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2025-07-16 17:00

2025年大阪・関西万博の公式アンバサダーを務めるコブクロが、“大阪”をテーマにしたミニアルバム『THIS IS MY HOMETOWN』を7月16日にリリースした。万博をきっかけに地元と改めて向き合い、“ふるさと”をまっすぐに歌ったタイトル曲「THIS IS MY HOMETOWN」をはじめ、2002年に制作され、ライブで数回だけ披露されてきたレア楽曲「おさかなにわ」や、やしきたかじんのカバー「大阪恋物語」など、大阪にまつわる楽曲を全7曲収録。インタビューでは、万博開会式での経験やストリート時代からの“地元との距離”について、率直な言葉で語ってくれた。
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■地元・堺からのオファーに「いやいやいや!」と言ってきた25年
――ミニアルバム『THIS IS MY HOMETOWN』は大阪をテーマにした作品ですが、こういった作品をやっと出せたなという感じなのでしょうか?
小渕健太郎(以下、小渕) コブクロは大阪で結成したんですけど、大阪をテーマにした作品はこれまで一枚もなくて。
黒田俊介(以下、黒田) 大阪から出てきた人間としては、大阪をテーマにするっていうのは、すごい違和感があるんですよね(笑)。
――その違和感というのは?
黒田 大阪に住んでても、関西弁の歌を聴く機会ってほとんどなかったし、「大阪」を全面に出してる曲にもそんなに触れてこなかったですから。それで言うと、やしきたかじんさんくらいかな?
小渕 たかじんさんはすごいよね。たかじんさんの浸透度って、東京の人が見たらびっくりすると思いますよ。僕も19~21歳くらいまで大阪に住んでてサラリーマンをしてたんですけど、カラオケでみんなたかじんさんの曲を歌うっていう。
――自分はたかじんさん初心者なんですが、たかじんさんの曲って全部関西弁なんですか?
黒田 もう全部!端から端まで(笑)!
小渕 ほかにはあんまりいないですよね。
――そういう背景がある中で、今作はやはり大阪・関西万博がきっかけで制作されたんですよね。
小渕 4年前くらいから万博のテーマソングを作って歌ってきたんですけど、いよいよ開催される年になって、「この曲をきっかけに、これまでの大阪の曲をまとめたいね」となって。集めてみたら曲がこんなにあったので、さすがにフルアルバムにはならなかったですけど、ミニアルバムとして仕上がりました。新録した曲もありますし、全然演奏してこなかった曲とか、ライブテイクに弦楽器を足したりとか、こういうタイミングでなければ思いつかないような制作になりました。
――タイトル曲「THIS IS MY HOMETOWN」は新録曲ですね。
小渕 どうやったら大阪というテーマで、1つの作品ができるだろうってずっと考えていて。もしかして、たかじんさんのように関西弁をがっつり使うべきなのか?でも、違うなとか。そうやって考えていった結果「THIS IS MY HOMETOWN」っていう言葉の響きが頭の中をぐるぐる回るようになって。そこから、言葉遊びみたいに韻を踏んでみたり、柔らかい言葉を探していくうちに、自然と前向きなフレーズがたくさん出てきたんです。「この街に流れる開放感」とか、「最高だ」とか。僕らって普段の会話では「最高!」とか言いますけど、歌詞ではなかなか使ってこなかった。でも今回は、その“最高だ”って言葉が、この曲の名刺になるぐらいしっくりきたんです。それで誕生したのがこの曲で、タイトル曲にすることにしました。
――故郷を歌った曲ですが、逆に故郷と距離をとってたような時期ってありますか?
黒田 僕なんてこれまで堺(※黒田の出身の大阪府堺市)からお仕事の話をいただいても、「いやいやいや、ちょっと待って!」って言ってきたぐらいで(笑)。なんか照れくさいというか、気持ちの整理がついてなかったというか。
――やっぱりそういう気持ち、ありましたか。
黒田 誤解のないように言いたいんですけど、難しいなぁ(笑)。でも、25年間、いろんな話はもらってきて、それでもやってこなかったってことは、やっぱりこだわりがあったんだと思うんです。東京で勝負したいっていう気持ちの表れかもしれないですけど。でも万博が、そこを変えるきっかけになりました。それで、堺銀座商店街に「九月八日」っていう焼肉サンド専門店もオープンさせて。
――“地元を大事にする”というテーマの裏に、逆に距離を取っていた時期があったというのは、とてもリアルですね。
小渕 僕自身もここ1〜2年で、地元・宮崎の友達とすごく会うようになって。小・中学校の友達が家に泊まりにきて、昔聴いてたコンプレックスのライブ映像をみんなで一緒に観たりもして。
――いい話ですね。
小渕 そのとき、友達に「(コブクロには)俺たちの歌がないやん、小渕くん」って言われて。それがすごく自然で、なんかかわいくて(笑)。もちろんそういう曲もあるんですけど、僕らは今まで全国に向けて歌を届けてきたので、今回は改めて“地元”“故郷”をテーマにしてみようと。黒田も堺で「九月八日」をオープンさせたり、僕もそうやって友達と触れ合ったり、タイミングも重なって「THIS IS MY HOMETOWN」ができました。
■友人が流したリアルな涙
――「THIS IS MY HOMETOWN」の曲調は温かなレゲエ風ですね。
黒田 堺がレゲエの町やからちゃう(笑)?
小渕 あとづけですけど、堺ってレゲエの町なんですよ。
黒田 三木道三さんが堺の出身で、交流があるんです。三木道三さんも録音してた小さなスタジオで僕らも録音したことがあって。卵のケースを壁に貼って防音してたような手作りのスタジオで。
小渕 懐かしいね。あとは僕の地元・宮崎って南国で、景色からしてゆったりしてるんですよ。曲のアレンジとか空気感は、そういうものも含めて、自然と出てきたのかもしれないですね。
――黒田さんがメインでボーカルを取られてますよね。これはどう決まったんでしょうか?
黒田 これは…うちのプロデューサー(※小渕のこと)の一存。「今回は黒田さんメインで!」の一言で(笑)。
小渕 (笑)。僕はハモリとコーラスで参加してて。最初の頃のスタイルに近いんですよね。「桜」も「轍」も「赤い糸」も、黒田がメインで、僕はハモリっていうのが最初だったので。そういう意味では、原点回帰的な曲かもしれません。
――ミュージックビデオもとても印象的でした。先ほどお話にあった小渕さんのご友人が出演されてますよね?
小渕 そうなんです。乾杯してるシーンに一瞬だけ出てくるんですけど、演技じゃなくてリアルなんですよ。最初に「ミュージックビデオに出るよ」って伝えたら、めちゃくちゃ緊張してて。でも「何もしなくていいから、ただ座ってて」って言って、その場で初めて曲を聴かせたんです。そしたら、ポロっと涙を流してくれて。あの瞬間は本当に偶然で、でもすごくこの曲とリンクしたなって思いました。
――またいい話です。黒田さんのお友達は?
黒田 僕も、出そうかなって友達に声かけたんですけど…ちょっと汚いやつらだからやめとこかなって(笑)。僕は堺の商店街のシーンが多いんですけど、僕らが結成してストリートライブやってた場所で撮影したりもしています。
■ストリートで初めて「桜」を歌った日
――当時の堺でのストリートライブってどんな感じだったんですか?
小渕 当時はストリートミュージシャンが10組ぐらいバーッといて、占いのおっちゃんもいましたし、もうすごかったですよ。ごちゃごちゃしてて。でも最後まであの場所でやってたのは、たぶん僕らぐらいですね。
――過酷な環境でもあったんですね。
小渕 楽しいだけじゃやっていけない時期がくるんですよ。人がバーッと集まってくるけど、自分たちの前には立ち止まらないとか、惨めな気持ちになることも何度もありました。「今日、俺ら負けたな」とか思ったりして。でもまずは“堺で一番にならないと”って思ってがんばって、そこから難波とか天王寺に出ていくことができたんです。
――ストリート時代で、手応えを感じた瞬間って覚えてますか?
小渕 「桜」を歌ったときですね。まだグループを組む前で、曲だけあったんですけど、「2人でこの1曲だけ歌おう」ってなって。そのときに人がバーッと集まってきたんですよ。でもオリジナルがその1曲しかなかったんで、「次どうする?」ってなって、ミスチルさんの曲を歌おうって(笑)。で、歌ったんですけど、観てる人が「あ、人の歌も歌うんや…」って感じで、だんだん人が引いていくのがわかって。
黒田 当時、駅前にチケットぴあがあって、ミスチルさんのライブのチケット発売日に、みんなそこに並んでて。で、その前で僕らがミスチルさんの曲を歌って、わーっと喜んでもらえたんですけど、帰りの車でなんとも言えない気持ちになって。「結局、僕らがすごいんちゃうやん…」って。それがあって「もう二度と他人の歌はやめよう」ってなったよな。
――ちなみにそのときの「桜」って、どんなアレンジだったんですか?
小渕 まったく一緒ですね。イントロからアウトロまで、そのまんまです。
――それはすごいです…。万博の開会式では「この地球(ほし)の続きを」をパフォーマンスされていましたが、どんなお気持ちでしたか?
黒田 僕らは堺東の商店街から始まってて、その僕らが、天皇皇后両陛下、総理大臣、世界中のお偉いさんの前で歌うって、すごくないですか(笑)。肉眼で見える距離にいらっしゃいましたし、あんな緊張感、本当になかなかないです。それに、警備もすごかったよな!? たぶん日本で一番SPが集まった日じゃないかと(笑)。もう、明らかに「あ、この人SP界のトップオブトップやな」っていう存在感ある人たちがいて、そっちにも緊張しました(笑)。
――今後も万博のアンバサダーとしての活動はまだ続いていくわけですね。
小渕 僕たちとしては、曲を作ることができた時点で、ほとんど役割は果たせたと思ってます。想像上の万博の盛り上がりを、150%詰め込んだつもりでしたけど、SNSで「行ってきたよ」っていう動画に、僕らの曲をBGMでつけてくれているのを見たときに、「あ、伝わってるな」って。そう思えたのが、すごくうれしかったです。
黒田 仕事で何度も現地行ってるんですけど、向こうで働いてるおばちゃんたちが、よう喋るんですよ(笑)。大阪の人ってやっぱりフレンドリーで、喋ってるだけで落ち着くし、大屋根のリングの下にいると「ここが一番落ち着くな」って思います。日本人なんだなあって。
■大阪のおすすめグルメは!?
――さて、いよいよツアーも始まりますね。今回はどんなライブになりそうですか?
小渕 まだリハーサルの途中なので細かい構成はこれからですが、最終的には“あったかい気持ちになれるライブ”になりそうだなと思ってます。心が自由になって帰ってもらえるような、そんな空間を目指しています。
黒田 この間、東京と大阪でインディーズ時代の曲ばっかりやったライブがあったんです。ほぼ全曲インディーズ。それがね、久々に味わった感覚というか…ああいう泥臭い感じ、いいなと思って。今回のツアーも、そういう雰囲気を引きずっていく感じになるんじゃないかなと思ってます。
――長いツアーを続けていくうえで、体調管理も大事になると思いますが、何か気をつけていることはありますか?
黒田 僕は“積極的疲労回復”ですね。少しでも空いた時間があれば、運動して動くようにしてます。最近は暑すぎてなかなか難しいですけど、行けるならゴルフとか。体を動かさないと、疲れが抜けないんですよ。5年くらい前からずっとそんな感じです。
小渕 僕は会場入りの前々日にその街に入って、だいたい2万歩くらい、14キロくらい歩くっていうのをルーティンにしてます。知らない店に入ってみたり、知らない道を歩いてみたり。その土地の空気を感じて、ライブのMCでも話せることが増えるので、今回のツアーも、全部そうさせてもらうつもりです。
――じゃあ、地方の街で遭遇できるチャンスもあるかもしれないですね(笑)。
小渕 そうかもしれないですね(笑)。
――ちなみに、大阪でオススメの場所やお店ってありますか?
黒田 うーん、やっぱり難波ですかね。難波の駅からアメ村までの道のりが、やっぱり「ザ・大阪」なんですよね。たこ焼き、ラーメン、服屋、全部並んでて、歩いてるだけで楽しいですからね。
小渕 服屋から食べ物の匂いするもんな(笑)。僕はこの前、「とんかつ中村」さんっていうお店に行って、それ以来、とんかつにハマっちゃって。衣がサクサクで、油も軽くて、ほんとにうまいんですよ。
黒田 めっちゃ気になるわ、それ。どこなん?
小渕 梅田からタクシーで15〜16分くらい。めっちゃおいしいよ。
黒田 そうなんや。大阪はもう、食べ物がほんまに豊富だから、「金龍ラーメン」食べて、「甲賀流」のたこ焼き食べて、三角公園でのんびりして…みたいな、大阪らしいルートもベタやけど好きですね(笑)。
【コブクロ】
小渕健太郎(ギター&ボーカル)、黒田俊介(ボーカル)によるデュオ。1998年、大阪の堺市でストリートミュージシャンをしていた黒田と小渕が出会い結成。2001年、シングル「YELL~エール~/Bell」でメジャーデビュー。2005年、『第56回 NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。2025年開催の大阪・関西万博では、公式アンバサダーを務め、オフィシャルテーマソングとして書き下ろした「この地球(ほし)の続きを」は、同年4月12日の開会式でも披露され反響を呼んだ。7月16日には同曲ほか6曲を収録するミニアルバム『THIS IS MY HOMETOWN』をリリースした。
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■地元・堺からのオファーに「いやいやいや!」と言ってきた25年
――ミニアルバム『THIS IS MY HOMETOWN』は大阪をテーマにした作品ですが、こういった作品をやっと出せたなという感じなのでしょうか?
小渕健太郎(以下、小渕) コブクロは大阪で結成したんですけど、大阪をテーマにした作品はこれまで一枚もなくて。
黒田俊介(以下、黒田) 大阪から出てきた人間としては、大阪をテーマにするっていうのは、すごい違和感があるんですよね(笑)。
――その違和感というのは?
黒田 大阪に住んでても、関西弁の歌を聴く機会ってほとんどなかったし、「大阪」を全面に出してる曲にもそんなに触れてこなかったですから。それで言うと、やしきたかじんさんくらいかな?
小渕 たかじんさんはすごいよね。たかじんさんの浸透度って、東京の人が見たらびっくりすると思いますよ。僕も19~21歳くらいまで大阪に住んでてサラリーマンをしてたんですけど、カラオケでみんなたかじんさんの曲を歌うっていう。
――自分はたかじんさん初心者なんですが、たかじんさんの曲って全部関西弁なんですか?
黒田 もう全部!端から端まで(笑)!
小渕 ほかにはあんまりいないですよね。
――そういう背景がある中で、今作はやはり大阪・関西万博がきっかけで制作されたんですよね。
小渕 4年前くらいから万博のテーマソングを作って歌ってきたんですけど、いよいよ開催される年になって、「この曲をきっかけに、これまでの大阪の曲をまとめたいね」となって。集めてみたら曲がこんなにあったので、さすがにフルアルバムにはならなかったですけど、ミニアルバムとして仕上がりました。新録した曲もありますし、全然演奏してこなかった曲とか、ライブテイクに弦楽器を足したりとか、こういうタイミングでなければ思いつかないような制作になりました。
――タイトル曲「THIS IS MY HOMETOWN」は新録曲ですね。
小渕 どうやったら大阪というテーマで、1つの作品ができるだろうってずっと考えていて。もしかして、たかじんさんのように関西弁をがっつり使うべきなのか?でも、違うなとか。そうやって考えていった結果「THIS IS MY HOMETOWN」っていう言葉の響きが頭の中をぐるぐる回るようになって。そこから、言葉遊びみたいに韻を踏んでみたり、柔らかい言葉を探していくうちに、自然と前向きなフレーズがたくさん出てきたんです。「この街に流れる開放感」とか、「最高だ」とか。僕らって普段の会話では「最高!」とか言いますけど、歌詞ではなかなか使ってこなかった。でも今回は、その“最高だ”って言葉が、この曲の名刺になるぐらいしっくりきたんです。それで誕生したのがこの曲で、タイトル曲にすることにしました。
――故郷を歌った曲ですが、逆に故郷と距離をとってたような時期ってありますか?
黒田 僕なんてこれまで堺(※黒田の出身の大阪府堺市)からお仕事の話をいただいても、「いやいやいや、ちょっと待って!」って言ってきたぐらいで(笑)。なんか照れくさいというか、気持ちの整理がついてなかったというか。
――やっぱりそういう気持ち、ありましたか。
黒田 誤解のないように言いたいんですけど、難しいなぁ(笑)。でも、25年間、いろんな話はもらってきて、それでもやってこなかったってことは、やっぱりこだわりがあったんだと思うんです。東京で勝負したいっていう気持ちの表れかもしれないですけど。でも万博が、そこを変えるきっかけになりました。それで、堺銀座商店街に「九月八日」っていう焼肉サンド専門店もオープンさせて。
――“地元を大事にする”というテーマの裏に、逆に距離を取っていた時期があったというのは、とてもリアルですね。
小渕 僕自身もここ1〜2年で、地元・宮崎の友達とすごく会うようになって。小・中学校の友達が家に泊まりにきて、昔聴いてたコンプレックスのライブ映像をみんなで一緒に観たりもして。
――いい話ですね。
小渕 そのとき、友達に「(コブクロには)俺たちの歌がないやん、小渕くん」って言われて。それがすごく自然で、なんかかわいくて(笑)。もちろんそういう曲もあるんですけど、僕らは今まで全国に向けて歌を届けてきたので、今回は改めて“地元”“故郷”をテーマにしてみようと。黒田も堺で「九月八日」をオープンさせたり、僕もそうやって友達と触れ合ったり、タイミングも重なって「THIS IS MY HOMETOWN」ができました。
■友人が流したリアルな涙
――「THIS IS MY HOMETOWN」の曲調は温かなレゲエ風ですね。
黒田 堺がレゲエの町やからちゃう(笑)?
小渕 あとづけですけど、堺ってレゲエの町なんですよ。
黒田 三木道三さんが堺の出身で、交流があるんです。三木道三さんも録音してた小さなスタジオで僕らも録音したことがあって。卵のケースを壁に貼って防音してたような手作りのスタジオで。
小渕 懐かしいね。あとは僕の地元・宮崎って南国で、景色からしてゆったりしてるんですよ。曲のアレンジとか空気感は、そういうものも含めて、自然と出てきたのかもしれないですね。
――黒田さんがメインでボーカルを取られてますよね。これはどう決まったんでしょうか?
黒田 これは…うちのプロデューサー(※小渕のこと)の一存。「今回は黒田さんメインで!」の一言で(笑)。
小渕 (笑)。僕はハモリとコーラスで参加してて。最初の頃のスタイルに近いんですよね。「桜」も「轍」も「赤い糸」も、黒田がメインで、僕はハモリっていうのが最初だったので。そういう意味では、原点回帰的な曲かもしれません。
――ミュージックビデオもとても印象的でした。先ほどお話にあった小渕さんのご友人が出演されてますよね?
小渕 そうなんです。乾杯してるシーンに一瞬だけ出てくるんですけど、演技じゃなくてリアルなんですよ。最初に「ミュージックビデオに出るよ」って伝えたら、めちゃくちゃ緊張してて。でも「何もしなくていいから、ただ座ってて」って言って、その場で初めて曲を聴かせたんです。そしたら、ポロっと涙を流してくれて。あの瞬間は本当に偶然で、でもすごくこの曲とリンクしたなって思いました。
――またいい話です。黒田さんのお友達は?
黒田 僕も、出そうかなって友達に声かけたんですけど…ちょっと汚いやつらだからやめとこかなって(笑)。僕は堺の商店街のシーンが多いんですけど、僕らが結成してストリートライブやってた場所で撮影したりもしています。
■ストリートで初めて「桜」を歌った日
――当時の堺でのストリートライブってどんな感じだったんですか?
小渕 当時はストリートミュージシャンが10組ぐらいバーッといて、占いのおっちゃんもいましたし、もうすごかったですよ。ごちゃごちゃしてて。でも最後まであの場所でやってたのは、たぶん僕らぐらいですね。
――過酷な環境でもあったんですね。
小渕 楽しいだけじゃやっていけない時期がくるんですよ。人がバーッと集まってくるけど、自分たちの前には立ち止まらないとか、惨めな気持ちになることも何度もありました。「今日、俺ら負けたな」とか思ったりして。でもまずは“堺で一番にならないと”って思ってがんばって、そこから難波とか天王寺に出ていくことができたんです。
――ストリート時代で、手応えを感じた瞬間って覚えてますか?
小渕 「桜」を歌ったときですね。まだグループを組む前で、曲だけあったんですけど、「2人でこの1曲だけ歌おう」ってなって。そのときに人がバーッと集まってきたんですよ。でもオリジナルがその1曲しかなかったんで、「次どうする?」ってなって、ミスチルさんの曲を歌おうって(笑)。で、歌ったんですけど、観てる人が「あ、人の歌も歌うんや…」って感じで、だんだん人が引いていくのがわかって。
黒田 当時、駅前にチケットぴあがあって、ミスチルさんのライブのチケット発売日に、みんなそこに並んでて。で、その前で僕らがミスチルさんの曲を歌って、わーっと喜んでもらえたんですけど、帰りの車でなんとも言えない気持ちになって。「結局、僕らがすごいんちゃうやん…」って。それがあって「もう二度と他人の歌はやめよう」ってなったよな。
――ちなみにそのときの「桜」って、どんなアレンジだったんですか?
小渕 まったく一緒ですね。イントロからアウトロまで、そのまんまです。
――それはすごいです…。万博の開会式では「この地球(ほし)の続きを」をパフォーマンスされていましたが、どんなお気持ちでしたか?
黒田 僕らは堺東の商店街から始まってて、その僕らが、天皇皇后両陛下、総理大臣、世界中のお偉いさんの前で歌うって、すごくないですか(笑)。肉眼で見える距離にいらっしゃいましたし、あんな緊張感、本当になかなかないです。それに、警備もすごかったよな!? たぶん日本で一番SPが集まった日じゃないかと(笑)。もう、明らかに「あ、この人SP界のトップオブトップやな」っていう存在感ある人たちがいて、そっちにも緊張しました(笑)。
――今後も万博のアンバサダーとしての活動はまだ続いていくわけですね。
小渕 僕たちとしては、曲を作ることができた時点で、ほとんど役割は果たせたと思ってます。想像上の万博の盛り上がりを、150%詰め込んだつもりでしたけど、SNSで「行ってきたよ」っていう動画に、僕らの曲をBGMでつけてくれているのを見たときに、「あ、伝わってるな」って。そう思えたのが、すごくうれしかったです。
黒田 仕事で何度も現地行ってるんですけど、向こうで働いてるおばちゃんたちが、よう喋るんですよ(笑)。大阪の人ってやっぱりフレンドリーで、喋ってるだけで落ち着くし、大屋根のリングの下にいると「ここが一番落ち着くな」って思います。日本人なんだなあって。
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――さて、いよいよツアーも始まりますね。今回はどんなライブになりそうですか?
小渕 まだリハーサルの途中なので細かい構成はこれからですが、最終的には“あったかい気持ちになれるライブ”になりそうだなと思ってます。心が自由になって帰ってもらえるような、そんな空間を目指しています。
黒田 この間、東京と大阪でインディーズ時代の曲ばっかりやったライブがあったんです。ほぼ全曲インディーズ。それがね、久々に味わった感覚というか…ああいう泥臭い感じ、いいなと思って。今回のツアーも、そういう雰囲気を引きずっていく感じになるんじゃないかなと思ってます。
――長いツアーを続けていくうえで、体調管理も大事になると思いますが、何か気をつけていることはありますか?
黒田 僕は“積極的疲労回復”ですね。少しでも空いた時間があれば、運動して動くようにしてます。最近は暑すぎてなかなか難しいですけど、行けるならゴルフとか。体を動かさないと、疲れが抜けないんですよ。5年くらい前からずっとそんな感じです。
小渕 僕は会場入りの前々日にその街に入って、だいたい2万歩くらい、14キロくらい歩くっていうのをルーティンにしてます。知らない店に入ってみたり、知らない道を歩いてみたり。その土地の空気を感じて、ライブのMCでも話せることが増えるので、今回のツアーも、全部そうさせてもらうつもりです。
――じゃあ、地方の街で遭遇できるチャンスもあるかもしれないですね(笑)。
小渕 そうかもしれないですね(笑)。
――ちなみに、大阪でオススメの場所やお店ってありますか?
黒田 うーん、やっぱり難波ですかね。難波の駅からアメ村までの道のりが、やっぱり「ザ・大阪」なんですよね。たこ焼き、ラーメン、服屋、全部並んでて、歩いてるだけで楽しいですからね。
小渕 服屋から食べ物の匂いするもんな(笑)。僕はこの前、「とんかつ中村」さんっていうお店に行って、それ以来、とんかつにハマっちゃって。衣がサクサクで、油も軽くて、ほんとにうまいんですよ。
黒田 めっちゃ気になるわ、それ。どこなん?
小渕 梅田からタクシーで15〜16分くらい。めっちゃおいしいよ。
黒田 そうなんや。大阪はもう、食べ物がほんまに豊富だから、「金龍ラーメン」食べて、「甲賀流」のたこ焼き食べて、三角公園でのんびりして…みたいな、大阪らしいルートもベタやけど好きですね(笑)。
【コブクロ】
小渕健太郎(ギター&ボーカル)、黒田俊介(ボーカル)によるデュオ。1998年、大阪の堺市でストリートミュージシャンをしていた黒田と小渕が出会い結成。2001年、シングル「YELL~エール~/Bell」でメジャーデビュー。2005年、『第56回 NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。2025年開催の大阪・関西万博では、公式アンバサダーを務め、オフィシャルテーマソングとして書き下ろした「この地球(ほし)の続きを」は、同年4月12日の開会式でも披露され反響を呼んだ。7月16日には同曲ほか6曲を収録するミニアルバム『THIS IS MY HOMETOWN』をリリースした。
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