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放送界の先人たち・澤田隆治氏~「てなもんや」など演芸番組の巨人~【調査情報デジタル】

エンタメ
2025-02-22 07:00

放送界に携わった先人たちのインタビューが「放送人の会」によって残されている。その中から今回は「てなもんや三度笠」などの演芸番組、バラエティ番組のパイオニアとして放送史に大きな足跡を残したプロデューサー、澤田隆治氏のインタビューをお届けする。聞き手は朝日放送における澤田氏の後輩にあたる松本明氏(故人)。


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就職難の時代、喜劇映画を見まくったのが、結果的に良かった

澤田 学校の勉強はもうだめだったし、しかも昭和30年っちゅうのは就職するには大変困難な時代だったんです。


松本 うん、うん、就職難。


澤田 新聞社とか、それこそ全部受けて全部落ちたね、見事に。放送局も当然そんなもん、NHKなんか通るわけない。もう、何百人って来てるんだから。


松本 うん、そうですね。


澤田 何千人て来てたかな。すごかったですよ。東京まで試験受けに行ったりしたけど、全滅して、一番最後に朝日放送※ がね、縁故募集してたのね。


※ 朝日放送:澤田氏の入社当時はラジオ単営局。 


澤田 縁故募集といっても、それでも何百人かいた。で、筆記試験があって、常識問題ってのが出てね、もう満点ですよ。


松本 ほお。


澤田 これだけ就職試験受けてんだもん。どっかで(同じような問題が)出てたもん、これは満点。作文もありました。「公開放送」っていうテーマ。で、1回だけ公開放送見てたんで、その模様を書いたら、それも良かったんだろうね。ともかく一次試験通って、二次試験は面接かと思ったらまた筆記試験。で、2人通ったうちの1人になったんですよ。


松本 うん、うん。うん。


澤田 (合格の理由として考えられるのは)子供の時からそんなに楽しみがないから、戦後になって映画をいっぱい見てたんです。


松本 うん。


澤田 もう、映画、映画だけ見てた。当時は寂しい映画が多かった。戦災孤児がどうなるとか、親子がバラバラになるとか、そういう映画を見ると、もう悲しくなるからね、喜劇ばっかりを探して見てたんですよ、洋画でも邦画でも。


松本 うん。


澤田 戦後作られた映画はもちろん見てるんだけど、エノケン※(1904〜1970)の、戦争とあんまり関係のない、東宝の初期の映画をね、どんどん毎週やってたのをずうっと連続で見てて、面白いなあと思った。エノケンって面白いなって。だから、どっちかっちゃ東京系のものをいっぱい見てるわけですよ。そんで喜劇とか見てて、楽しくて、辛いことは忘れるしね。


※榎本健一:コメディアン


澤田 で、親父がちゃんと生活出来るようになって、大阪に呼ばれて、大阪では実演ですよ、今度は。


松本 うん。


澤田 喜劇の実演を見て歩いてたね、学生服、特にジャンバー着たりしてね。だからそういう時間を楽しんでたのが、結果的に今につながってるかなと思うんだけど。


朝日放送入社後もお笑い担当の新入社員として寄席通い

澤田 で、結果制作部へって配属されてすぐ、「えびしょう※行け」と。


※ えびしょう:戎橋の松竹演芸場


澤田 「毎日寄席へ行け」って言われたんですよ。それでまあ、ずっと行ってたらね、ある日、朝会社行ったら、エレベーターん中で総務の人がね「おい、今度の新入社員で、お笑いが好きで入ったっていう変なやつがいるんだけど、誰?」とか言って聞いてんだ。僕なんですよ。だからつまり、お笑いやりたいっていう人間は実に変なやつだったのね。


松本 うん。


澤田 と言うのは、ラジオの当時はラジオドラマか音楽をやりたいって言って入ってくるのが普通なんで。でも、僕はお笑いしか知らんから。お笑いなら多少人より見てるって気があったからね。


松本 うん。


澤田 でも大したことないんですよ、実を言うと。すごい先輩がいるっていうことも全然知らんし、エンタツ・アチャコ※が法善寺※※に出てるなんて知らんし、当時、吉本っていうのはもう影も形もなかったすからね。


※ エンタツ・アチャコ:横山エンタツ・花菱アチャコ 有名な漫才コンビ
※※ 法善寺:紅梅亭、法善寺にあった演芸場


澤田 そういう放送の世界では、吉本って言われても分からないし、エンタツ・アチャコも当然知らないんだけど、そういうのを知ってる先輩がいっぱいいて、もうそこでは「ひよっこ」ですよ。そういう先輩の中で、まあ、若いから可愛がってもらえて「あそこ行け」、「はい」つって、言われたとおり朝から晩まで行って。


松本 うん。


澤田 戎橋松竹(演芸場)、朝日放送の専属の小屋でね、朝日放送の提灯がずうっと下がってるの。そのね、顔パスったらおかしいけど。当然「おはようございます」って入っていきゃ、向こうはもう大歓迎の小屋でしょう。朝日放送のプロデューサーで朝日放送の小屋。これがね、随分有利だったでしょうね、お笑いやる人間にとってはね。


ラジオ公開放送に目覚める

澤田 ラジオと言うと台本を持ってやる。アチャコさんの人気番組「アチャコ青春手帳」※にしろ何にしろ、全部台本をこうめくりながらやって、浪花千栄子さん※※と、会話するのを見に行ったことあるんだけど。


※「アチャコ青春手帳」(1952年〜1954年):NHK大阪 花菱アチャコ 浪花千栄子
※※ 浪花千栄子:女優(1907〜1973)オロナイン軟膏のCMに長い間出演 本名は南口キクノ


松本 掛け合いやるの?


澤田 アチャコさんがしゃべってると、浪花千栄子さんが横へ出てきて、自分のとこになったらしゃべって、終わったら次の人が出てくるわけだから、これでどうして客が笑うんだろうって、いまだに不思議だね。あのラジオの公開放送にあれぐらい人が集まったっていうのはね。


「上方演芸会」※っていうのは、もう人気があって、西宮球場をいっぱいにした。これは分かるわけよ。実演を見たいっていうのはね、生を見たいってのは分かるけど、ラジオの公開放送もね、すごい人気だったからね。つまりあの当時のラジオっていうメディアは、全然別のイマジネーションの世界なんだよね。


※「上方演芸会」(1949年〜):NHK大阪


澤田 やっぱり、こう、目開けて見てるんだけど、そこで行われていることを耳で聞いて、頭ん中で自分の映像を作るっていうこと。僕らの知ってる「鐘の鳴る丘」※の巖金四郎※※っていう人の顔とかね、写真を見るまでは全然イメージが違うから。全然違うイメージでいったんだもんね。


※「鐘の鳴る丘」(1947年〜1950年):NHK
※※ 巖金四郎(1911〜1994):俳優 声優 朗読家


松本 一人ずつ違うもんね。


澤田 だから、あのメディアは、僕いまだに捨てがたい思いはするね、あの、イマジネーションっていうのは、テレビになってから全く必要ないでしょ。


松本 うん。うん。


澤田 その、見たままだもんね。


松本 うん。


澤田 だから怖いのは、見たままだから、見たまま人の中へ入ってくる。こいつはどういう私生活してるだろうとか。だから、売れたタレントは私生活無くなっちゃうよね。


プライバシーが無くなって「俺にもプライバシーがある」ったってそうは許されない。これはテレビのせいだと思うね。ラジオはもう完全にこっちの世界、聞いてる人の世界だから。だから、ラジオやったことはね、ものすごくその意味では自分の中で大きな、あの、なんかこう、演出術とかね。


すぐに番組を任され、頭角を現す

澤田 ラジオに2年半ぐらいいた時に、一応自分の番組がベストテンに3本ぐらい入ってましたからね。作ったものが全部ベストテンに入ったとかもあるから、もう、ちょっと若いけどね、お、俺はっていう感じだったね。もう先輩と違ってね、自分は若いタレントを何とか育ててやるとか、新作やるとか、いろんなこと任されてたから。


松本 うん。


澤田 で、これはね、考えるとね、僕に任した人が偉いと思うね。


松本 うん。


澤田 松本昇三※っていうデスクがいてね、これがね、何でも任しちゃうのね。


※ 松本昇三:元朝日放送制作局プロデューサー


もうともかく、TBS、東京放送とのネットのゴールデンタイムの7時半の聴取率20%、30%取るような番組を、第1回目から僕にやれって言うのね。「お、今度これやるから」、「あ、そうですか」って、僕は当然アシスタントだと思ってやるでしょう。で、本番の日なったら「おまえ、やれ」って言うわけ。


松本 うん。


澤田 で、ステージに出て、見よう見まねで前説※やって、手振って※※、録音して、持って帰ったら「編集もおまえやれ」、「えっ、僕がやるんですか?」、「やれ!」。で、やって仕上げて「いいですか?」って聞いて「いいよ、これで」って。その次は「枠付け」※※※ 。「おまえ原稿書け!」って、全部書かされて。


※前説(まえせつ):観客に事前説明すること
※※ 手を振る:演者に合図すること
※※※ 枠付け:番組の前後でスタッフや出演者等の説明を加えること


澤田 恐ろしいよ。僕いまだに、入ってきたやつに、いきなりおまえすぐやれっていう、そんな自信ないよね。


自信満々の時に突然「テレビに行け」

澤田 2年めに、自分の作った番組、「漫才教室」※と「浪曲歌合戦」と、それから、いわゆる大衆芸能番組でいうと、大阪の寄席のお囃子を集めて番組を作ったんですよ。これが3本とも民放祭に出したら賞に入ったんだよね。だからパーフェクトゲームじゃん、自分では。


※ 「漫才教室」(1957年〜1961年):朝日放送 


澤田 大賞取って、優秀賞取って「お、これで俺は当分楽出来る」とね、先輩いっぱいいるけど、各社もいるけど、大体見えてきたから、もうそれぐらい思った途端に「おい、テレビ行け!」って言われてね。


松本   ほお。


澤田   まだ授賞式もないんですよ、賞もらったっていう知らせだけの時に言われた。だもんで、天国から地獄ですよ、自分では、はっきり言って。で、考えて、断りに行ったんですよ。「行かなきゃだめですか?」と。そしたら「業務命令だ」と。「業務命令に反したらどうなるんですか?」、「即、クビだ」って言う。クビになるのも困る。で、テレビが出来た時に見学に行った。


松本 うん。


澤田 これはもう神様でないと出来ないと思ったね、こんなことは。画像(え)を見て、台本見て。


松本 それで、時計を見て。


澤田 時計見て。カット割り※なんか分かんない、生放送だから1人で全部やるでしょう。これは絶対俺には出来ないと思って断ったら、駄目だって言われる。仕方ないじゃないすか。ラジオで賞だけもらったってそのあとラジオ番組やれないんだもん。これで少し楽になる、自分の仕事を自由に出来ると思った矢先、また一からAD(アシスタントディレクター)じゃないですか。


※カット割り:どのカメラで、どの部分を、どのタイミングで撮るかを指示するもの 


澤田 で、なぜ行くかっていうと、大阪テレビってのがあって、これは朝日放送と(のちの)毎日放送が一緒に(合弁で)作ったテレビの会社。で、そこに原さん※ がいて、毎日放送からも誰か来てた。


その会社を(合弁を解消して)どちらか1局でやることになった。で、社長同士でじゃんけんしたら朝日放送の社長が勝って、大阪テレビは朝日放送が取ることになった。毎日放送は自分で別のやつを作るんだという。そこでお前が行けという解説は聞いたんだけどね。だけど、出向だと。だから籍が切れるわけじゃないってね。「あそこはお笑いが弱い、だからおまえはお笑いをやるんだ」と。


※ 原さん:原清 後に朝日放送会長


藤田まこととの出会い

それで、ADから始まった。その時、藤田まこと※ は、まだそんなに役がないんですよ。僕の方も(番組の)発端と最後の暇そうなとこを担当させられるわけ、慣れてないから。そうすると、藤田まことも暇なんで、2人でいろんなことしゃべって「早く一人前になりたいな、早く売れたいな」みたいなことを言っていた。2人とも昭和8年生まれで「同じ年だから頑張ろうな」って言ったのが「てなもんや」につながるんだけども。


※藤田まこと(1933〜2010): 俳優 コメディアン 「てなもんや三度笠」「必殺シリーズ」などで人気を博す。


テレビでの猛烈な仕事ぶり

澤田 その時はもうほんとにね、カット割りなんかも、みんな、消しゴムにひもつけてね、ずっとずうっと、夜中に直したり、稽古が終わってからは徹夜だったし。それから、本読み、ドライ※、スタジオでカメリハ、ランスルー、もういっぺん立ち稽古があって、それで、カメリハ2回やって、次の日また朝からカメリハ2回やって本番だったからね。


※ ドライ:ドライリハーサル カメラを通さずにやるリハーサル
カメリハ カメラを通してやるリハーサル
ランスルー 本番同様にカメラを通してやる最後のリハーサル


澤田 あれやらされたね。あれ、もしやれてなかったら恐らく、あんなに沢山番組作れなかったね。


松本 そうだね。


澤田 だから、週3本の単発番組やってね、早くやることを覚えた。その時の公開放送で何が困るっていったら、お客の大半がサラリーマンで、皆パンとか牛乳持って昼休みに来てるわけ。でもサラリーマンだから、12時45分になったら帰ってしまう。だから12時15分には絶対スタートしないといけない。


カメリハ終わって11時45分からの20分ぐらいの間に全部ダメ出しをする。カット割りのダメ出しと芝居のダメ出しをするという習慣がついた。早くまとめるやり方を、自分の中で全部マスターしていく。そういう意味では、その力が強くなったね。


松本 うん。


澤田 それをやってなかったら恐らく、プロダクション(1974年に澤田が設立した「東阪企画」)はやれてなかったと思うね。もうどんなことでもやれるという、その信念みたいなものがあった。


松本 あの頃はあれでしょう、1日4時間ぐらいしか寝てないでしょう。


澤田 ほとんど寝てないすね。大体寝てない。


松本 いまだに寝てない。


放送局と制作会社の違い

澤田 朝日放送で培ってもらったものは、いろいろ役に立ってる。計算してやってたかどうかは別にしてね。そもそも最初にポンとやらしてもらえたとか、そういう上司に恵まれてたっていうかな。いろんなことやらしてもらったことはプラスだよね、やっぱり。


松本 うん。


澤田 僕もプロダクションをやってから、いろんな世界を覚えたけど、朝日放送にいた時は、もうそれこそみんながいろんなことやってたんちゃうかな。それは視聴率取ってたから何でもやらしてくれるっていうより、視聴率取ってるからそれを守るのが大変だった。落とさないのは大変。


松本 仕事が殺到したけどね。取ってる人にみんな殺到しちゃうわけよ。


澤田 うん。


松本 無い人は仕事が無いんだけど、こっちはいっぱいあるから寝られない。


澤田 まあ、寝られなかったね。


澤田 で、プロダクションを作った。それが今のプロダクションにつながってんだけど。朝日放送の中でいろんなことやらしてくれたことが、全て制作に絡んでたからね。


松本 うん。


澤田 会社の経営なんてのは、もう一つ後の段階だろうけどね。テレビ局も混沌としていて、こうでなければいけない、といったことは特に大阪では無かったですね、儲かってしゃあない時だし、ね。


松本 右肩上がりだからね。


澤田 もう右肩上がりの職業だったから、やっぱりステーションってのは、それだけ楽やね。


松本 うん。


澤田 予算はそら厳しかったですよ。結構少ないし、そん中でやれ、やりくりして「赤字出すな、赤字出すな」って言われる。けどまあ、何とかやれたけど。その時、自分たちの月給考えることないじゃないですか。(経営者として)そういうこと考えるっていうのは、どんなすごいことかっていうのは分かってなかったね。


松本 まあ、何本も番組抱えてたから、適当にやりくり出来たじゃない。


澤田 そう、そう、そう、そう。


松本 ここは泣いてもらうけども、この次はちゃんと出すとかね、貸借関係、ちゃんと辻褄合わせられたっていうことが。


澤田 だから、(局にいた頃は)例えば便せん1枚でも、ボールペン1本でも、ちゃんとお金払わないと出てこないっていうことは、しばらく分かんなかったね。


松本 うん。


澤田 プロダクションやっててもね。どっか別から降って来るような気がどうしてもあるんだよね。これはテレビ局出身の人の、長所でもあり短所でもあるだろうね。そんなことばっか考えたら、番組なんか作れないもんね。


松本 うん。


澤田 来月どうしようかと思いつつ。割と能天気にやってたけどね。僕のその辺の部分は、ステーションにいた人の一つの特徴かも分かんないね。プロダクションっていうのも、全部生え抜きの人じゃないしね。


ステーションにいて、そこからこう来てるから、みんな分からないままに(局を)出て、あとに何か残ったか残らんかはもう何て言うか、才能というよりもツキ、ツイてるかツイてないかだろうね。そんなもんよ。もうね。
<本インタビューは2002年6月22日収録>


澤田隆治(さわだ・たかはる)氏略歴
1933年 生まれ
1955年 神戸大学文学部日本史学科卒業後朝日放送(ABC)入社    
1958年 大阪テレビ放送(OTV)に出向、後に朝日放送に戻る        
1968年 テレビドラマ制作に乗り出す                
1970年 ビデオワークに出向                    
1974年 制作会社「東阪企画」設立                        
1994年 日本映像事業協会設立 会長就任                
2012年 放送芸術学院専門学校校長就任、全日本テレビ番組製作者連盟顧問    
2021年 没


【放送人の会】
一般社団法人「放送人の会」は、NHK、民放、プロダクションなどの枠を超え、番組制作に携わっている人、携わっていた人、放送メディアおよび放送文化に関心をもつ人々が、個人として参加している団体。
「放送人の証言」として先達のインタビューを映像として収録しており、デジタルアーカイブプロジェクトとしての企画を進めている。既に30人の証言をYouTubeにパイロット版としてアップしている。


【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版Webマガジン(TBSメディア総研発行)。テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。原則、毎週土曜日午前中に2本程度の記事を公開・配信している。


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情報提供元:TBS NEWS DIG Powered by JNN

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