
東京2025世界陸上女子マラソンには安藤友香(31、しまむら)、佐藤早也伽(31、積水化学)、小林香菜(24、大塚製薬)と、特徴の異なる3人が出場する。大学時代にランニングサークル所属だった小林は、異色経歴の選手として注目されている。安藤と佐藤はともに世界陸上2度目の代表入りだが、安藤が17年ロンドン大会に23歳で出場したのに対し、佐藤は23年ブダペスト大会に29歳で出場した。学年は安藤が1つ上だが、ともに31歳のベテランとなった2人の特徴や、地元世界陸上に懸ける思いを紹介する。
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女子マラソン代表トリオの三者三様
女子マラソン代表3人は成長過程の異なる顔ぶれになった。大学時代にランニングサークルに所属していた小林の特徴は、インタビュー記事(https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2164955)で詳しく紹介したが、安藤と佐藤のベテランコンビも負けず劣らず特徴がある。3選手のマラソン全成績を見てほしい。
初マラソンを走った感想を、7月中旬の取材で3人に聞いてみた。小林は大学2年(21年)11月の富士山マラソンが初の出走で、3時間29分12秒でフィニッシュした。「完走できるだけでよかったのに、年齢別で入賞もしたんです。何位だったのか忘れちゃいましたけど。意外とフルマラソンは楽しいな、と思いました。達成感は大きいし、普段は車からしか見られない絶景を見られて、最高に綺麗でしたね」まだ本腰を入れて実業団入りを目指す前で、コメントにも市民ランナーのマインドが表れている。そこから3年と2か月で、世界陸上代表を決めるランナーに成長した。
佐藤は20年3月の名古屋ウィメンズが初マラソンで、2時間23分27秒の5位と好走した。「ゴールが見えた時にすごく感動して、そこでマラソンをもっと頑張りたいと思ったんです。かなり苦しんでゴールできたから、ということがあったからかもしれませんが」当時25歳。3人の中では最も遅い年齢でマラソンに進出したが、2~4回目のマラソンは安藤よりも高いレベルで安定していた。その結果23年のブダペスト世界陸上に出場したが、そこで世界大会の“壁”にぶつかった。その“壁”を乗り越えようと頑張ったことが、今の佐藤の強さになっている。
安藤は17年3月の名古屋ウィメンズが初マラソンで、今も初マラソン日本最高記録として残る2時間21分36秒で2位(日本人1位)となり、同年のロンドン世界陸上代表も決めた。「“走れてしまった”というのが一番ですね。たぶんランニングハイの状態、ゾーンに入っていたと思います。ゴールした後も実感がなくて。本当に衝撃のスタートでした」おそらく当時は、違った受け止め方をしていたはずだ。その後、初マラソンの記録を更新できずに苦しんだ時期が長かったから、このような印象になっているのだろう。その苦しんだ時期があったから、今の安藤の強さがある。
着実に成長してきた佐藤が世界大会の“壁”を乗り越えるとき
自己記録が2時間20分59秒と3人の中で一番良い佐藤は、中学、高校での戦績が一番低い。小林は中学3年時にジュニアオリンピック3000mで10位と、全国大会で入賞に迫ったことがある。安藤は高校駅伝の強豪である愛知県豊川高出身で、全国高校駅伝エース区間の1区を区間3位で走りチームの優勝に貢献した。
それに対して佐藤は中学・高校と、個人種目で全国大会に出場することができなかった。それでも高校時代から、積極的に先頭を走るレースが多かった。東洋大でインカレに入賞するまでに成長したが、5000mのシーズンベストは2~4年の3年間、学生リスト20位台で推移した。積水化学の野口英盛監督は「入社当初、ここまでの選手になるとは思っていなかった」と言う。「学生時代から積水化学の合宿に参加してくれましたが、負けん気が強くて、後半も粘る選手でしたね。学生駅伝でもその走りができていました。マラソンをやりたいと入社してきて、2年目の駅伝や3年目のトラックから、将来を期待できる力を見せてくれました。当初から1つ1つ目標をクリアしていく選手で、トラックでこのタイムを出したら日本選手権に出られる、トラックでここまできたらハーフマラソンも走れる、ハーフでこの記録ならマラソンも行ける、と着実に成長しました」
初マラソンからブダペスト世界陸上までも、必ずしも順調ではなかった。トラックや駅伝で見せてきた終盤の粘りを、マラソンでは発揮できていなかったからだ。さらにブダペストでは、世界大会の“壁”に跳ね返された。「ペースメーカーがいない初めてのレースでした」と佐藤。「スローペースで入って、前半からペースが上がったり下がったり。難しいレースでした。(人数がけた違いに多く)飲み込まれてしまって、やってきた練習を出せませんでしたね。もう一度同じ舞台で走って、しっかり結果を出したいです」
翌24年1月の大阪国際女子マラソンも、後半で粘りを発揮できずパリオリンピック™代表に届かなかった。実は23年も、世界陸上代表入りはしたが練習自体は、やりたかった内容ができていたわけではない。それに対し今年の名古屋ウィメンズマラソンに向けては、前年の春からトラック、ハーフマラソンと出場しながら練習を継続した。11月のクイーンズ駅伝後のマラソン練習も、佐藤は特別な練習という意識はなかったが、明らかにレベルが上がっていた。「ポイント練習は野口監督が、40km走の本数も増やしてくれて、中2日で16~20kmをレースペースで行いました。自主練習で走るジョグの量も増やして、今までで一番走ったと思います。その上でケガなく練習を継続できたことが名古屋の結果につながりました。後半も粘り強さを出すことができましたね」
ブダペストに比べコースの道幅が広い東京なら、人数の多さに飲み込まれることもない。「東京は大丈夫だと思います。今度こそ入賞したいです」東京のコース終盤で、佐藤が着実に成長している証を見せる。
初マラソン日本最高を更新できずに苦しんだ安藤
安藤は23歳で初マラソン日本最高の2時間21分36秒をマークし、17年のロンドン世界陸上に出場した。マラソンに関しては早くに結果を出した選手だったが、その後は自己記録を更新できずに苦しんだ。「初マラソンに囚(とら)われていました」と、17年のロンドン世界陸上から19年のMGCまでを反省する。「過去ばかり見て、今の自分を見ていませんでした。初マラソンのときの練習と比較ばかりして、こんなの私じゃないと考えて。自惚れとかもあったんでしょうね。それ(走れていないこと)が自分なんですけど、認めたくなかったんです。走れていない自分から逃げていました」
しかし安藤は少しずつ自分と向き合えるようになり、練習のレベルが上がって行く。練習がよくなかったとき、17~19年と比べてどう対処してきたのだろう。「一度、今の自分を受け容れます。過去は過去でしかないんです。ここからどうやれば調子を上げられるか、何が悪くて動きが悪いのか。そこを突き詰めます」
20年3月の名古屋から3年連続で2時間22分台をマーク。その間、21年には東京五輪に10000mで出場した。24年名古屋は2時間21分18秒と、7年ぶりに自己記録を更新して優勝。パリ五輪代表入りこそ逃したが、派遣設定記録は破っていた。
「(2時間20分02秒の自己記録を持つ)外国人選手に一度離されても追いついて、勝ち切れたことも大きかったと思います。最後まであきらめなければ結果に結びつくことを体現できました。色んな大事な物を得られたマラソンでしたね」そこに至るまでの過程で、安藤は人との出会いを大切にしてきた。不調の自分にアドバイスをしてくれる人たち、移籍を3回しているが、温かく送り出してくれた人たち、迎え入れてくれた人たち。
安藤は4人の指導者のもとで2時間21~23分台を出している。安藤の他にそんな選手はいないだろう。自身の“芯”がしっかりしていれば、違うメニューで練習することはプラスになると考えている。「マラソン練習はこうあるべき、という考えもあっていいのですが、そこにこだわりすぎるのでなく、その日の体調や感じ方で色々なやり方があっていいと思っています。チームが変わったり指導者が変わったりすると不安に感じたり、動揺したりするかもしれませんが、距離を踏むところなどは共通していますし、指導者の考え方ややり方を理解しながら、自分の思っていることも伝えたり、自分がやってきたことを共有したりできれば、また新しいアプローチができると思います。そこに弊害は感じていません」
初マラソンから8年が経つ。その間に安藤が出会ってきた人の多さは、練習の引き出しの多さとなっている。初出場だったロンドン世界陸上とは、マラソンランナーとしての深みが違う。「パリ五輪の鈴木(優花・25、第一生命グループ)さんの6位入賞には、勇気をもらいました。私も入賞はしたいですね」
五輪では2大会連続入賞している日本の女子マラソンが、19年ドーハ大会以来、6年ぶりの世界陸上入賞に近づいている。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
*トップ写真は左から安藤選手、佐藤選手
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