老いて覚醒!?年をとってから名を上げたアーティスト達
2018-11-26 06:30:37
アメリカ・ネバダ州にオータム・デ・フォレストという17歳の少女がいます。彼女は5歳でアーティストとしての道に入ると、14歳までに売った作品の総額はなんと7億円超。
彼女の様に若くして成功している芸術家がいる一方で、認められるまでに時間のかかった人の方が多くいるように思います。苦労人と片づけるのではなく、老いて才能が覚醒したという方が夢のある話。そこで今回は、そんな売れるのに時間のかかった晩成の芸術家を紹介
江戸中期の画家 伊藤若冲
2016年に催された生誕300年記念展が話題となった伊藤若冲。1716年、京都の青物問屋の長男として生まれ、父が若くして他界したため23歳で家業を継ぎます。しかし商売に熱心では無かったようで、その理由は絵を描きたいという気持ちがあったからといいます。30代で絵を描き始め、40歳で弟に家督を譲ると画業に専念。50歳ごろに代表作となる動物綵絵を描き上げました。
100歳を超えた現役アーティスト カルメン・ヘレラ
1915年、キューバ生まれ。アメリカ人と結婚しニューヨークに移住したころから絵を描き始めたそう。しかし外国人であることや女性であることが画壇に認められず、長らく日の目を見ることはありませんでした。それでも絵を描き続け、やっと売れるようになったのは89歳のとき。今では人気画家で100歳を超えるアーティストとして様々なメディアに取り上げられています。
アメリカ人なら誰もが知っている画家 グランマ・モーゼス
1860年、アメリカ・ニューヨークの貧農の家に生まれたモーゼス。父は子供の些細な遊びもとがめるような厳格な性格をしていましたが絵を描かせるのは好きだったんだとか。モーゼスは幼いころから奉公に出るなど働き詰めで本格的に絵を描くようになったのは70代に入ってから。理由はリウマチのリハビリのためだったそう。
その後、近所のお店に飾っていたモーゼスの絵が収集家の目に留まり話題に。80歳になると初の個展を開催し時の人となりました。89歳の時にはトールマン大統領の招待でホワイトハウスを訪問。1961年、101歳で亡くなりますが、アメリカで彼女の名前を知らないものはいないというほど高名な画家になりました。
成功後も田舎に留まり続けた画家 アンドレ・ボーシャン
1873年、フランス生まれ。園芸業を営む父の息子で、これといって絵画の勉強をしたことがなかったといいます。そして40歳を過ぎてから独学で絵を描き始めると世界的に有名な建築家ル・コルビュジエの評価を受けます。その後、個展などを開くと高い名声を得ました。舞台装置家としても高名。
食べるために撮り続けた写真家 ウジェーヌ・アジェ
1857年、フランス生まれ。幼い頃に両親を亡くし孤児となり親戚に引き取られます。その後、神学校に入ったり船乗りの仕事をしたり、俳優を志し地方回りの役者になったりしました。その後、劇団から解雇されると40歳を超え画家に。それも断念すると、同時期に始めていた写真を生活のため撮り始めました。
それは芸術活動というものではなく、画家などが絵を描く際に資料として必要な風景写真を撮り売るというものでした。このような意図があるためシンプルかつ、長年この活動をしていたため資料的価値も帯びてきたおり、高名な写真家の目に留まり、注目されるようになりました。しかし数年後、不遇のまま亡くなりました。
妖怪漫画の第一人者 水木しげる
1922年、大阪府生まれ。若い頃は画家を志していたもののなかなか目が出ず挫折。その後、紙芝居制作に打ち込みこの時生まれたキャラクターが鬼太郎だそう。35歳で漫画家デビューするも貧しさからは脱出できなかったそうで、辞めることも考えたそうです。しかし墓場の鬼太郎シリーズを執筆し始めると好転、注目されるようになり45歳の時に漫画賞を受賞すると、人気作家となりました。
もちろん成功するのに早いに越したことはありません。今回紹介したアーティストもそのように考えていたかも……。しかし老いて目覚めるからこそ味わいのある芸術、経験からにじみ出る感性はやはりその時にしか出せないものだと思います。
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Fujisan.co.jpより
情報提供元: マガジンサミット