E START

E START トップページ > スポーツ > ニュース > 男子110mH 村竹ラシッドが12秒92の今季世界2位!山崎一彦コーチ「記録を評価しすぎない」世界陸上で戦うために

男子110mH 村竹ラシッドが12秒92の今季世界2位!山崎一彦コーチ「記録を評価しすぎない」世界陸上で戦うために

スポーツ
2025-08-18 13:17

東京2025世界陸上代表に内定している村竹ラシッド(23、JAL)が、12秒92(追い風0.6m)というすごいタイムを叩き出した。8月16日に9.98スタジアム(福井県営陸上競技場)で行われたAthlete Night Games in FUKUI2025・2日目の男子110mハードルでのこと。村竹の記録は、自身と泉谷駿介(25、住友電工)の持っていた13秒04の日本記録を0.12秒も更新し、アジア歴代2位、世界歴代でも11位タイというレベルの高いタイムだった。世界陸上本番でのメダル獲得への期待が高まったが、村竹を指導する山崎一彦コーチ(54、順天堂大学監督)は、記録だけで判断することの危険性にも言及していた。


【一覧】9月13日開幕『東京2025世界陸上』日程&出場選手


12秒台のレースをどんな感覚で走っていたのか

フィニッシュした村竹はスタンドの歓声に何度も応えたが、単純な喜び方とは少し違い、感極まっている表情にも見えた。レース後の村竹のコメントからも、12秒92という数字に自身も驚いている様子が伝わってきた。「まさかここまで出るとは思わなかったです。今年はアベレージが13秒15くらいなので、13秒0台は出したいと思っていました。120点、140点くらい付けてもいいんじゃないかと」


今大会の会場は17年に桐生祥秀(29、日本生命、当時東洋大)が、日本人で初めて9秒台を出したことにより「9.98スタジアム」と命名された。村竹は予選と決勝の間に順天堂大学の後輩たちと、「12.98スタジアムに変えたいね」と冗談で話していたという。おそらく12秒9台前半まではイメージしていなかったのだろう。


世界でも過去11人しか経験していない12秒台。そのレースを走っている最中の感覚については、以下のように話していた。「スタートは“良い時の自分”という感じでしたが、中盤の4、5台目あたりで勢いに乗ることができました。際限なくスピードが上がって行く感じで、“これは記録が出るだろう”と感じていましたね。後半も(踏み切り位置がハードルに近づきすぎないように)しっかり刻んで走り切ることができましたし、ハードルを10台跳んでもいっぱいの状態にならず、あと2、3台あっても同じ勢いで走れると感じていました。(13秒台とは)中盤からのスピード感がまったく違って、もう新感覚でした」


パリオリンピック™金メダルの12秒99、一昨年の世界陸上ブダペスト金メダルの12秒96ともに上回っているが、特定の大会との比較は気象条件が違うので評価の仕方としてはよくない。その年のベスト記録での比較であれば、コンディションの良い大会を走った時の比較になるので参考になる。12秒92は前述のように今季世界リストで2位、24年世界リストで2位相当、23年1位相当、22年2位相当、21年2位相当となる。


今回の記録を出したことで村竹は、世界陸上金メダル候補の1人に挙げられそうだ。
 


日本人初の13秒台から36年で、日本の110mハードルが12秒台へ

日本人初の13秒台(13秒95)を1989年に出したのは岩崎利彦(当時順天堂大)だった。岩崎は富士通入社後に3度も日本記録を更新し、91年には13秒58まで縮めた。岩崎が13秒58を出した場所は旧国立競技場で、34年前の東京世界陸上だった。岩崎の実績は順天堂大の後輩である泉谷と村竹が、9月の東京2025世界陸上に臨むときの後押しとなるだろう。


その後日本記録を更新できない期間が生じたが、99年に谷川聡(当時ミズノ)が13秒55をマーク。内藤真人(当時ミズノ)が2度更新して13秒47と初めて13秒50を切ると、04年には谷川が13秒39まで縮めた。


その記録が14年間残り続けたが、18年に金井大旺(当時福井県スポーツ協会)が13秒36と更新すると、金井、高山峻野(30、ゼンリン)、泉谷(当時順天堂大)の3人が日本記録を更新する期間が続いた。19年に高山が13秒25と初の13秒2台を、21年には金井が13秒16と初の13秒1台を、同じ21年には泉谷が13秒06と初の13秒0台を記録した。


13秒1台を世界陸上や五輪の準決勝で出せば、決勝に進出できる。3人が日本新の応酬をすることで日本の110mハードルは世界トップレベルに成長し、23年の世界陸上ブダペストではついに、泉谷が決勝進出を果たして5位と、五輪&世界陸上で日本人初の入賞を成し遂げた。


そこに登場してきたのが村竹である。泉谷が23年6月に出した13秒04の日本記録に、その年の9月に村竹(当時順天堂大4年)も13秒04を出して並んでみせた。そして村竹は翌24年のパリ五輪5位と、前年の世界陸上の泉谷に続き日本人初の五輪入賞を達成した。


村竹自身はいつ頃から12秒を意識し、どのように手応えを感じながら今回の快挙に至ったのだろうか。


「12秒台をちゃんと見据えるようになったのは、大学4年の日本インカレで13秒04が出た時です。翌年(24年)の日本選手権の準決勝もすごく良い感覚で、リラックスして余裕も持てて、それでも(向かい風1.0mでも)13秒14で走ることができました。決勝は12秒台は出せませんでしたが、2年続けて13秒0台(13秒07)を出せたことで実力を再確認できたんです。欲を言えばパリ五輪で12秒台を出したいと思っていましたが、上手くいかず、今年にしっかりつなげようという思いで冬期練習をやってきました。今年は12秒台を狙った大会が5月のゴールデングランプリでしたね。国立競技場で出すことができたら、同じ場所で行われる世界陸上に向けて大きい自信につながると思ったのですが、意気込みすぎて(優勝したが13秒16と)上手くいきませんでした。しかし6月のダイヤモンドリーグ・パリ大会で13秒0台を2本(2本とも13秒08)、短いスパンで出すことができて大きな自信になりましたし、7月のダイヤモンドリーグ・モナコ大会(13秒17で4位)の後は2週間と短い期間ですが鍛錬期を設けて、12秒台を見据えて今日のレースができました」


岩崎の13秒95から36年。日本人初の12秒台はこうして誕生した。
 


タイムよりも重要なこととは?

これだけの記録が出ると手放しで喜んでしまいがちだが、山崎コーチはレース後すぐに、次のように話し始めた。「村竹は(ダイヤモンドリーグなど)記録が出にくい条件で13秒0台で走ってきました。それは日本の良い条件なら12秒台に相当するものです。タイムよりも世界との勝負をしっかりする、というコンセプトで、世界の流れの中でやってきました。今回の福井はそういう(記録を出すための条件が良い)大会だったので、当然12秒台も出るんじゃないかと思っていました」


山崎コーチはかねてから、先頭を自分のリズムで気持ち良く走る国内大会と、外国勢と競り合う国際大会では記録に違いが現れる、と強調してきた。山崎コーチは日本陸連の強化委員長も務める。「どうしても記録重視になってしまいがちですが、それを評価にはしたくないのが僕らの考えです。一緒に走って速い人を決めるのが陸上競技です」


スタートで飛び出すタイプが多い日本選手は特に、後半に追い上げられることでプレッシャーを感じて動きが堅くなる。山崎コーチはスタートの飛び出しやトップスピードを上げることに加えて、後半のスピード維持にも重点的に取り組んできた。レース選択においても村竹は、JALに入社した昨年からは国内の走りやすいレースより、海外のダイヤモンドリーグに積極的に出場してきた。


12秒92が世界で通用する記録であるのは間違いないが、まだメダルを手にしたわけではない。記録を喜びすぎてしまったら、世界陸上で戦う準備が甘くなってしまう。それを避けるために、取材対応の場で兜の緒を締めたのだろう。山崎コーチも表情は、感極まっている様子だった。村竹もそこは十分に理解している。


「もちろん12秒台を出したことは大きな自信になりますが、1回で終わらせたら絶対にダメだと思うので、このタイムと同じくらい、それ以上を狙ってダイヤモンドリーグ・ファイナル、そして世界陸上としっかり走って行きたいと思います」


まずはダイヤモンドリーグ・ファイナル(8月28日、スイス・チューリッヒ)である。今季のここまでのダイヤモンドリーグで、累計得点の上位選手が揃う。世界陸上決勝と同様のメンバーになる中で、12秒台を出した村竹がどんなレースをするか。前哨戦に注目したい。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)


エアコン「1℃下げる」OR「風量を強にする」どっちが節電?「除湿」はいつ使う?賢いエアコンの使い方【ひるおび】
スマホのバッテリーを長持ちさせるコツは?意外と知らない“スマホ充電の落とし穴”を専門家が解説【ひるおび】
「パクされて自撮りを…」少年が初めて明かした「子どもキャンプの性被害」 審議進む日本版DBS “性暴力は許さない”姿勢や対策“見える化”し共有を【news23】


情報提供元:TBS NEWS DIG Powered by JNN

ページの先頭へ