
“皇族数確保”のための「皇室典範改正」に向けた議論が山場を迎えています。
旧宮家の男性がJNNの取材に対し、皇籍離脱後の暮らしぶりについて話しました。
【写真を見る】JNNの取材に応じた旧宮家の久邇朝宏さん(81)
“皇族数確保”のための「立法府の総意」
6月10日、各党の代表者らが集まり話す全体会議で衆参正副議長らによる「立法府の総意」が取りまとめられました。
その後、政府は6月19日に「立法府の総意」を受けた皇室典範改正案などの骨子を衆参両院の議長・副議長に示し、おおむね了承されました。今国会での成立を目指しています。
「立法府の総意」では、以下の2つの案が柱となっています。
(1)女性皇族が結婚後も皇族の身分を保つこと
(2)戦後、皇籍離脱した旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎えること
旧宮家の男性が取材に応じる
取材に応じてくれたのは、旧宮家の久邇朝宏(くに・あさひろ)さん(81)です。
そもそも旧宮家とは戦後、皇籍を離脱した11の宮家を指しています。
具体的には「山階宮家、賀陽宮家、久邇宮家、梨本宮家、朝香宮家、東久邇宮家、竹田宮家、北白川宮家、伏見宮家、閑院宮家、東伏見宮家」があり、1947年(昭和22年)10月にこれらの宮家から51人の男女が皇籍を離脱しました。
現在の天皇家との共通の先祖は、約600年前の室町時代まで遡ります。
久邇さんはこのうち、久邇宮家の3代目当主・朝融(あさあきら)王の三男(8人兄弟の末っ子)として1944年(昭和19年)に生まれました。昭和天皇の后・香淳皇后は叔母に、上皇さまは従兄弟にあたります。
小学生で旧宮家だったことを知る「えっそんな立場だったの」
久邇さん
「(皇籍離脱は)全く覚えていません。私が生まれたのは1944年(昭和19年)の10月なんですよ。あと半年ちょっとでもう敗戦というような厳しい状態でしたし」
3歳のときに皇籍を離脱した久邇さんは、小学生になるまで自身が旧宮家の皇族だったということを知らなかったと言います。
久邇さん
「学習院初等科なんですが、入りましたら当時西組、東組、中組の3クラスだったんですが、そこでも普通に教育を受けてきました。ただ、三笠宮家の甯子(やすこ)さん(三笠宮崇仁親王の長女)が同級生だったんです。ある時、遠足か何かでぶどう狩りに連れて行ってくれて、そうしたら甯子さんと隣り合わせで写真を撮られて。甯子さんは東組、私は西組。組が違ってなんで並ばなきゃいけないのと。そこから『えっ』と思ったのが最初で、家に帰って 『宮様が側で』って言ったら、『あなたもそうなんです、宮様なんです』みたいなことを言われたのが初めてですね」
「母は亡くなっていましたから、今で言うお手伝いさん、女中の何人かにそう言われました。『えっそんな立場だったの』ってびっくりしました。それまで全然(皇族としての)教育を受けたこともないですし、普通に遊んでおりましたので」
母親は久邇さんが幼い頃に亡くなっていて、父親の朝融さんからも宮家だった頃の話を聞くことはありませんでした。
「父親とは何の話をしたかよく覚えていない」と話す久邇さんですが、一方でこう振り返りました。
久邇さん
「私のことは『ひろちゃん』って言って。そういう感じの優しい男でしたね」
叔母・香淳皇后に招かれ皇居に行くことも
久邇さん
「(旧宮家だったことを感じることは)ほぼなかったとは思うんだけど、父がよく連れて行ってくれた場所では『あれっ』と思うようなことがありましたね。持ち上げられるというか、『こんなちびをなんで大事に扱ってくれるんだ』とか。そういう身であることを知りませんでしたので」
皇居に足を運ぶことも度々ありました。
久邇さん
「たまに皇居に遊びに行ってという事もあったし、ごく普通にお正月は両陛下にご挨拶するような事もありましたんで。そういう時だけ特別なんだなという気はしましたけど。香淳皇后に呼ばれて行ったことが主ですね」
久邇さん
「私、飛行機が大好きで、小学校に入ったぐらいから色々作ったりなんかしていたんですが、中等科に入る時に香淳皇后から進学のお祝いをいただいたんです。それは零戦だったんです。アルミでできた飛ばす飛行機です。それをいただきました。その後も何度かお正月は皇居に行きますけど、その他に何度か呼んでいただいて、彼女の住まいのお庭とか一緒に散歩したりいたしました。優しい叔母さんでしたよ」
大人になってからの皇室との関わり
久邇さん
「菊栄親睦会っていうのがあったんですけど。父親が生きてる頃は結構行きましたけれど、私が中学3年の時に父が亡くなりましたけど、それ以降は特にありません。ごくたまに、3年に1回とか4年に1回とか呼ばれていくことが。(私が)結婚した時に家内も一緒にそれにいってもらって」
菊栄親睦会は、皇族方と旧皇族による親睦団体のことで、久邇さんも数年に一度集まる機会はあったものの、大人になってからは皇室との関わりはほとんどなかったといいます。
久邇さん
「香淳皇后もお体を壊して、最後亡くなられましたけど、直前まではたまに呼んでいただいてお話をすることはできましたけど。あとは亡くなられた時に、八王子の方に埋葬されて、そこも何度か行ったことありますけど。あんまりお付き合いの話はないですね」
大学まで学習院に通い、卒業後は電気メーカーに就職。あくまで「一般国民」として生きてきた久邇さん。
“男系男子養子”に「教育のやり直しを」
久邇さん
「(私は)81歳で今更声はかからないです。そんな(養子になる)ことはあり得ないから、考えたこともないですね。私は戻らない。そんなこと今更できないですから。自分が宮家に戻るのだったら、色々な公的な行事をやらなきゃいけない。大勢の国民が後ろにいるから一生懸命やらなきゃいけない。そういう心にならなきゃいけないはずなんですよ」
年齢面からも自分自身には「声はかからない」としつつ、皇族に戻ることは「不可能だ」と言います。
また、久邇さんの子どもは娘2人で、今回議論に挙がっている“男系男子”には該当しません。
一方で「養子として皇族になる人」については、こう話しました。
久邇さん
「(養子として皇族になった人の)教育をぜひやり直して、これなら大丈夫というような試験のようなものまでして、それでやるのなら大いに結構だと思います」
“立法府の総意”具体策は「慎重に制度設計」
「立法府の総意」では、“男系男子養子案”について、「象徴天皇制が国民の総意に基づくことであることに鑑み、国民の理解を得るべく、また我が国の伝統を踏まえ」としたうえで、
1)本人の意思を考慮した養子となり得る者の年齢
2)養親となり得る者の範囲
3)その他具体的な要件
4)養子となって皇族となられた方は皇位継承資格を持たないとすること
ということなどについて「慎重に制度設計を行うもの」としています。
また新たに分かった法律の骨子案では、「15歳以上の男子で配偶者と子どもがいない人に限り養子とすることが出来る」としています。
政府は今後、主な論点を整理した要綱を作成し、6月22日にも衆参両院の議長・副議長に説明する方針です。
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