広島・原爆の日。被爆者が高齢化し、生の声を聞ける時間が限られています。被爆証言を親から託された男性が、次の世代に託したい「バトン」とは…。
「おんぶ少年」記憶を次世代へ
80年前の8月6日…広島の街は一瞬で姿を変えました。
これは原爆投下から2か月後に撮影されたフィルムです。けが人を乗せ進むリヤカー。
少年は幼い子どもを背負い、がれきの中を歩いていきます。おんぶされた男の子の頭や顔には、包帯が巻かれていました。
広島県呉市で暮らす竹本秀雄さん(83)。おんぶされていた男の子です。
藤森祥平キャスター
「これ何歳の時ですか?」
竹本秀雄さん
「3歳と2か月」
藤森キャスター
「おんぶしているのが?」
竹本秀雄さん
「兄貴です」
竹本さんは、爆心地から1キロの自宅で被爆。自宅の下敷きになり、左頬には今も残る深い傷を負いました。
あの映像は、兄の定男さん(当時11歳)に病院に連れて行ってもらった帰りだといいます。
町並みは一変。周囲には助けを求める多くの人々の姿がありました。
竹本秀雄さん
「左手を上げて、こうやってやったことをまだ覚えています。声は覚えていません。女の人、はっきりと覚えています。あれが強烈だった。いまだに覚えているんですよ」
藤森キャスター
「助けを求めているということですか?」
竹本秀雄さん
「助けてくれか、水をくれだったんですよね」
いまも鮮明に残る、あの日の光景。
平均年齢86.1歳 「被爆の記憶」継承に課題も
竹本さんの姿は6日夕方、広島市の平和公園にありました。自身の体験を、戦争を知らない世代に伝えるためです。
竹本秀雄さん
「左の頬に被爆の傷のケロイドがあるために、“ピカドン”“ピカドン”とあだ名で呼ばれました」
原爆の悲惨さ…当事者の生の声に、集まった人たちは静かに耳を傾けていました。
竹本秀雄さん
「家は全壊し、私が家の柱に足を挟まれ、父と兄が、柱やがれきなどを取り省いてくれて、助けてくれたそうです。兄が助けてくれなかったら、私はいま生きてはいないと思います」
竹本さんは、なぜつらい体験を語るのでしょうか。
竹本秀雄さん
「若い方が結構聞いていて、真剣に聞いている。それが伝わってくるんです。だから喋るのに力が入る。あれは嬉しかったです」
藤森キャスター
「竹本さんの話を誰かに伝えたいと思うかもしれない」
竹本秀雄さん
「一人でも二人でも多くなってくれればね」
ただ、被爆者が自らの体験を語れる時間は限られています。現在、全国にいる被爆者の平均年齢は86.1歳。今年、初めて10万人を下回りました。被爆者の記憶や証言をどう次の世代に託していくのか…
受け継がれる“被爆体験のバトン”「家族伝承者」が次の世代へ
原爆資料館を訪ねました。ここには被爆の実相を後世に伝える貴重な資料が保管されています。今年、新たに寄贈されたのは…
学芸員
「万年筆ですね」
持ち主は80年前の8月6日、原爆によって命を奪われた森脇瑤子さん。まだ13歳でした。
寄贈された中には、瑤子さんの日記帳も。原爆投下前日の8月5日にはこう綴られていました。
瑤子さんの日記(8月5日)
「叔父が来たので家がたいへん賑やかであった。いつもこんなだったらいいなあと思ふ」
毎年8月6日に瑤子さんが亡くなった天満川のほとりを訪れていた男性がいます。兄の細川浩史さんです。自身も被爆した浩史さんは晩年、妹の生きた証を残したいと被爆体験を語り続けてきました。
瑤子さんの兄 細川浩史さん(2013年5月)
「僕の妹も原爆によって殺された。ちょうどあなたの1級上よ」
命日には瑤子さんを思い、好物だったキャラメルを川に手向けてきましたが、その浩史さんも2年前に他界。
今年は浩史さんの息子・細川洋さん(66)が、同じ場所で瑤子さんを偲びました。
浩史さんの息子 細川洋さん
「初めてキャラメルを投げましたけども、食べてくれたかなと思いながら。瑤子ちゃんもですけれども、あの日、あの時、いろんな思いを抱えて生きていた人たちがいる。すべての思いとともに命が絶たれた」
この日、 中学校を訪れた細川さん。
細川洋さん
「これ妹の瑤子ちゃん」
父の思いを継ぎ、細川さんはいま「家族伝承者」として、浩二さんと叔母・瑤子さんの被爆体験を伝え続けています。
細川洋さん
「外からリヤカーを引く音が聞こえて、お母さんが半狂乱に泣き叫ぶ声が聞こえてきたそうです。見ると、変わり果てた瑤子ちゃんが、そのリヤカーに乗っていたそうです」
細川さんの話を聞いた中学生からは…
中学3年生
「(戦争の)リアルを伝えられる人が居ないのは悲惨さが薄れて伝わるので、話を懸命に覚えて自分の子どもや知らない世代に伝えていくことが大切だと思いました」
原爆投下から80年。細川さんは「被爆体験のバトンを受け継ぐ最後のチャンス」だと話します。
細川洋さん
「父がよく言っていたのは『大げさに言うな』と。『事実を淡々と伝えればいいんだよ』と。反核平和の伝道者とか活動家になってくれとは思わない。何かできることを一つでも見つけて小さな一歩を踏み出してくれたら。そういったスタンスは父から学んだ。受け継いでいこうかなと」
“被爆体験のバトン” 託される私たちは…
藤森祥平キャスター:
細川さんは、このバトンを受け継ぎ次の世代に託す私達に、大事なポイントを3つ教えてくださいました。
まず1つ目は「事実」を丁寧に理解すること。2つ目は思うこと。3つ目はメッセージを発信すること。「この『思うこと』と『メッセージを発信すること』は、それぞれ自由でいい。自分たちが感じたことをそのまま伝えてくれればいい。大げさではなくていいので、一瞬のうちに日常生活や命が奪われた悲惨さを自分事として考えてくれればいい。そこから始めてほしい」とおっしゃっていました。
トラウデン直美さん:
私も広島でいろいろな人のお話を伺っていく中で、唯一の被爆国・日本に生まれた1人として、私自身も核に対する反対の気持ちを絶対に揺るがしてはいけないと改めて強く感じました。
今日お話を伺った16歳の外国の少年が「教科書で学んだことと、ここに来て平和資料館で見たことは全然違う。自分自身が相手の文化や相手の経験してきたことを知って、繋がり、コネクションを見つけることが平和への一歩になると思う」とおっしゃっていたのがとても印象的です。
藤森キャスター:
今コネクションという言葉がありましたが、実際に伝承していく竹本さんや細川さんがおっしゃっていたのは、伝えていくと希望が見えてくるそうです。例えば、竹本さんが東京で20代の若者に話をし終わった後に「亡くなったおじいちゃんの話をもっと聞けばよかったです。今日はありがとうございました」と挨拶しに来てくれたり。また、細川さんも岐阜で授業で講話をした後に職員室で待機していると、わざわざ中学生が職員室まで来て「これから一生懸命生きようと思います。ありがとうございました」と一礼しに来たそうです。そういう思わぬ反応を希望にして、これからも活動を続けたいとおっしゃっていました。
小川彩佳キャスター:
希望を繋いでいくという思いを強く持たなければならない。一方で、石破総理をはじめ歴代総理は、核兵器なき世界の実現に言及しながらも、核兵器禁止条約への参加やオブザーバー参加などは見送られたままです。参議院選挙では、候補者から核武装を容認するような発言もあり、共感するような世論も現実にある。心の痛みに堪えながら被爆体験を語り続けてきた方々、そして苦しみの中、語ることもままならないまま亡くなられた方々は、こうした今の日本をどんな思いで見ているんだろうと思います。
藤森キャスター:
嘆いている方や怒っている方は多くいらっしゃる。その人たちのギャップがどんどん開いていくイメージがあります。竹本さんは「心の復興はいつまでも終わらない」と言っていました。「戦争は終わっても傷は癒えない。悲しみは消えない。だからこそ伝えていくことで見えてくる希望を何とか残し続けたい」とおっしゃってました。
トラウデン直美さん:
今日一番印象に残っているのは1分間の黙禱です。様々な国の人が集まって様々な思いがある中で、同じ気持ちで平和を願う。これが平和への一歩だと思いました。
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<プロフィール>
トラウデン直美さん
Forbes JAPAN「世界を変える30歳未満」受賞
趣味は乗馬・園芸・旅行
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