸での3年間を経て、3月に行われた卒業式。クラスを代表して、伊藤さんが卒業証書を受け取りました。
退場の際には涙があふれました。
この3年間で興味を持った“町づくり”を学ぶため、卒業後は南三陸を離れます。
伊藤芽衣さん
「“第2の故郷”、今はそう思ってます。お世話になった人もたくさんいるので、定期的に、年に一度とは言わず、何度も通いたいと思っている」
伊藤さんはこの留学で、震災で何が起きたのか、その後、町の人はどう生きてきたのかを知りました。
伊藤芽衣さん
「実際に被害に遭った人と面と向かって話したり、家が流されていたり、そういう友達がいる中で、すごく自分事になったという感覚は強くある。まずは手の届く範囲の友達とか家族とかに知識を伝承していけたら」
20歳語り部「忘れてはいけない」「自分の命を守る行動を」
藤森祥平キャスター:
日本では、いつどこで“SOS”を発信しなければならないタイミングが来るか分からない状況の中で、デジタルが使えなくなったときに、「一人ひとりに何ができるか」ということも考えさせられました。
高校3年生の伊藤芽衣さんは、自分に特に繋がりのない南三陸に行き、人々の優しさや温かさに触れ、「被災経験がなくても語り部になってみよう」という思いがあったといいます。
中学2年から「語り部」活動に取り組む岩槻佳桜さん:
私は被災東日本大震災を経験して語り部をしているので、東日本大震災を知らない世代が語り部をしてくれることは、すごく頼もしいなと思います。
小川彩佳キャスター:
岩槻さんは15年前、5歳だったわけですが、そのときのことはどれくらい記憶していますか?
中学2年から「語り部」活動に取り組む岩槻佳桜さん:
幼稚園にいて、バッグを持って、津波に追われながら逃げた経験があります。
ちょうど金曜日だったので、バッグの中に上靴や歯ブラシコップなどを入れて、これを持って逃げました。
小川キャスター:
そのバッグを持つと、どんな記憶が呼び起こされますか?
中学2年から「語り部」活動に取り組む岩槻佳桜さん:
やはりこのバッグを持って逃げた命、生かされた命なので、伝承するために欠かせない存在です。
津波がさーっと後ろから迫ってきているのを鮮明に覚えています。
藤森キャスター:
大事にしている語り部としての思いは何ですか?
中学2年から「語り部」活動に取り組む岩槻佳桜さん:
みなさんには「命を大切にしてください。命を守る行動をしてください」とお伝えしています。
小川キャスター:
原動力となっているのは、どういった思いなのでしょうか。
中学2年から「語り部」活動に取り組む岩槻佳桜さん:
15年前のあの日に、幼稚園の先生の指示に従って逃げて生かされた命があるからこそです。
小川キャスター:
15年という月日が経って、改めて月日の流れはどのように感じますか?
中学2年から「語り部」活動に取り組む岩槻佳桜さん:
当時5歳だったので身長もかなり低かったと思いますが、今20歳になって、語り部をさせてもらっているので、自分の成長が15年を表してると思います。
藤森キャスター:
街の様子や、感じ方は変わっていますか?
中学2年から「語り部」活動に取り組む岩槻佳桜さん:
町はかなり復興したかなと思います。街がキラキラしているので、復興したなと感じています。
小川キャスター:
「街がキラキラしている」という言葉を岩槻さんから聞けてよかったなとに感じます。心の復興という意味ではどうでしょうか?
中学2年から「語り部」活動に取り組む岩槻佳桜さん:
大きな傷を負った方はたくさんいらっしゃると思うので、心の復興は「した」と言い切れないなと感じています。
小川キャスター:
今の世代も、後の世代も、どのように記憶を繋いでいきたいですか?
中学2年から「語り部」活動に取り組む岩槻佳桜さん:
やはり忘れてはいけないし、同じ過ちを繰り返して欲しくないので、自分の命を守る行動、防災意識の向上や備えに繋げてほしいと思います。
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<プロフィール>
岩槻佳桜さん(20)
宮城・気仙沼市出身現在は都内の大学生
中学2年から「語り部」活動に取り組む
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