
「万博に行きたい」筋ジストロフィーの女性が願う切実な理由
関東地方の病院に入院している高橋由紀子さん(70)。筋肉が徐々に衰えてしまう難病「肢帯型筋ジストロフィー」を抱えています。
【写真を見る】「もう一度おしゃべりしたい」筋ジストロフィーの難病女性 55年ぶり同級生と“涙の万博旅” 治る希望のiPS細胞をこの目で見たい
病気の進行で呼吸が上手くできなくなり、10年前に気管を切開し人工呼吸器を装着してから、声を出すことができなくなりました。
由紀子さんは、自分の声で伝えられない夢を、自由が利かなくなった手で書き続けてきました。
毎年、何年間も、七夕の短冊に書いたのは「万博に行きたい」という願い。
中学3年生のときに開催された1970年の大阪万博にも、つくば万博にも、愛・地球博にも足を運ぶほど、万博が大好きな由紀子さん。
今回の2025年大阪・関西万博に行きたいと強く願う理由は、切実なものでした。
「iPS細胞や遺伝子治療で病気を治したい」
「最前線を一度でいいから見たい」
万博で展示されている「動くiPS細胞」をどうしても見に行きたいというのです。
生きる希望をひと目でも…「トラベルドクター」で万博へ
由紀子さんが抱える難病「筋ジストロフィー」には根本的な治療法がありません。徐々に衰えていく自分の筋肉に不安を抱えながら病気と向き合う日々。
「病気のことを考えないようにしてきた」
「ひと目見たら前向きになれるかもしれない」
iPS細胞で筋肉を再生できないか。iPS細胞の研究の進歩こそが、由紀子さんの生きる希望です。
とはいえ、人工呼吸器に24時間つながれたままの現在の病状で旅行は難しい…と思っていたところ、由紀子さんの希望を後押しする情報が届きました。病院の相談員が「トラベルドクター」という会社の存在を知らせてくれたのです。
「トラベルドクター」とは、医師の伊藤玲哉さん(36)が運営する“医師同伴の旅行会社”で、終末期や病気などで旅行をあきらめていた方のサポートをしてきました。2020年の創業から5年間で、300組近くの「病気でも旅行がしたい」という願いを叶えてきた伊藤医師に、早速、万博旅行を申し込みます。
自前の福祉車両で現れた伊藤医師。ミャクミャクの風船をつけた万博コーデのストレッチャーで、由紀子さんをお迎えします。
緊急時に備えて、移動手段は車のみ。医師・看護師ら5名のスタッフが常に同伴します。こまめにパーキングエリアで車を停め、痰の吸引や呼吸の空気が漏れないようにする作業を行いながら、10時間かけて関西へと向かいます。
由紀子さんは車の中で、壮絶な半生を語ってくれました。
母の涙に夫の死…語られた壮絶な半生
由紀子さんが「筋ジストロフィー」と診断されたのは、中学3年生のとき。
「あれ?手すりを使わないとバスのステップをのぼれない…」
違和感を覚えたのが始まりでした。
「母がいつも台所で泣いていたので、私が悲しむことはできなかった」
「なるべく、考えないようにした」
一心不乱に勉強に励み、薬剤師になった由紀子さん。同じ薬剤師である夫と26歳で結婚し、千葉県内で薬局を営むようになりました。
当時はまだ自分の足で立つことができていました。
しかし、筋ジストロフィーはゆるやかに進行し、40歳の頃から、車いすの生活に。それでも夫や息子が由紀子さんを支え、毎年夏には必ず旅行に出かけていました。
当時のガラケーには、由紀子さんの元気な声も残っています。
大井川鉄道の汽車に乗り、ホームにいる夫に「あ!手を振ってる!」と大はしゃぎの由紀子さん。隣で息子が楽しそうに笑っています。
しかし、10年前の60歳のとき、骨折を機に容体が悪化。呼吸量が低下し、意識障害で病院に救急搬送されました。救命第一でやむを得ず、気管を切開して人工呼吸器をつけることになり、声をほとんど出せなくなってしまいました。たんの詰まりや呼吸器の異常が命に直結するため、自宅での生活が難しく、家族と離れて病院で生活をすることになりました。
こうした中、息子から突然、電話がかかってきました。
41年連れ添った夫の喜世司さんが2022年に心筋梗塞で突然倒れ、76歳でこの世を去ったのです。コロナ禍で由紀子さんの病院の面会が厳しく制限されていた頃でした。
高橋由紀子さん
「10分でいいから会いに来てって言えばよかった」
「『私を残して死ねない』って言っていたのに…嘘つき!」
夫婦の生きがいだった薬局も、今はもうありません。
「たくさんケンカをしたけれど、亡くなると、良いことしか思い出せません」
「以前、生まれ変わったら誰と結婚する?って聞いたとき、『面倒くさいからニシキ(由紀子さんのあだ名)でいいよ』と言ってくれたなあ」
「一緒に連れていきたい」亡き夫とともに万博へ
由紀子さんは、車の中で流したい音楽を電子メモ帳に書き上げました。
「中島みゆきさんの曲ありますか?」
「3年前に亡くなった夫がファンだったので、一緒に連れていきたい」
「時代」「糸」「誕生」「世情」などの名曲が流れる中、午後7時、約10時間かけて兵庫県の有馬温泉に到着しました。
翌日の万博に備え、伊藤医師が聴診器を当てます。
伊藤医師
「うん。ばっちり」
高橋由紀子さん
「聴診器当てていると、お医者さんみたい」
伊藤医師
「誰が『聴診器持ってなかったら医者っぽくない』ですか、ははは」
「運転もしますし、旅アイテムの工作もやりますし、自分でも何屋さんか分からなくなるときはよくあります(笑)」
さあ、温泉宿で待ちに待った晩ごはん。病院食ではないごはんは、久しぶりです。そして念願の入浴。10年ぶりに湯船に浸かり、喜びをかみしめます。
「病院だとシャワーしか浴びることができなかった」
「3人でまた来れるとは」青春に刻まれた万博 同級生と再び
翌朝、ついに万博を楽しむ日がやってきました。一緒にまわってくれるのは中学校時代のクラスメイトである、「さっちゃん」と「クロカワくん」です。
クロカワくん
「55年前やね。中学校の万博見学で、(由紀子さんと)同じグループになって一緒に回ったんですよ」
「アメリカ館やソビエト館は行列がすごかった。並んでないパビリオンばかりをぐるぐる回りました」
「3人でまた一緒に万博に来れるとは夢にも思ってなかった。感慨無量ですね」
15歳の青春に刻まれた万博。まずは人気施設・大阪ヘルスケアパビリオンの「カラダ測定ポッド」をみんなで体験。
測定器
「あなたのカラダ測定年齢は…49歳」
伊藤医師
「お~!由紀子さん20歳も若いじゃないですか!すごい」
クロカワくん
「いくつ?49!?うっそ!」
測定結果をもとにした「25年後の自分」の姿がバーチャルで浮かび上がります。ついつい、顔の表情を見てしまいがちですが、由紀子さんは注目する視点が異なりました。
高橋由紀子さん
「立ってた~!!」
自分のカラダが立った姿で描かれていることに、感動していました。
いよいよiPS細胞と対面 涙を浮かべ…
そして、いよいよ念願の「動くiPS細胞」と出会える、パソナパビリオンへ。
iPS細胞の研究が進めば、病気が治るかもしれない。iPS細胞をひと目見たら、生きる希望がわいてくるかもしれない。
再びしゃべれるようになったら、看護師と元気よく「おはよう!」って会話をしたい。再び声を出せるようになったら、亡き夫のお墓で「たまにはこの世界に化けて戻ってきて!」と、自分の声で直接伝えたい。
同級生クロカワくんも、由紀子さんの熱意を見守ってきました。
クロカワくん
「この年(70歳)になってもあきらめないっていうね」
「普通やったら『もういいわ』って思いますよね。彼女の強い精神力があってこそ、今回の旅行が実現したと思います」
“生きる希望”を目の前に「言葉にできない」
伊藤医師
「まだですよ、まだ目を開けちゃだめですよ…開けてみましょう」
由紀子さんの夢が、叶うときです。
「言葉にできない」
「ハンカチを借りたい」
伊藤医師がiPS細胞で作られた筋肉を指して「動いていますね」と声かけると、由紀子さんは、「い・き・て・る」と大きく口を動かしました。
由紀子さんにとって、iPS細胞は「動いてるもの」ではなく「生きているもの」。
「治ることを待てるかもと思った」メモ帳に書き残した希望
パソナパビリオンのプロデューサーである、iPS細胞研究の第一人者・澤芳樹教授が声をかけてくれました。
澤芳樹教授
「私と同い年、1955年生まれですね」
「筋ジストロフィーへの研究も進んでいます。筋肉を作ることはできていますが、それを半永久的に機能させるためには、さらにもう一歩、新しい技術が必要になる」
「研究者の我々はいっぱい頑張ってますので、ぜひ期待してください」
由紀子さんは「私も待っています」と、力をぎゅっと込めて握手を交わしました。
電子メモ帳に、こう書き残しました。
「欲が出てきた。治ることを待てるかもと思った」
「元気になったら何をしようかなと考えるようになった」
「プログラミングの勉強してみようかな」
「あきらめないこと!科学の進歩を信じること!」
夢が叶った夜。由紀子さんが見上げた空には、次の物語への光が灯っていました。
筆者:吉田健一
TBSテレビ報道局「Nスタ」ディレクター 2016年入社
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