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「能登は やさしや 土までも」復興道半ば、“バブル時代のお土産”に閉じ込められた地域の記憶

国内
2025-01-31 20:00

30年前には日本中のあちこちの観光地にあったのに、姿を消してしまった「お土産」があります。子どもっぽい特徴的なイラストに、ローマ字で地名などが書かれたキーホルダーなどの小物類。のちに「ファンシー絵みやげ」と名づけられ、バブル前後の特定の時期のみに現れて消えていった文化のひとつです。


【画像で見る】能登地方のファンシー絵みやげ(山下メロさん提供)


それは、地域の記憶を閉じ込めたタイムカプセルのような存在かもしれません。地震と豪雨で甚大な被害に遭った石川県輪島市で見つけた「ファンシー絵みやげ」は、そんなことを思わせるものでした。


「昔はこういうお土産が飛ぶように売れたのよ」

2024年元日に起きた能登半島地震で甚大な被害を受けた地域のひとつに、「輪島朝市」で知られる輪島市の「朝市通り」があります。地震によって発生した大規模な火災で約300棟が焼け、焼失面積は5万㎡に及びました。


筆者は地震から1年となる元日に放送する特別番組の取材のために、2024年の年末、輪島市を訪れていました。輪島の「ファンシー絵みやげ」に出会ったのは、「出張輪島朝市」として市内の商業施設に場所を移し、再開されていた朝市を取材していたときでした。


「もう30年くらい前に作っていたもので、昔はこういうお土産が飛ぶように売れたのよ」


そう語るのは、輪島朝市で総菜と民芸品を販売してきた福谷和子さん(82)です。


ローマ字混じりの「WAJIMA」「朝市」の文字と、頬を赤らめたキャラクターのイラストが、独特なタッチで木材に描かれたキーホルダー。


こうした特徴を持つお土産は、バブル全盛期、旅行ブームでにぎわう全国の観光地で広く売られ、のちに「ファンシー絵みやげ」と名づけられました。バブルがはじけてからは、お土産の人気は安価で配りやすい食品へシフトしたため、いまではこうした「ファンシー絵みやげ」はほとんど見かけなくなりました。


筆者が「ファンシー絵みやげ」を集めていたことを伝えると、「これがほしいの? なんだか私もうれしいわ」と快く売ってくれました。


地震と豪雨で被災、いまも避難所で暮らす

「これが最後の1個。豪雨のあとに、朝市で売れるものはないかと思って倉庫を整理していたら、隅から出てきたのよ」


工場を併設した福谷さんの住宅は、元日の地震で一部損壊し、そこに追い打ちをかけるように豪雨で裏のがけが崩れて全壊認定されました。


仮設住宅への入居の目途が立っておらず、震災から1年以上経ったいまも避難所で暮らしています。避難所の規模縮小のため、今月に入って別の避難所に移動しました。


仮設住宅についても「早ければ2月かな」と話していた福谷さんでしたが、その後に連絡すると「3月に入れればいいんだけど」と、避難所での生活の終わりが見えていません。


こうしたなかでも福谷さんは、被害を免れた厨房で総菜をつくり、出張輪島朝市で販売しています。豪雨のあとに倉庫に残っていた材料を使って、新たに民芸品も作って売り始めました。


「昔はね、民芸品を売るお店が50店舗くらいあったんですよ。もう今は作る人もいなくなっちゃった」


輪島朝市は、かつては360mの朝市通りに200 以上の店が軒を連ね、ピーク時の1980年には年間270万人もの観光客がにぎわう、輪島を象徴する観光名所でした。


現在の朝市通りは、ほとんどの建物が解体を終え、更地となった茶色い地面が広がっていました。隣接する道路や電信柱に残る「すす」が、火災の激しさを物語っています。


キーホルダーに残された「振り売り」の文化

福谷さんのお店で買ったキーホルダーの真ん中には、天秤棒にカニと魚を入れた、笑顔のキャラクターのイラストが描かれていました。輪島で古くから行われてきた「振り売り」です。


輪島市内には県内最大規模の漁獲量を誇る輪島港があり、鮮魚や加工品を売り歩く「振り売り」と呼ばれる行商が盛んでした。昔ながらの天秤棒はリヤカーや車に代わり、輪島で働く人や買い物に行くことが困難な方にとって、大切な生活の基盤になっています。


しかし、輪島港も地震で海底が隆起したり岸壁が壊れたりするなど甚大な被害を受け、本格的な漁が始まったのは11月になってからでした。


市内で寿司店を営む男性は、まだネタが揃えられないため、「毎日金沢から取り寄せている」といい、魚問屋の男性も「魚を卸す先の店も減っている」と話していました。


高齢化などで「振り売り」の担い手も減っており、福谷さんも「振り売りって、久しぶりに聞いた言葉」と話します。「キーホルダーに描かれているほど、輪島の象徴的なものかもしれないね」


「能登は やさしや 土までも」

金沢出身の福谷さんが結婚を機に輪島で暮らすようになったのがおよそ60年前。訪問着で近所に挨拶まわりをした日のことを今でも鮮明に覚えています。


「今だったら車で2時間で来れますけどね、当時は汽車で4時間もかかったんですよ。白い足袋をはいていたらね、白い目で見られてね。文化が違うんだなと思ったんですよ」


最初は慣習の違いに戸惑いながらも、徐々に輪島で暮らす人たちのやさしさや助け合いを実感するようになったといいます。


「地震のあとも、お皿1枚でもないものがあればお互いに『これ使って、あれ使って』って助け合ってね。困ったときに力になってくれるんですよ。自分が無理だなと思っても、一緒に頑張ってくれる」


福谷さんのお店で買ったキーホルダーの裏には、能登に古くから伝わる言葉が書かれていました。


「能登は やさしや 土までも」


能登の人たちの心に根付く、あたたかさを表す言葉です。「輪島に来るまで知らなかったけどね、能登の人ならみんな知ってる言葉でね」と福谷さん。自身が被災しながらも互いに助け合う、能登の人たちの心根に触れたように感じました。


「お土産」から見える朝市の女性たち

「ファンシー絵みやげ」の名付け親であり、平成文化のひとつとして収集・研究している山下メロさんは、「残っているファンシー絵みやげの多さからも、バブル期にいかに輪島が観光でにぎわっていたかが感じられる」と分析します。


当時、多くの観光地では、お土産雑貨の生産コストを下げるため、都道府県や地方レベルの地名を入れて、より広い地域で売る手法がとられていました。また、ターゲットが子どもであるため、その地域に生息していない動物のイラストも多用されており、輪島のように「その土地だけ」の特徴をとらえたお土産をつくることができるのは、経済的に成功していた観光地の証ともいえます。


こうしたなか、輪島では「輪島朝市」という文字が入ったキーホルダーなどの雑貨が多く見つかっているといいます。今回筆者が見つけたキーホルダーについても、山下さんは「裏に能登の言葉が書かれているなど、かなり凝って作られていると思います」。


また山下さんによると、輪島のお土産には、イラストにも珍しい特徴があるそうです。


「ファンシー絵みやげでは、海であればタコやカニ、山であればキツネというような生き物のほか、その地域の偉人などがモチーフになることもあります。ただ、輪島朝市のお土産には『おばあさん』のイラストが描かれたお土産が多く見つかっています」


山下さんのコレクションには、魚介類を売る女性のキーホルダーや、前掛けに「輪島ASAICHI」と書かれたおばあさんの状差しなどがあります。こうした特徴は朝市が有名な他の観光地でも見られないとして、「輪島朝市とそこで働く女性たちが、輪島のアイデンティティのひとつであったことがわかる」と話します。


「ファンシー絵みやげが作られた当時は深い意図はなかったかもしれませんが、結果的にその土地の文化を記録する役割を持っていると感じています」


朝市のにぎわい、もう一度

朝市通り周辺地域の被災した建物の公費解体は9割以上が終わり、年度内に撤去作業が完了する見込みです。検討が進められている復興計画では、「復興のシンボル」として輪島朝市周辺の再生が掲げられています。


2024年末に提出された計画案によると、輪島朝市周辺を新しく生まれ変わらせるなどの「再生期」は2027~2030年に設定されています。朝市通りににぎわいが戻ってくるのは、もう少しかかりそうです。


「何年後になるかわからないけど、私が生きている間になんとかもう一度、朝市に座りたいね」


取材の最後に語った福谷さんの言葉です。1日でも早く、輪島朝市のみなさんの願いが叶うよう、復興が進むことを願わずにいられません。


(TBSラジオ・ニュース部 野口みな子)


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