戦時中、中国の旧満州で細菌兵器の製造や人体実験を行った旧日本軍の「731部隊」。実は、東南アジアにも同じような部隊が存在したとされています。終戦とともに隠蔽された“知られざる”部隊の実態を追いました。
“感染症予防”の研究の裏で…知られざる“細菌戦”部隊
2025年、中国である書籍が出版されました。タイトルは「日本軍岡9420部隊」。戦時中、日本軍が東南アジアに置いた部隊の通称名です。
中国で、細菌兵器の開発や捕虜らに細菌を感染させる非人道的な人体実験を繰り返した「731部隊」の関連組織でした。
「日本軍岡9420部隊」より
「(部隊の主要任務は)“ペストノミ”の大量生産。中国の戦場以外では最大の細菌戦部隊だったが、その歴史は隠ぺいされ、忘れ去られてきた」
この本を中国の研究家とともに執筆したのは、シンガポールに住む華僑で、日本軍を独自に調査しているリム・シャオビンさん(68)です。
「岡9420部隊」を研究 リム・シャオビンさん
「(細菌を媒介する)ノミにとって一番適温で繁殖しやすい環境は、東南アジアの気温と湿度がぴったりだということで、東南アジアに部隊を作るという案がたてられた」
日本軍がイギリス領だったマレー半島に侵攻し、シンガポールを占領した1942年。
「岡9420部隊」は中国の南京で編成され、シンガポールを本部として、現在のマレーシアやインドネシア、ミャンマーなど各地に拠点を設けました。
「岡部隊」を知るための当時の貴重な映像があります。731部隊の創設者・石井四郎の右腕とされた増田知貞軍医が、「岡部隊」の拠点などを視察した際のものとみられます。
シンガポールの医科大学を占拠して作られた「岡部隊」の本部の研究室には、白衣を着た軍医らの姿が。また別の拠点を撮影した映像には、動物を飼育するものなのでしょうか、木箱のようなものが写っています。
表の目的は「感染症の予防などの研究」でしたが、裏では「細菌兵器の開発」が行われていたと指摘されています。
部隊の重要拠点「時が止まったよう」
JNNは今回、マレーシアで特別な許可を得て、リムさんとともに部隊の重要な拠点だった場所を訪れました。
記者
「中に入ると非常に広い敷地であることが分かります。当時は、イギリスが東南アジア最大級の精神病院を作っていた場所ですが、日本軍が占領し、細菌兵器の製造拠点にしたとみられています」
タンポイという地区にあった旧精神病院の建物や隔離用の壁、巨大な給水塔などは当時のまま。
ーーこれは何の建物だったんですか?
「岡9420部隊」を研究 リム・シャオビンさん
「毒化実験室、細菌を武器化した場所です。時がストップしたような感じですね」
ここで一体、何が行われていたのか。
繰り返された“ペスト菌ノミ”実験
日本軍の軍属として勤めていた竹花京一は、戦後、自身の手記にこう綴っていました。
日本軍の軍属 竹花京一の手記
「鼠(ネズミ)にペスト菌を注射し、発病した鼠にノミをたからせ、ノミの胃袋にペスト菌が吸入されておれば、即ち細菌兵器となる」
致死率の高いペスト菌の実験を繰り返すなかで、部隊に多くの犠牲者が出ていたこともうかがえます。
日本軍の軍属 竹花京一の手記
「研究室では一日にかなりの量の汚物や危険物が出る。生菌の残存する危険性もあり、注意と根気強さの要求される仕事である。多くの遺体があのタンポイの丘に眠ったままではないかと気がかりです」
「岡9420部隊」を研究 リム・シャオビンさん
「(ガラス容器が)爆弾の芯の部分ではないかと推測しています」
リムさんは、こうして製造された細菌兵器が、ガラス工場でつくられた容器に詰められ、細菌爆弾になったとみています。
かつて部隊の研究助手だったシンガポール人のオスマン・ウォク氏も生前、裏付けとなるような証言を残していました。
「岡9420部隊」に所属していた オスマン・ウォク氏
「3~4か月に一度、日本軍はノミを巨大なガラス容器に詰め、数百万匹単位でタイへと列車で輸送していた」
「なぜ悪いことができる組織に」調査の原点に祖父の悲劇
日本への留学経験があるリムさん。日本軍の調査に取り組む原点となったのは、自身の祖父に起きた悲劇です。
終戦後の1945年9月、マレー半島のマラッカで、祖父は日本軍の憲兵から抗日運動に関わっていると疑われ、ほかの住民とともに無人島に連行されました。
記者
「日本軍に連れてこられた人たちは、殺害され、井戸の中に放り込まれたということです」
「岡9420部隊」を研究 リム・シャオビンさん
「許しがたい犯罪ですね。何回来ても理解できない。本当にひどい」
「おじいちゃんが悲惨に殺されて、孫としても子どもの時代には大変貧乏でした。苦しんでいましたが、それは個人の問題なんです。もっと重要なのは、日本軍の組織、どうやったらこういう悪いことができる軍隊になっていったのかを追究したい。その中に731(部隊)もあれば、9420(部隊)もあります」
「岡部隊」台湾・朝鮮半島出身者も動員か?
最大で800人を超える隊員が所属していたとされる「岡9420部隊」。
近年、隊員の氏名や本籍が記された「留守名簿」が公開されるなど、日本でも実態の解明に向けた研究が進んでいます。
留守名簿を発見した専門家は、731部隊とは異なる「岡部隊」の特徴として、20人以上の台湾や朝鮮半島の出身者が動員されていたことをあげます。
滋賀医科大学 西山勝夫 名誉教授
「台湾や朝鮮の人たちは日本軍に利用されたわけで、そういう意味で被害者ですよね。もしもこの人たちの存在を突き止めることができれば、もっといろんなことが分かってくるんではないかと」
イギリスの戦犯裁判記録には、「日本軍の軍医がマレーシアの刑務所で中国系住民の受刑者に対し、“毒物による人体実験を行った”」と書かれていますが、「岡部隊」の関与は不明です。
リムさんは現在、アメリカ軍などの記録をもとに、中国・ミャンマー国境の激戦地で「岡部隊」の細菌兵器が実際に使用されたのではないかと考え、調査を続けています。
「岡9420部隊」を研究 リム・シャオビンさん
「80年も経ったのに、まだこれだけの未解明なことがあるというのは信じられない。証拠となるようなものを示したうえで、みんなに伝える、(記憶に)残してもらうというのが責任。平和な時間というのはただではこない。努力しないと守れない」
「岡9420部隊」の存在、政府は認めず…
喜入友浩キャスター:
「平和はただでは訪れない」という言葉はすごく重く、心に刺さりました。
日本政府はこうした部隊の活動について、「詳細な資料がない」などとして公式には認めていません。
また戦後、部隊に所属していた軍医たちは、アメリカに実験データを引き渡すことで戦争犯罪を免れたという指摘もあります。
上村彩子キャスター:
本来は人の命を救うはずの医療者が、戦争によって命を奪う、非人道的な行為に加担していたという歴史を、私たちはしっかりと知って、後世に伝えていかなければなりません。
現地の被害者や遺族は、真相の究明を求めています。
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