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前代未聞の猛抗議、世界女王の素顔、多田修平の諦めない心…「スポーツの神様は微笑むんだ」小谷実可子が見た世界陸上

スポーツ
2025-07-21 12:00

今年9月、34年ぶりに東京で世界陸上が開催される。決戦を前に選手たちが過ごすサブトラックでは、時に本戦以上のドラマが生まれる。1997年から13大会、サブトラックでのリポートを担当し、アスリートたちの様子を見つめ続けてきた小谷実可子さんが、陸上界のレジェンドたちにまつわる意外なエピソードや知られざる素顔を語った。


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今回は、小谷さんが長年取材してきた中で特に印象深いと話した、米短距離界のお騒がせ男や世界新連発のスター選手、日本一のスタートダッシュを誇ったスプリンターなど、とっておきの『ここだけの話』をまとめて紹介する。


ドラモンド 前代未聞の騒動から名伯楽へ【2003年パリ大会、2007年大阪大会】

「I didn’t move!(私は動いていない!)」


パリ大会の男子100m2次予選で、全米選手権2位のメダル候補、ジョン・ドラモンド(アメリカ、当時34)は、まさかのフライングで失格となった。後に禁止薬物で資格停止処分も受けた〝お騒がせ男〟は、このときトラックに寝転がり、10分以上にわたって絶叫し猛抗議を続けた。この前代未聞の騒動は競技の進行を著しく遅らせ、小谷さんに「ドラモンド=暴れん坊」というイメージを強く植え付けた。


しかし4年後、小谷さんのドラモンドに対する印象は一変する。ドラモンドは、金メダル最有力、タイソン・ゲイ(アメリカ)のコーチとして大阪大会に現れた。


小谷実可子さん:
私の中では、トラックでごねまくっていたドラモンドのイメージしかなかったのですが、意外なことに、4年後、大阪に来た彼は、自由奔放なタイソン・ゲイに対して激しく怒っていました。かつて騒動を起こしたドラモンドが、規律を重んじるコーチになっていたことに正直驚きました。


結果的にゲイは、100m、200m、4×100mリレーの三冠を達成し、ドラモンドはコーチとしての手腕をいかんなく発揮した。さらに人間味あふれる一面も垣間見えた。ゲイの活躍が大きく載ったスポーツ新聞を、コンビニを駆けまわって買い集め、まるで少年のように、嬉しそうに小谷さんへ見せたという。前代未聞の抗議を続けた選手が、人を育てる立場となり、教え子の活躍に目を輝かせる。成長を目の当たりにした小谷さんにとってドラモンドは深く心に残るアスリートとなった。


イシンバエワ スーパースターの意外な素顔

女子棒高跳のエレーナ・イシンバエワ(ロシア)は、「世界記録は私の名刺代わり」と豪語するスーパースターだ。屋外で15回、屋内で13回の世界記録を樹立し、5m06は未だ破られていないワールドレコードであり、世界陸上でも3度の優勝を誇っている。小谷さんは、その圧倒的な実力に加え、スター性や端正な顔立ちから、彼女に近寄りがたい印象を抱いていた。


しかし、ある記者会見でその印象は大きく変わったという。


会見の直前までりんごを食べていたイシンバエワは、食べ終わったりんごの芯を捨てる場所に困り、会見の時間が迫ってもゴミ箱を見つけられずにいた。


小谷実可子さん:
世界の陸上界の中心にいたイシンバエワが、スタッフにも言えず、どうしようどうしようと、たった一つのりんごの芯すら捨てられず、茶色くなるまで我慢していたんです。私が『受け取るよ』と声をかけると、彼女は『本当にありがとう』と心底感謝してくれました。


この瞬間、小谷さんはスーパースターの「普通の女の子」のような、かわいらしい素顔を見たのだった。


キラニ・ジェームス 一夜にして国民的英雄へ【2011年韓国・テグ大会】

カリブ海の島国、グレナダ出身のキラニ・ジェームス(当時18)はまるで子鹿のように軽やかに跳ねる走りが印象的だった。


小谷実可子さん:
若き日のウサイン・ボルト(男子短距離、ジャマイカ)やアリソン・フェリックス(女子短距離、アメリカ)もそうでしたが、バネがあって走りが軽やかな選手は「きっと大物になる」という予感があったんです。キラニ・ジェームスも本当に輝いて見えました。


小谷さんは、サブトラックでのウォーミングアップから彼に注目していた。人口わずか11万人の小さな国に生まれ、控えめで自信なさげな少年だったジェームスは、男子400mで決勝進出を決めた。直感的にインタビューを試みようとした小谷さんだったが、ジェームスは見当たらない。探し回った末、ひと気のない木陰で「どうしよう…」と困り果てた様子の彼を見つけた。


決勝を控える彼にいきなり話しかけるのはためらわれた。小谷さんは彼のコーチに取材の許可を求めた。コーチは「彼が強くなるためには、海外メディアへの対応も必要だ」と快諾。意を決してマイクを向けたものの、小谷さんはジェームスが何を答えたか全く覚えていないという。ただ「頑張ります」といった当たり障りのない返答だったと回想する。


そして迎えた決勝。陸上ファンの間ではアメリカのラショーン・メリットが優勝候補の筆頭だったが、優勝したのはなんとジェームスだった。グレナダ初の金メダルという快挙に国中が沸き立ち、後に『キラニ・ジェームス通り』が作られるほどの熱狂的な歓迎を受けた。ほんの数時間前までおどおどしていた少年が、一躍国民的英雄へと駆け上がったのだ。その劇的な過程を目の当たりにできたことは、取材者としてこの上なく素晴らしい経験だったと小谷さんは語った。


多田修平 諦めない心が掴んだ栄光【2019年カタール・ドーハ大会】

男子4×100mリレー決勝でのこと。予選からメンバーが変更され、第1走者を務めることになったのは多田修平(当時23)だった。リレーではメンバーから漏れた場合、モチベーションを保つことが難しい場合もある。しかし多田は違った。彼はチームを盛り上げ、誰よりも明るく振る舞っていた。


小谷実可子さん:
悔しいはずなのに、なぜこれほど明るく振る舞っていられるのだろうと見ていてちょっと泣けてきました。


決勝では、多田が持ち味のロケットスタートから流れを作り、4人が完璧なバトンパスを決め、日本は見事銅メダルを獲得した。日本記録、さらにアジア記録も更新する快挙だった。


小谷実可子:
予選を走れなかった多田選手でしたが、前向きな姿勢を保ち続けた結果、メダルをつかみ取ることができました。諦めずに挑み続ける選手に、スポーツの神様は微笑むんだと改めて学ばせてもらった出来事でした。


小谷さんが現役復帰を決めた〝原動力〟

唯一無二の才能、成長と変化、諦めない心の強さ、魔法のような力…。陸上競技の取材を通して、選手たちの人間ドラマに心揺さぶられ続けた小谷さんは、これらの経験に背中を押され、56歳の時アーティスティックスイミングの選手としての現役復帰を決め、この年の世界マスターズ選手権で3冠に輝いた。58歳になった今年(2025年)もシンガポールで開催される世界マスターズ選手権への出場を予定している。


■小谷実可子プロフィール
1966年8月30日生まれ、東京都出身
アーティスティックスイミング(旧シンクロナイズドスイミング)でソウル五輪に出場し、ソロ・デュエットともに銅メダルを獲得。夏季五輪で初の女性旗手も務める。の女性旗手も務める。引退後は東京2020招致アンバサダーなど五輪・教育関連で要職を歴任。10を超える役職と家庭を両立させながら56歳で競技に復帰。2023年世界マスターズ水泳選手権アーティスティックスイミングのチーム、ソロ、デュエットで金メダルを獲得。2025年8月世界マスターズ水泳選手権2025に出場予定。TBSテレビ「世界陸上」では1997年から13大会連続でサブトラックリポーターを務めた。


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