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矢田みくにが初マラソンで2時間20分切りの快挙 東京世界陸上10000mの大敗から生まれ変わったニューヒロイン

スポーツ
2026-01-27 12:00

1月25日の大阪国際女子マラソンでアジア大会(9月、名古屋開催)有力候補が誕生した。初マラソンの矢田みくに(26、エディオン)が外国勢と最後まで競り合い、2時間19分57秒の初マラソン日本最高記録で4位に入った。日本人選手の2時間20分切りは6人目、国内レースでは24年大阪国際女子で2時間18分59秒の日本記録をマークした前田穂南(29、天満屋)に続き2人目の快挙だった。矢田は昨年9月の東京2025世界陸上10000m代表。そのときの経験が、初マラソンでの快走につながったという。


【写真で見る】10000mで東京世界陸上に出場


世界陸上を経験して「中学生に戻った」ような気持ちに

日本人選手にとって2時間20分突破は大きな勲章となるが、翌日の一夜明け会見の開口一番、矢田は「悔しいです」とコメントした。


「(目標は2時間23分30秒だったが)25km過ぎから“勝ちたい”に変わりました。最後、勝ちきれなかったことが、本当に悔しい」


世界陸上では、それ以上の悔しさを味わった。世界陸上10000mは20位。短距離種目なら準決勝レベルで、着順自体は悪くない。だがタイムは32分28秒94で、優勝したB.チェベト(25、ケニア)に2分近い差をつけられた。1学年下の廣中璃梨佳(25、JP日本郵政グループ)は6位(31分09秒62)に入賞していた。


「今でも世界陸上のことを思い出すと、悔しくて涙が出ます。強くもないのに、強さを偽って競技をしていたと気づきました」


それまでも世界を目指してはいたが、世界一を決めるレースを実際に走り、認識を改めざるを得なかった。と同時に、自身の取り組みの甘さに気づいた。「怖いなら怖いと、自分の弱さを見せて、(周囲の支援も得て)取り組んでいくしかありません。できていないなら、がむしゃらに走るしかないんです」。マラソン出場は以前から視野に入れていたが、本気で考え始めたのは世界陸上後に、沢栁厚志監督に背中を押されたことがきっかけだった。


「自分にはがむしゃらさが足りないと、世界陸上で痛感しました。(マラソンに挑戦することが)1本ネジを外すようなこと、当たり前を変えるようなことになると思ったんです」


悔しさは大きかったが、自分の弱さを認めて頑張ることは、不快なことではなかった。むしろ逆で、「中学生に戻ったような感覚になることができたんです。守るものもないし、一から強くなっていける」と感じられた。


クイーンズ駅伝に優勝したチームの雰囲気もプラスに

世界陸上の2か月後に行われたクイーンズ駅伝では、エディオンが初優勝した。エース区間の3区を走った矢田は、廣中と五島莉乃(28、資生堂)には及ばす区間3位だったが、1区の水本佳菜(21)でトップに立った流れを維持させた。外国人選手がいないエディオンはインターナショナル区間の4区で2位に後退したが、5区の細田あい(30)でトップを奪い返し、前年優勝のJP日本郵政グループに7秒差で初優勝を達成した。
 
世界陸上後は練習に対する考え方が変わっていた。「苦しいと感じていた練習が、大きな舞台に立つための苦しみだと思えば、楽しいと感じられるようになりました。自分の弱さは後半だとはっきり認識できたので、後半の粘りを身につけるために、ベースとなるジョグの質を上げることに取り組みました」


ジョグの最後の10分は「(1km)4分切り」までペースを上げ始めた。ジョグの最後のスピードはマラソン練習期間に入って下げたが、駅伝練習期間からマラソンのことを考えてジョグを行ったことで、マラソン練習にスムーズに移行できたという。


駅伝の優勝を目指すチームの雰囲気も、キャプテンでもある矢田の背中を押した。「東京世界陸上に向けて孤独な練習になると思いましたが、みんなの笑顔や声かけに救われた部分がありました」と矢田が言えば、4区の中島紗弥(26)は「矢田キャプテンがポイント練習などで良い走りをした選手に“ありがとう”と声をかけて、チームを温かく包み込んでくれました」と話す。チームが良い雰囲気になるとトレーニングの質が自然と上がったり、余裕を持って練習を終えたりすることができる。


大阪国際女子マラソン前も、「チームメイトから動画をもらって、リラックスできた」という。ドライヤーの風を当てながら「風に負けるな」とユーモアを込めたものもあったという。レース中も沿道からの応援に、笑顔で応える矢田の走る姿があった。


クイーンズ駅伝に関係した「唯一の不安材料」は、初マラソンまでの間隔が2か月と短いことだった。だが沢栁監督は、その点も考慮して練習計画を立てた。


「今回のテーマは、トラックと駅伝のスピードを生かすことでした。2か月のスパンとなるマラソンを選択したのは、それが狙いです。矢田の性格を考えても、長くじっくりマラソン練習期間をとるより、今回はパッとマラソンまで持って行くことがいいと判断しました」


世界陸上からクイーンズ駅伝、そして初マラソンと、矢田とエディオンチームが完璧な流れを作ってみせた。


初心に戻ることでマラソンで世界に挑む

直接的には世界陸上の経験が、マラソンへのスタート地点になった。では世界陸上までの取り組みが意味がなかったかと言えば、そこにも大きな意味があった。矢田はU20時代に代表経験があり、16年のU20世界陸上5000mで12位に入り、18年のアジアジュニア5000mには優勝している。高校卒業後に実業団入りしたのは、「世界で戦うため」だったが、前述の2大会に一緒に出場した田中希実(26、New Balance)や、1学年下の廣中らが五輪&世界陸上で入賞し始めたのに対し、自身は代表になかなか届かなかった。


「同学年の田中希実ちゃんは強くても、必死にもがきながら競技をしていました。私が苦しい時も色んな言葉をかけてくれた選手です。一緒に頑張りたいとずっと思っていましたし、(世界で戦う)同じ悩みの境地に行きたいと思って来ました」


その努力がやっと実ったのが25年だった。4月の日本選手権10000mで廣中に次ぐ2位に入り、5月のアジア選手権でも31分12秒21の自己新で3位。世界陸上代表入りを確定させた。日本選手権レース後には、次のように話している。「今まではただレースに出ていただけで、日本代表までは正直意識できていなかった部分があって、そこの気持ちの変化が大きかったと思います」。世界陸上で感じたことの前段階とでもいうべき意識改革を、25年シーズンに入る前にしていた。


アジア選手権は豪雨でレースが中盤で中止になり、翌日に再レースになった。愚痴の1つも言いたくなるケースだが、矢田も一緒に出場した廣中も、後ろ向きなことはいっさい口にしなかったという。「2人ともピンチの方が強い性格だったのかもしれません。ポジティブに、日本人らしく泥臭く行こう、みたいな感じで逆に楽しめました」。


矢田の世界陸上が大敗だったのは確かだが、沢栁監督によれば「7月に捻挫をして回復に1か月ほどかかり、本格的な練習に入ろうとしたところで新型コロナにもかかってしまった」ことが影響した。世界と戦うことに強い意思を持っていたから、それも自分の弱さだと認めることができ、世界陸上後のマラソンへの取り組みにつながっていく。


今後もトラックにはしっかりと取り組んでいく。大阪の終盤で外国勢とは「余裕度に大きな違い」を感じた。「それはスピードかな、と肌で感じた」からだ。だが、トラックで世界と戦うところまではイメージできないが、「マラソンで出てみたらどうかな」と、国際大会はマラソンで目指す可能性が強くなった。


その一方で今回は、初マラソンで無欲で走ることができたからこそ、出すことができた結果だという認識も持っている。世界と戦うことだけを考えて上ばかり見ていたら、代表入りする前の自分と同じになってしまう。


「初マラソンだから攻めることができたのだと思います。(実績を)積んで行ったら、元の自分に戻ってしまうかもしれません。日本記録は目標にしていきますが、速く走らなければ、とか、代表に入らなければ、という気持ちを持つと動きも硬くなります。少し楽しむ気持ちを持ちながらマラソンをやっていきます」


東京世界陸上後に初心に戻った経験が、今回の快走につながった。そこを思い出すことで、矢田は世界と戦っていく。


(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
 


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