両親を早くに亡くした学生時代から社長就任までの苦労とその乗り越え方とは
2022-04-18 15:00:05
今回、お話しを伺ったのは、KALA MANAGEMENT株式会社 代表取締役CEOの茂木雄介さん。現在33歳で、会社では20~30代独身者向けに注文住宅や土地の不動産仲介を主とした事業を行っている。学生時代から社長就任までの苦労と、その苦労の乗り越え方を聞いた。
現在、独身者向けと共に、新規で新婚向けの注文住宅の受注も行っている。特に若い層をターゲットとしており、20代が8割、30代が2割と、的を絞っていることや、「Web」と「訪問販売」と「紹介」の3つの営業方法で取り組んでいることに特徴がある。特に「紹介」で獲得する件数が多い。最近ではSNSマーケティングにも力を入れている。
事業を行う上で大切にしていることとして、企業理念の「チャンスメイク」と「四方スマイル」がある。お客様、従業員それぞれ、周りに転がっているチャンスをきちんとメイクしてあげること。そして「自分よし・相手よし・周りよし」の「三方よし」だけでなく、「未来よし」も加えた四方が笑顔になるように、未来まで見据え、四方スマイルが達成できると思われる仕事だけを引き受けるようにしている。
次に茂木さんの学生時代からの話しから、現在の会社の社長に就任するまでの軌跡を聞いた。
大学卒業後、まずは住宅設備の会社に営業職として4年務めた後、不動産投資の営業職に転職。その後、当時山本貴紀さんが代表を務めていたKALA MANAGEMENTに転職し、2018年に社長に就任した。
大学は外国語学部で、中国語を4年間学んだ。在学中はサッカーの部活と学業と共に、アルバイトで生活費と学費を稼がなければならなかった。中学、高校時代にご両親を病気で亡くしたため、生活費だけできつい中、さらに学費を稼ぐ必要があり、限界に達するまで働き、きつかったと話す。
大学進学やその後の就職についても「両親を早くに亡くしたことを理由にあきらめた」という人生を送りたくなかったと話す。兄が警察官になり、妹が看護師になり、どちらも資格をとって早々に仕事に就いたことから、負けていられないという想いで頑張ったという。兄妹は茂木さんの心の支えになっていたそうだ。
大学卒業後、茂木さんが仕事に選んだのは、ずっとやりたかった、父親が行っていた営業職。第一志望の会社に落ちた後、営業職を募集している会社を「あいうえお順」で片っ端から受けていった結果、一番に受かった住宅設備の会社の営業職に就いた。
住宅設備の営業職では成果を出し、やがて30人もの部下を持つチームリーダーに就任。しかし、プレイヤーとは異なる、マネジメントのむずかしさを痛感した。そこで、またプレイヤーとして一からやり直そうと、4年間務めた会社から、不動産投資関連の会社へ営業職として転職した。
しかし転職先の投資マンションを売る営業職では、商材に愛情を持てなかったと話す。お客様は投資目的なのでマネーゲームでしかなく、物件をしっかり見ない。本当に欲しい家を買うわけではないお客様を目の当たりにしながら、一からすべて好みのものを作ってお客様の願いを叶えてあげられる「注文住宅」に興味を持った。
そのような折、その不動産会社でかつて役員だった山本貴紀さんと忘年会で再会を果たしたことで、運命の歯車が動き出した。山本さんはすでにKALA MANAGEMENTを立ち上げており、当時はBtoBの不動産仲介業を行っていた。茂木さんは「不動産という同じ商材を売っているのに、なぜ山本はこんなにイキイキしているんだ」と思ったという。また、会社のメンバーの考えも技術もレベルが高く、何より不動産が好きな人たちばかり。「無理やり売る」という気持ちは一切なく、つながりを重視する営業のやり方にも共感した。想いが高まり、KALA MANAGEMENTへの転職を決意した。
山本さんを経営者として、また一人の人間として尊敬していたことも転職を決める大きな理由となった。経営者としては、口だけではなく自ら行動する現場重視のスタンス、人間としては、感情豊かで愛情があふれている、人間らしいところ。そして仕事もプライベートも全部本気で取り組むところ。それらに感銘を受け、色々と学ばせてもらったと茂木さんは話す。
入社後は、上の立場と下の立場の距離が近く、何をやるにしてもメンバーみんなで話し合うその姿勢に、これならやれると感じたという。やがて、茂木さんが本気で仕事をやりたいという想いが山本さんより圧倒的に上回ったことで、代表交代につながった。山本さんは、当時事業が伸び悩んでいたことや自分自身が他にやりたかったこともあり、「ここまでやる気があるなら、本気の人間にやらせたほうがいいだろう」ということで、自分の会社を茂木さんに渡し、会長となった。
情報提供元: マガジンサミット