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【ドラフト】仙台大・渡邉一生「諦めないでやったら叶う」転校、指名漏れ経験も“恩返し”を胸にプロの舞台へ

スポーツ
2025-10-22 18:00

プロ野球ドラフト会議が23日に開かれる。吉報を待つのは小柄な体格ながらも最速153㎞の直球を武器に魔球・チェンジアップを操る仙台大・渡邉一生(21)だ。高校を一度辞めながらも野球への情熱を絶やさず成長を遂げた右腕が運命の一日を迎える。


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高校転校も同級生からの電話がきっかけ仙台大へ

小学校1年の冬にリトルリーグの硬式野球チームに入った渡邉。幼い時から身体能力に優れており、水泳、体操、サッカー、テニス、陸上教室に通っていたが、どの競技もさらりとやってのけたという。「一番難しかったのは野球なので野球をやりました。野球って体だけじゃなく、バットやグローブなど道具を使うって考えると結構難しくて、でもそれがなんか楽しくて」。


中学生の時、コーチからの勧めで地元・神奈川の日大藤沢高校に進学。しかし、2年秋に通信制の高校へ転校した。「方向性の違いだったり、合わないところもありましたし、自分が未熟だったのが一番の原因なのかなと思う」と振り返る。その後、日本航空高校(通信制)に通いながら、父が見つけてくれたというクラブチーム、BBCスカイホークス(現・GXAスカイホークス)で野球を続けることを決断した。


しかし高校3年で迎えた初めてのドラフトは指名漏れとプロ入りは叶わず。落ち込む渡邉に声をかけたのは、のちに同じ仙台大に進む同級生の佐野怜弥(仙台大4年)だった。「ドラフトが終わったその日に電話がかかってきて、『進路とかどこも決めてないなら一緒に野球やらない?』って言ってくれて。一緒に野球したいって言ってもらえたことが嬉しかった」。この一本の電話が渡邉の野球人生を動かした。


成長の背景には大学時代に出会った投手コーチと師匠の存在

仙台大では仙台六大学リーグで1年春から登板。3年時には侍ジャパン大学日本代表に選出され、この4年間で最速は148㎞から153㎞に。「150㎞を投げる変化球ピッチャーっていうのをテーマにしてやっているので、そこが自分のアピールポイントですかね」。渡邉は一番自信のある球種にチェンジアップを挙げるほど変化球にも力を入れている。転機となったのは大学2年の春、元ロッテの坪井俊樹投手コーチに言われた言葉だった。「変化球を主体とするようなピッチャーになって、力感のない球を投げるのが一番いいんじゃないかという話を受けた。自分で何か変えないとプロに行けないと思っていたので」。その言葉が渡邉の今のスタイルの原点となった。


さらに、成長の裏には渡邉が“師匠”と慕う川和田悠太(24、三菱重工East)の存在があった。仙台大では2学年上にあたる川和田と1年間ほど野球ノートを通じて意見交換をしていたという。「本当に向き合ってくれる先輩は初めてだったので、野球人生で一番自分を大きく変えてくれた人」と渡邉は感謝を口にした。「野球だけじゃなくて人間性は全く叶わないようなすごい人。そういう人がいて、ベクトルが自分に向くようになってきて少しずつ変われて。自分のためにじゃなくてチームのためにってベクトルが変わった時に勝ちがついてきて、気づいたら結果が出ていた」。


「感謝を伝えるべき人に恩返し」経験を力にプロ入りを目指す

選手としては小柄ながら内に秘めた闘志は誰にも負けない。「プロになって自分みたいに、背が低くて悩んでる選手がいるのであれば、自分が活躍して背が低くてもプロ野球選手になれるよっていうのを証明できたら」と自らの姿で示そうとしている。


さらに渡邉はプロ入りを目指す理由について「親に恩返ししなきゃいけないのと、支えてくれてる方、先輩であったりとかいろんな人がいるんですけど、感謝を伝えるべき人にプロになって恩返ししたい」とまっすぐな思いを語る。「1回高校を辞めてるので、そういう選手の希望にもなればいいかなと思っています。一度辞めてしまったからといって夢を諦めるんじゃなくて、諦めないでやったら叶うんだよっていうのを、ドラフトで指名されることで、希望を与えたいなと思います」。その経験を力に変え、夢の舞台へと歩みを進める。


■渡邉一生(わたなべ いっせい)
2003年12月12日生まれ。神奈川県横浜市出身。左投左打。身長172cm体重75㎏。小学1年で野球を始め、高校は日大藤沢に進学するも日本航空(通信制)に転校。クラブチーム、BBCスカイホークス(現・GXAスカイホークス)で野球を続けるも高校3年で指名漏れ。仙台大学に進学後、3年春には6試合で4勝0敗、防御率0.27で最優秀選手賞、最優秀投手賞、ベストナインを獲得。24年に侍ジャパン大学日本代表に選出された。全国大会は22年の明治神宮大会、24年の大学選手権に出場している。
 


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