長時間労働を苦に自ら命を絶った元電通社員・高橋まつりさん。まもなくその死から10年となる今、労働時間をめぐる規制の緩和が検討されています。命日を前に母親は「過労死はなくなっていない」「良い報告ができない」と語りました。
「大好きで大切なお母さん、さようなら。ありがとうね」
空気の澄んだ12月の静岡県。墓石に刻まれているのは、高橋まつりさんの名前です。
電通に勤務していたまつりさんが長時間労働で自ら命を絶ってから、25日で10年。この日、母親の幸美さんが墓参りに訪れました。
まつりさんの母 高橋幸美さん
「クリスマスツリーが街中に飾られてイルミネーションがキラキラしてくると、またあの日が来るなと」
2015年のクリスマス。その日亡くなったまつりさんは当時24歳で、入社1年目でした。
電通ではウェブ広告を担当していましたが、亡くなる前の残業時間が月およそ105時間に上り、労災と認定されました。
幸美さんの部屋には、まつりさんの思い出の品が今も多く残っています。
まつりさんの母 高橋幸美さん
「(まつりさんが)就職してから使っていたもの。数年してから電通で見つかった。こんなヒールの長い靴を頑張って履いて」
2人で何度も旅行するほど仲が良かった母と娘。
まつりさんの母 高橋幸美さん
「『お母さんが喜ぶかな』と一緒に山登りに行ってくれた。こんな自撮りをした時にチューってやってて。東京に遊びに行くと『お母さん』と言って、ぎゅーっとやってくれて」
そんな母親に、まつりさんは自ら命を絶つその日、最後のメッセージを送っていました。
「大好きで大切なお母さん、さようなら。ありがとうね。仕事も人生も、すべてがつらいです。お母さん、自分を責めないでね。最高のお母さんだから」
まつりさんの母 高橋幸美さん
「メッセージを見てすぐ電話したら、まつりが出た。会社なんか辞めてもいいから死んじゃだめだよって言ったら『うんうん』と言ってて」
「(その後の職場で)『東京の警察から電話だよ』って。東京の警察ってなんでだろうって思って。『娘さん電通にお勤めですか』と言われて、『けさ亡くなりました』と。あの時、電話の後にすぐに行けば、助けられたかもしれないのに。『お母さん自分を責めないでね』って書いてあったけど、私のせいだと思って」
娘の過労自殺から10年…「労働時間規制の緩和は絶対しないでほしい」
それから10年間、幸美さんは娘と同じような過労死をなくすため、講演会などで自身の体験を話しています。
まつりさんの事件をきっかけに青天井だった残業は見直され、法律で規制されましたが…
まつりさんの母 高橋幸美さん
「いま対策を進めているにもかかわらず、過労死が無くなっていない。労災申請が毎年増加して、毎年過去最高を更新している。『お母さん頑張ったよ』『まつりちゃんのような人がもういなくなったよ』と。10年だけど良い報告ができないなと」
こうした中、今年10月、高市総理は働いている人の賃金アップなどを理由に労働時間規制の緩和の検討を指示しました。
高市総理
「これは私の意見に一番近いかもしれないが、上限規制の範囲内でもっと働けるようにすべき。例えば、裁量労働制の拡大に対するニーズであったり。もちろん健康第一だが十分な賃金をもらえないということで、届け出をせずに副業している方がいる。働き方の実態とニーズをしっかりと踏まえて検討を深めていきたい」
残業時間の上限は、月では45時間・年間では360時間です。繁忙期などであれば、月100時間未満・年720時間以内となっています。
厚労省は労働時間規制を中心に労働者や企業への調査をおこなっていて、その結果などを踏まえ、議論を進める方針です。
こうした議論について、幸美さんは。
まつりさんの母 高橋幸美さん
「知らないうちに病気になったり、死に至ってしまう。それが過労死の恐ろしいところ。労働時間規制の緩和は絶対しないでほしい。娘や私と同じような思いをもう誰にもしてほしくない」
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