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【ドラフト】社会人屈指の即戦力左腕・竹丸和幸「辞めようと思っていた」再び選んだ野球人生に与えた“転機の言葉”

スポーツ
2025-10-21 17:00

運命の一日“プロ野球ドラフト会議”が23日に迫る。鷺宮製作所の竹丸和幸(23)は最速152㎞の直球にチェンジアップ、抜群の制球力を武器に即戦力左腕としてプロ注目の存在となった。しかし過去には一度、野球を辞めかけたことも。社会人野球を経て成長を遂げた左腕はこれまでの経験を胸に次なるステージを見据える。


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小柄だった高校時代は3番手投手「辞めようと思っていた」

中学生時代から小柄だったという竹丸は、地元の崇徳高校(広島)に進学後も身長170cmほどで3番手投手だった。高校3年の最後の夏もベスト16と甲子園出場は叶わず。「同級生にすごい選手がたくさんいたし、こういうやつがプロ野球選手になるんだろうなと思ってやってきた。高校時代もエースでもなんでもなかった。もう無理だなって(高校で野球を)辞めようと思っていた」と当時を振り返る。


それでも野球を続ける道を選ばせてくれたのは当時監督だった應武篤良さんの一言だった。「進路面談でも野球をやらずに普通に大学に行きますと言ったが、城西大学から話が来ていると言われて、じゃあやろうかなと思って大学で野球を続けた。監督に言われなかったら今は野球をやっていない」。これが竹丸の野球人生を再び動かすきっかけとなった。


城西大学進学後、首都大学野球リーグでは先発の機会が数試合ほどで、主に抑えを任されていた。4年春に2部所属だったチームは13季ぶりの1部に昇格、同年秋には竹丸も1部リーグデビューを果たし9試合に登板。3勝1敗、防御率1.52の好成績を残した。


「考えて野球をやったほうがいいよ」ベテラン左腕の言葉が転機に

鷺宮製作所に入社後は先発を任されるようになった。さらにウエイトトレーニングを行うようになり、平均球速が上がるなど手応えを感じたという。「球が速くなったのは大学時代だが、野球選手としては全体で見たらここ(鷺宮製作所)で一番伸びましたね」と語る。


さらに入寮して間もない3月、竹丸が試合で打たれた後にかけられたベテラン左腕からの一言が野球観を大きく変えるターニングポイントに。言葉を残したのは昨年限りで勇退した身長164cmの小柄なエース、野口亮太投手だった。「『もうちょっと考えて野球をやったほうがいいよ』と言われて。それから投げない期間があっていろんな試合を見て、そこで初めてちゃんと野球を見たというか。投げない期間がよかった。人のプレーや投球を見て自分に還元していく期間。その一言がなかったら今頃投げてないかもしれない」。今夏は3年ぶりの都市対抗出場を決めると竹丸は1回戦のTDK戦に先発。6回2安打8奪三振1失点に抑える好投でチームを勝利に導いた。


野球を続けたその先に確かな実力が備わり、プロの世界が見えてきた竹丸。「プロになりたいと思って野球をやってきたわけじゃない。なりたいっていうよりは勝手に近づいていったイメージ」と話す。「派手さは求めないですけど計算できるピッチャーになりたい」と理想の選手像を掲げた左腕が、社会人野球で培った経験を胸に夢舞台への切符を掴みにいく。


■竹丸和幸(たけまる かずゆき)
2002年2月26日生まれ。広島県広島市出身。左投左打。身長179cm体重75㎏。崇徳高校から城西大学に進学。首都大学野球リーグでは2部からのスタートも4年春に1部昇格。鷺宮製作所では今夏3年ぶりに都市対抗に出場。1回戦のTDK戦では先発し6回1失点の好投。休みの日はよく寝ているインドア派。幼稚園年中から小学3年まで水泳をやっていた。
 


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